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青空旅行記  作者: 秋月
三章 騎士の国ロザリア
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八十七話 口笛

「……はぁ」


 小さく、マーガレットが溜息を吐く。


 分割転移で行くと決まって、ディロックが席を経っていったすぐ後の事である。二人のごく短い時間での会議を眺めていたゴーンが、遠慮がちに彼女へと問い掛けた。


「その……なんだ。あんたら、仲悪いのか?」


 あまりに直球な質問に、マーガレットは軽く噴出し、笑った。しかし実際、そう取られても仕方ない、と彼女はぼんやり思って、少年の方へ顔を向けた。


「そうではない……と思いたい。まだ旅の仲間となって数週間程度でね。距離感を計りかねているのだよ」

「あら、そうでしたの?」


 ああ、と小さくつぶやく。随分奇妙な縁だと思いながらも、恩を返すと言ってついてきたのは彼女自身である。


 その事に別段後悔があるというわけではなかったが、やはり恩を返す相手と仲が良くないというのは、いささかいただけない状態であった。


 現状、ディロックとマーガレットの間において、事務的なこと以外を話す機会がほとんどない。朝起きて、日がな一日休憩や食事を挟みながらも歩き、夜になったら野営をする。


 いっそ非人間的とさえ言える生活の中では、親交の深めようが無い。依然として、ディロックがどういう人間なのかを、未だ理解できてはいなかった。


 とはいえ、ずっとこのまま、というわけにもいかない。旅を続けるのだとしたら――そして、それについていくとするなら。


 それに、旅に同行するようになってからたったの数週間だが、彼女には一つ、彼について確信したことがあった。


「まぁ……悪いやつじゃあないさ。おそらく、だがね」




 翌日、なんとか襲撃を受けずに一夜を過ごした一行は、再び朝早くに出発した。転移するまでに少しでも距離を稼ぎ、マーガレットの負担を減らさなければならない。万が一彼女が体調を崩しては、騎士達の追跡を撒くのは不可能に近いのだ。


 今のところ騎士からの襲撃はないが、出たばかりという所で一度襲われた以上、敵の追跡力を侮ることなどできる筈もない。


 緊張感を伴う道すがら。張り詰めた糸のようなような空気が一行を包んでいた。


 おまけに四人は、それぞれ深いつながりがあるという訳ではない。口を開こうにも開けず、黙々と進む。


 ――気まずい。


 重い雰囲気に耐えきれず、とうとうゴーンが口を開こうとした時。


 ふと、口笛の音が聞こえた。


 踊りだすような軽快なものでもなく、かと言って沈み込むほど暗くない。ただ静かで、ゆっくりと歩む馬のような余裕を感じさせる曲であった。


 マーガレットではない。極力見つからないように進む道中で口笛を吹けるほど、彼女は能天気ではない。


 では少年少女かといえば、それも違う。歩き慣れしていない彼らに、それを吹くほどの体力の余裕はない。まして、命を狙われる環境に晒されているのだ。精神的には、もっと厳しいものがあった。


 暗殺する側の騎士である訳もない。自然、一行の――正確には、三人の――視線は、先頭に立つ、ディロックの方へ向けられた。耳を澄ましてみれば、旋律の大元は、確かにディロックである。


 三人がその突飛な行動に驚いていると、ふと彼は振り返って、少しだけ苦く笑った。


「大丈夫だ。今は、誰もいない。気を緩めておいた方が良い」


 そう言って彼は再び前の方へ向き直ると、何も無かったかのように移動を続けた。


 彼の様子に、残る三人は少々呆れたが、幾分か軽くなった空気の中、彼の背について歩き出した。流石に口笛を吹くほどでは無いが、一言二言、話す程度の余裕が生まれていた。


 しかし、先頭を行くディロックは依然として無言のままである。顔が険しいという訳ではなかったが、口を一直線に結んで、口笛ももう吹こうとはしなかった。


 さっきのは何だったのだろう。マーガレットはふと思う。


 彼はもとより、饒舌な方ではない。いっそ寡黙とさえ言える。マーガレットが彼と距離を詰められなかったのも、殆どそれが原因なのだ。


 あるいは、気遣いだったのだろうか。そう聞いて見るのも無粋に思えて、結局彼女は、その疑問をひとまず置いておくことにして、代わりに別の質問を彼に向かって投げかけた。


「さっきの口笛はなんという物だね? あまり聞かない曲だったが」 

「ん……ああ。師匠から教わったものだ。"精霊の歌"というらしい」


 本当はちゃんとした歌詞もあるんだが、と彼は言って、頬を掻いた。師匠も俺もまともに歌ったことは無い、と続ける。


 何故かと聞くと、彼は数分躊躇したように口を(つぐ)んだ。そうしてしばらくしてから、ようやく観念したように再び口を開いた。


 ――それは恋の歌なのだという。


 見えないし触れない精霊に恋焦がれて、何時来るだろうと夢想し続ける、夢見がちな少女の歌なのだ。そうして大人になって、精霊は居なかったと気付いて、歌は終わるのだと。


「……なるほど、確かにそれは……くくく、男には歌いにくいだろうな」

「だろう?」


 小さな笑いが二人の間で起こる。暗く締め付けてくるような雰囲気はすでになく、ゆったりとした空気の中、一行の足は進んで行く。

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