八十三話 出立
翌日の早朝、ディロック、マーガレット、フランソワ、ゴーンの四人でアジトを発った。
旅人二人とフランソワは言わずもがな、雇い主と雇われである以上、同行は当然だ。ならゴーンはと言えば、フランソワの世話と道案内を兼ねてである。
事実、来たばかり故に当たり前と言えば当たり前だが、二人にはロザリアにおける土地勘というものが全く無い。その為、地図を頼りにして進むしかないのだが、いざ間違っていたとなれば致命的だ。
そこで、足並みを乱さずに進めて、いざという時は逃げ隠れ出来るだけの能力を持ったゴーンが抜擢されたのだ。本人は少々渋っていたが、フランソワが頭を下げるのを見て、結局うんと頷いた。
眠そうにしている少年少女を引きずるようにして歩くのは骨だったが、致し方のないこととして諦めた。なにせ、敵は手練の集団である事が予想されるのだ。
幾ら腕に自信がある二人とはいえ、数十の騎士を相手取ってまともに戦うなど出来るはずも無い。
となれば後は、極力見つからないように進むしかない。魔法による監視をマーガレットが防げば、後は目視さえ避ければ良い。望ましいのは深夜であったが、流石に子供の眠気まで払い続ける訳にも行かない。無論、早朝の出立とて重過ぎる負担ではあっただろうが。
「くぁ……それで、どういった経路で進むのかしら? 詳しく聞きたいのだけれど」
「ああ。南周りで、辺境の村で随時補給しながら進む」
基本は野宿になる予定だといえば、少年と少女はそれぞれ顔を見合わせた。しかし、どうにも出来ない。
自分達を守る盾がこうすると言っている以上、それに逆らうことは難しい。まして、フランソワは経路や手順の決定権をマーガレットに渡してしまっている。
二人が居ようが居まいが、必要不可欠だったことに変わりは無いが、予想される苦難に、小さな溜息が漏れていた。
「……休憩にしよう」
ふとした時、最後尾を歩いていたディロックが呟く。その言葉にマーガレットは首をかしげる。
早朝から歩き続け、今は昼頃。日も高く上っており、目視される危険性は高まっている状態だ。もう出た町は見えなくなっているが、それでもまだ目標中間地点までは大分差がある。
彼女がどうしてかと聞く前に、ディロックは小さな木立の中に踏み入って、少しだけ開いた場所にどっかりと座り込んだ。
それに続いてフランソワが、半ば倒れこむようにして座ると、すぐさま靴を脱いだ。荒い道という訳ではなかったものの、歩き慣れないフランソワにとっては十分苦行であったらしい。
それなら仕方ないか、とマーガレットも座り込むと、背負い袋も杖も地面に置いた。一日中でも歩いていられるとはいえ、休める時は休んでおいた方が良いからだ。
何時襲われてもおかしくない現状、いざという時に体力が無い、では意味がない。
しかし、四人の中で唯一不満そうに立ち止まった者が居た。少年ゴーンである。彼は何処となくいらついた顔つきで足元の石を蹴り転がすと、器用にも小さめの声で怒鳴った。
「おい、こんな所で休むなよ! 騎士の追っ手が来るかも知れないんだぞ!?」
「だからだ。今は奴ら、フランソワが未だにあの街に居ると思っているからな。まだ余裕がある」
悠長に背嚢を背から下ろして、なにやらあさりだしたディロックに対し、少年は肩を震わせて一歩踏み出し、そして踏み外した。
あれ、と思ってももう遅い。ずるりと滑って倒れる体を、すんでのところで、ディロックが支える。ゴーンはすぐに立ち直ったが、よく見れば、その足はぷるぷると情けなく震えていた。
「な、なんで……」
「お前、普段から走り慣れているだろう。だからだ」
彼はそう言って、背嚢の中から保存食を取り出した。硬いパン、干し肉、その他の一般的なものだ。それぞれに配ると、彼もすぐに食べ始めた。
結局ゴーンも不承不承と言った様子で座り込むと、渡された保存食を食べ始めた。その横で、ディロックの口が回り出す。
「歩くっていうのは、走るのとは別種の疲れが溜まる。走り慣れた奴は、それに中々気付かない傾向がある」
ディロックもパンに噛み付くと、固い感触と妙な苦味を感じながら、それを噛み切る。全くもって美味しくはないが、なんにしても腹に溜めておかねばならなかった。
しばし咀嚼してそれを飲み下すと、ディロックは先ほどの言葉から続けた。
「俺も昔、同じようなことになった」
「……そういえば、君の過去について聞いたことは無かったね」
ふと気付いて、マーガレットが呟く。そうだなと彼も返した。
こうして休憩する機会は、二人の未だ短い旅路の中で幾度かあった。しかし、大して話す事もなく、テントも別なのだ。互いの過去についてなど、知る由も無い。
彼は何気ない仕草で目を伏せた。
――あまり、思い出したくない記憶だ。喉元まで出掛かってきたそれを、ぐいと押し込む。
「ああ。村一番のやんちゃだったよ、昔はな」
そうして当たり障りの無い返事をなんとか搾り出す。だが、その目に一瞬宿った仄かな闇を、青紫の目は確かに捉えた。
そうして数十分の後、彼らは誰ともなく立ち上がり、そのまま歩き出した。目的地までは、まだまだ遠い。




