月に似た君
仕事が終わって自宅でのんびりしていたら、いきなり「のもーよ。」とコンビニの袋を両手に、会社の後輩である川上優輝がやってきた。
俺はここ十日間ほどまともに休みを取っていなくて、今日こそ早く寝ようと思っていたのに、そんなことお構いなしで奴は俺の部屋に上がり込む。
そして、勝手知ったる、とばかりにグラスやら皿やらを出して一人で飲み出した。
……こいつは一応、俺の年下の恋人と言うことになっている。
「月ってさ、三上君みたいだよね」
俺のベッドの上で、月見団子を頬張りながら優輝が呟いた。
折しも今日は十五夜。嫌みなほどに丸く明るい月が、窓際に置いたベッドの上の優輝を照らす。
「おまえな、ちょっと態度でかすぎ。ここをどこだと思ってんの」
「三上君の部屋」
わかってやってんのか、お前。しかも開き直ってやがるし。
ベッドの上でうつぶせ寝そべる優輝は、その一八〇センチ近い身長だけでもうっとうしいというのに、更に態度まででかいときている。
「大体俺と月が似てるってどういう意味だよ」
「そのまんま。綺麗なくせに冷たくて、近づきたくても近づけない。」
「ちょっと待てコラ、いつ俺がお前に冷たくしたよ?」
この家に入れてやってるだけでも破格の扱いなのに、どういう意味だ。
「いっつも冷たいよー。だってさ、俺の事好きって言ってくんない」
優輝はそれまで外を向いていた視線を部屋に戻し、体制はうつぶせのまま俺の方へ視線をよこした。
「はぁ? なんっだよそれ」
わけわからねぇ。っていうか、二十歳を超えた男が上目遣いに人を見るのはやめろ。ついでに団子の串を振り回すな。
「俺、三上君に毎日毎日好きだって言ってるのに」
いや、それも恥ずかしいからやめてくれ。
「毎回毎回適当に流したり冗談にしちゃったりで、キスとかエッチはおっけーなのになんで”好き”の一言はもらえないわけ?」
「優輝、お前なぁ……」
よくもまぁそんなことを真顔で言える。言われるこっちはいたたまれなくなって視線を逸らす。
「月ってさ、さっきから雲の合間で出たり消えたり。絶対近づかせるもんかーって馬鹿にされてる感じ。三上君だっていつも手が届きそうで届かないの。俺が近づこうとすると逃げるんだもん。そっくりじゃん」
「いつ俺が逃げたんだよ」
「いっつも。いーっつも、だよ」
のそり、と優輝は身体を起こすと、そのまま子供みたいに膝を抱える。でかい図体してこのポーズは、なんだか子供っぽくて笑える。
「ガキ。拗ねてんじゃねーよ」
「拗ねてない。それにガキじゃない」
優輝は不満そうに頬をふくらませる。ほら、そう言う態度がガキだって言うの。
「そろそろ俺達付き合いだして一年経つのにさ、一回も好きって言ってもらっていないってどういう事?」
そもそも一年間毎日毎日好きだ好きだと連呼できるお前の神経構造が、俺は理解できない。
そんな毎日言われなくてもわかってるし、それに俺の気持ちだって一々言葉にしないとわからないってなんだよそれ。
キスもセックスも、好きでもない男と出来るような人間だと、お前俺のことそう思ってるわけ?
なんて言葉が舌の先まででかかる。
だけど素直にこんな事言ってしまうのは何か悔しくて、俺は黙って優輝の顔を見た。
”何か言ってよ。”
視線で訴えてくる優輝。いつもストレートにぶつけられるその愛情に、いつも俺は押され気味だ。
だけどこっちはこっちで年上のプライドとかそんな物が邪魔して、優輝の気持ちに答えたことは一度もない。
こうなったら、根比べ。俺は負けじと優輝の瞳を真正面から見返した。
数分後。
「はぁ……」
根負けして、溜め息と共に絡まった視線を外したのは、優輝の方だった。
「……帰る」
ベッドから起きあがると、自分が散らかしたビールの空き缶やグラス、ゴミなどを片づけ出す優輝。
「お前、何しに来たの」
「別に、三上君の顔見に来ただけ」
「会社でも見てるだろ」
我ながら意地の悪い台詞だと思う。
会社では絶対私情を交えるな、と俺は優輝にきつく言っていた。だからお互い同じフロアにいたって口をきくことなどほとんど無い。
ぴた、優輝の手が止まる。
「わかった」
何がわかったというのか、うつむいた状態の優輝の表情を俺は読むことが出来ない。
「もう来ない」
「……え?」
発せられた言葉の意味が、わからない。
それはつまり別れたいと言うことなのか、単純にこの部屋以外の所で会おう、と言う意味なのか。判断がつかないで迷っている間に、片づけを一通り終えた優輝は俺の横を素通りして玄関へ向かう。
「ちょ……っ」
優輝の真意を問いたくて、俺は慌ててその後を追う。
このままだと、優輝が二度と俺の所に来なくなりそうな、そんな不安に駆られて。
「優輝」
玄関で革靴を履いている後ろ姿に声をかける。
振り向きはしなかったけれど、動きは止まった。
「あ……」
声をかけたはいいけど、その後の台詞が出ない。
来ないってどういう意味なのか、ただそれだけの簡単なことが聞けない。
だってこんな形でそんなこと聞いたら、好きだ別れたくないって白状してるようなもんじゃないか。
かける言葉を探して困ってしまう俺。相変わらず振り向かないその背中に、手を伸ばしかけた時。
「少しは焦った?」
いきなりくるっと身を翻した優輝に、その手を掴まれた。
「なっなっ……」
見上げると、少年のような悪戯っぽい目つきで笑っている。
「出来るわけ無いじゃん、二度と来ないなんて。たとえしつこいって嫌われたって、三上君から離れられるなんて出来そうにないのに」
「おま、何考えて……」
「ん〜?」
ニィ、と優輝の口の端が上がる。
「なんかねーいっつも俺ばっか余裕ないの悔しいから。ちょっと驚かそうと思って」
ニコニコ、ニコニコ。
まるで、悪戯が成功して喜んでいる子供のような表情。
「ふっっっっざけんなっ!」
からかわれた、そう気付いた俺は怒髪天を衝き、捕まえられていた腕をふりほどくと優輝の顎を思いっきりグーで殴ってやった。
「いったぁい〜。三上君ひどいよ〜」
顎を押さえて情けない声を出す優輝。
「知るか馬鹿! 帰れもー帰れ!!」
二度とくんなぼけ、と言って優輝の身体を家から押し出そうとするけれど、体格・腕力共に負けていて。
あっという間に抱きしめられてしまった。
「ねぇ、俺のこと好きだよね」
耳元でささやかれる。なんだその妙な自信は。さっきまで拗ねていたのはどこのどいつだ。
こいつ、立ち直るの早すぎ。
これ以上優輝を嬉しがらせたくなくて、俺は黙り込む。
「黙ってるって事は肯定ってことで」
勝手に決めつけた優輝は少し腕の力を緩めると、俺の顎を掴んで無理矢理顔をのぞき込んでくる。
「好きだよ」
ちゅ、と触れるだけの軽いキス。
「だからさ、たまには俺の所に降りてきてよね。お月様」
誰がお月様じゃ、と心の中で悪態をつきながら、俺は優輝の腕の中で瞳を閉じた。
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