八十六話 旅人の苦悩
「それで、どうするかね、ディロック」
少し物足りない程度の夕飯を終えてから、マーガレットが口を開いた。
もう数日の猶予があると思っていたが、実際はそうでもなかった。騎士の襲撃は、二人の予想よりもずっと早かったのだ。
となれば、これからも同程度の頻度で襲撃が来ると考えるべきで、対応しようと思うなら、計画の大幅な変更が余儀なくされる。ふむ、とディロックは小さく唸り、暫時目を伏せた。
ルートの変更を考えるべきだろうか、と考えるものの、それには障害が多すぎる。まず、大きく村から外れすぎると、食糧や水など、生活必需品が補給できない。
旅慣れしている二人はともかく、旅慣れどころかまだ体も完成していない少年少女に二、三日の断食は無理だ。出来たとしても、足並みが乱れては元も子もないのだ。
さらに、これ以上道を外れる場合、森や山道など、悪路を突っ切らねばならない。そうなればいかに熟練の冒険者とて足を取られかねないし、万が一にも負傷して戦闘が難しくなれば、騎士達の襲撃はとても抑えきれまい。
どちらにも同等のリスクが付きまとう。ならば、とそこまで考えてから、ディロックはようやく目を開いた。
「……大筋は変えない方向で行きたい。一日でも早く辿りつく方が良さそうだ」
「ふむ、しかし休憩が少ないと厳しそうだが?」
マーガレットが振り返りながら言う。彼女の視線の先には無論、二人の少年少女が居る。
長距離移動において、体力差というのは大きな障害になってくる。まして、大人と子供では足の長さも体格も違うのだ。歩ける距離、歩ける速度、歩ける場所、その全てが異なるのである。
しかし、何時までも悩んでいるという訳には行かない。フランソワを執拗に追いかけてきている以上、こうして食事をしている間でさえ、刻一刻と包囲網は狭まっているはずだ。
何もかも薙ぎ払えるほどの強さがあればとは思うものの、無いものをねだっても仕方が無い。地図を睨みつけながら、ディロックは唸るように呟いた。
「マーガレット。『集団転移』は使えるか?」
「一応は。ただ、攻撃用の魔法ほど慣れてはいないがね」
頻度による、と小さく付け加えると、マーガレットは腕を組んでこちらの方をじっと見つめた。次の言葉にどうやら予測がついているらしく、その表情は少し険しかった。
だが、これ以上に、あるいは妥協できるほど安全な策が無い。ゆえに彼は意を決すと、弓でも撃つかのような勢いで言葉を吐いた。
「分割転移で行こう」
冒険者――特に、高位の魔法使いを一党の仲間として迎える者たちにとっては常套手段である、転移と徒歩を繰り返す移動法。ディロックが提案したのは、それである。
分割転移は古くより目的地まで急ぐ必要がある、あるいはひどく距離がある場合に用いられてきた移動法で、およそ一日に、馬車で行く際の倍以上の距離を移動できる優れた手法だ。
また道中の半分を転移が占めるため、道中で山賊や怪物に襲われる心配が減り、迅速でありながら安全性にも優れている。
だが、それらが常に用いられないのにも理由がある。一つは、魔法使いの負担である。
一口に転移魔法といっても手元に物体を転移させる『引き寄せ』や物体と自分の位置を入れ替える『座標交換』など種類は様々だ。
だが、それらの多様な転移魔法において、たった一つだけ共通する点がある。即ち、転移させる生命や物体の重量と移動する距離に比例して、消費する魔力が跳ね上がっていく、という法則である。
もとより転移魔法は難度の高い魔法であり、基本的な魔力消費量は下手な攻撃魔法の数倍ある。それから更に消費が増えるとなれば、一日に乱発するわけには行かない。
加えて、魔法使い自身への負担も多くなる。魔法は、世界の理を揺らがす術である。魔力を一度に多く使用することは、魔法使いにとっても、その周りの人間にとっても、危険を伴う行為なのだ。
力の操作を誤れば、周囲一体を塵と化す――程度で済めばまだ良いほうで、最悪数十年、数百年に渡って人の住めない土地となる可能性さえ存在している。
制御に成功したとしても、世界を改変する力の出入りに矮小な人間の身が無傷なはずも無い。身体的にも精神的にも疲弊し、個人差があるとはいえまともに魔法を使えるような状況ではなくなってしまう。
マーガレットがとんがり帽子の位置を正す。その顔は静かだが、どこか険しい。ディロックはそれから目を逸らすこともなく、真正面から向き合った。黄金と青紫の視線が、それぞれ交差した。
「……転移を済ませたら、数時間は戦えないものと思ってくれ。それでもいいかね」
「分かった。その間は、俺が何とかしよう」
何とかできるのか、という自らの臆病を踏み潰しながら、ディロックはそう決断を下し、決行は明日からだと言い切って食事を終えた。
しかし、マーガレットに強い負担をかける方法は、彼自身の心にもあまりよくない。旅の道連れとして連れる事を決めたのはディロック自身だが、そうと割り切るには少々時間も親交も足りない。
お互いに知らない事が多すぎるのだ。何処までを頼んで良いのか。何処からを頼むべきではないのか。その境界線が、未だに掴めないで居る――お互いに。
ディロックが片手で頭をぼりぼりと掻く姿は、苦悩が滲み出ていた。




