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青空旅行記  作者: 秋月
三章 騎士の国ロザリア
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九十六話 訪問

「それで……何かご用でも?」


 居心地の悪さをごまかすように自らの後ろ頭を掻きながら、ディロックは公爵兄妹へと問いかけた。


 ことディロックは、地位の高い人間と話す機会などほとんどなかった。まったくの無経験という訳ではないものの、数少ない会話はほとんど売り言葉に買い言葉であり、少しも参考にはできない。


 せめてマーガレットが居てくれればという弱音を吐き出さないので精一杯な彼に向かって、公爵は苦笑いして、鷹揚に手を振って見せた。


「ああ、気を楽にしてほしい。客人を無礼討ちするようなことはしないよ」


 彼が返答に迷っていると、シェンドラ公爵は咳払いを一つして、要件を話し始めた。気になる事があるのだと。


「転移前、君が何かに気付いたと君の相方から聞いてね。覚えているかい?」

「……ああ。一瞬だったが、目が見えた」


 激戦の前に記憶を巻き戻し、一つ一つ思い出すようにディロックは呟いていく。人よりも大きな目が闇の中に浮いていて、良く見えなかったが、体のほとんどを眼球が占めていたように見えたと。


 思い出せる記憶の断片をかき集めて、意識の中に浮かんだそれは、ひどく歪な姿をしていた。口も鼻も耳も無く、目と鱗で覆われた(まぶた)、それが翼の力もなく浮かんでいるのだ。


 およそ尋常な生き物とは思えず、おそらくは混沌の輩なのだろうという事が察せられた。思い出せることを一通り話せば、公爵は難しい顔をして額に指で触れた。


「やはり、禁呪や外法の類か。転移先を読んでいたことも、その怪物のことも……そうであれば納得はいくが」


 眉間のしわを深くして、喉を唸らせながらうつむいた彼を、フランソワが困った顔で見つめた。ディロックもどうしていいかわからず、寝台の上で小さく身じろぎすると、公爵はハッとして頭を小さく振った。


「失礼。兄が……ジェイムズ王がいかなる手段を用いているのか、考えていまして」

「話に聞く限りでは、逆らう騎士はその剣で切り伏せたとか」


 それほどにジェイムズ王は剣の腕が立つのかと問えば、彼は悲しげな顔で、いいえと答えた。


「剣の腕で言えば、騎士たちと同じか少し上程度だったはずです」


 公爵の言う所によれば、異議を申し立て決闘を挑んだ騎士たちの中には、エリート中のエリートたる王族近衛兵(インペリアルナイト)も何名か含まれていたという。


 王が――それも、剣の腕に優れているわけではない者が、そういった者たちを個人の力でねじ伏せたというのは、確かに不可解な話だった。


 そして、転移の移動先を読んだことも、禁呪や外法を用いられたと言われなければ納得できない話である。なにせ、転移魔法の類は、一瞬で移動することよりも移動先が読めないからこそ重宝される事が多いのだ。


 転移する術者の思考を読み、あらかじめ先回りしていたとしても、完璧に移動地点を予測し、包囲網を敷いていた事は明らかに不自然である。


 それはもはや"未来視"の領域であり、およそ人の扱える範疇にある力ではない。


「それで、他に聞く事は? 俺も大した情報はもってないが」

「いえ。ひとまず、今日はこれで。病み上がりの客人に無理はさせられません」


 シェンドラ公爵カルロは改めて頭を下げ、また明日同じ頃にとだけ言うと、踵を返して部屋を出て行った。


 旋風が過ぎ去った後のように、妙な脱力感を覚えながら、ディロックは再び寝台に沈んだ。公爵の雰囲気を前にして緊張していた筋肉が弛緩し、起きた直後よりも一層体が重く感じた。


 それを心配そうにのぞき込んだのはフランソワである。傷が痛むのかと問われたので、彼が小さく頭を横に振ると、彼女はほうと心底安堵したように息をもらした。


 しかしディロックは、少女の姿にわずかに困惑する。見るものに威厳を感じさせるような、威風堂々たる立ち振る舞いをしてきた少女にしては、随分気弱な態度だった。


「私は、貴方を過信していました。無理な仕事を……あなたが死んでしまったらと……」


 言葉を思うように続けられず、彼女はうつむいた。旅装ではない、高貴かつやわらかな服に身を包んでいながら、その全身はしぼんでいるかのようで、今までの気品は鳴りを潜め、そこには年相応の少女がいる。


 そんな少女にどう振る舞うべきかと悩んだ末に、気にするなと言って、ディロックは適当に手を振る。


「俺が、仕事として受けたんだ。仕事をしたまでさ」


 それから、自分で受けた仕事じゃあないが、と言って笑った。


 フランソワも誘われたように小さく笑うと、暗い雰囲気をため息一つ吐いて払う。再び顔を上げると、彼女はすでに、気品にあふれた空気をまとった"公爵令嬢"であった。


「失礼しましたわ。それで、今後の事についていくらかお話しようかと」


 今後の事、と言われ、ディロックはきょとんとした。これからの話と言われても、護衛の任は終わったはずである。傷が癒えれば、そのまま出ていく気でいたのだ。


 しかし思っていた事を伝えると、フランソワはくすりと笑い、話をつづけた。


「今、貴方の相方と兄上が、次の依頼について話している筈ですわ。すぐに話が回ってくると思われましてよ?」


 ディロックはその言葉を咀嚼し、苦虫を噛んだような顔になり、再び寝台へ深く沈んだ。怪我人に何をさせようというのかと思いながらも、全身を襲う重さに負けて、そのまま眠りについた。

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