八十二話 正しき騎士
会議も終わり、二人はひとまず、明日までは地下拠点で泊まる事となった。
というのも現状、街での寝泊りは危険性があるからだ。一瞬で片をつけたとはいえ、一度騎士と戦闘している以上顔が知られていてもおかしくは無い。万が一指名手配されていた場合、護衛どころの話ではなくなってしまう。
加えて、地下拠点の部屋数には余裕があると言う。建国王時代ほどの戦力をかき集められなかったが故の空白だ。そこを遠慮なく使わせてもらうことにしたのであった。
とはいえ、そう豪華な部屋ではない。ディロックの部屋には、あくまでも仮の寝床としての設備しか設置されておらず、故にベッドに寝そべる以外にすることも無い。
いくら工夫が施されているとは言えど、結局は土の壁だ。何処を見ても土くれか石という景色はどうにも閉塞感が強く、気が滅入った。
そこで、コンコン、と彼の部屋の扉から、ノックの音が響いた。
チラと置いた懐中時計で時間を見る。もう外は真夜中らしい。彼は素早く剣を後ろ手に手繰り寄せ、誰だと問い掛けた。
過敏とも言える反応であったが、彼は存外、どちらかと言えば臆病な方である。深夜の来客ともなれば、物騒な相手が来る可能性も皆無ではない。裏切り者が居ないとも限らないのだから。
すると、扉の外からはマーガレットの声がした。仕事のことで二、三相談したいことがあると言うので、ディロックもそうかと言って招き入れた。
マーガレットには教養がある。魔法使いとして培った知識に加え、本の国で暮らしていたという経歴もある。彼よりはよほど頭の回るほうで、その彼女が相談したいというのであれば是非も無いというものである。
失礼するよ、と言って無造作に入ってきた彼女は、椅子にどっかりと座りこむと、さてと早速話を始めた。
「さて、護衛についてだが。遂行は可能だと思うかね?」
聞き方によっては、弱気にも聞こえる発言に、彼は首をかしげた。うぬぼれでもなく、二人はかなりの手練である。
戦闘能力はもちろんのこと、清濁併せ呑むだけの経験もまた備えている。使える手が制限されないのであれば、その作戦実行能力は冒険者を基準としても高水準にまとまったものを持っている。
その二人で何が不安だというのか。その旨を彼が打ち明けると、そうなのだがな、と彼女は眉をひそめた。
「風の噂に聞く正騎士。あれに出てこられたら厄介だ……評判の通りなら、勝ち目は薄いぞ」
「正騎士。……ああ、あの、ロザリア最強の剣士というやつか」
その名には、ディロックも思い出すものがあった。
ロザリアとは実力こそ全ての国である。無論、無力な者には庇護される権利も与えられるが、それを差し引いてもやはり、力あるものこそ上に行くという思想が基盤にあることには変わり無い。
この国において、強さとはすなわち正義に他ならない。そんなロザリアの中で、最高位の称号として知られるのが"正騎士"だ。周辺諸国においてもその名は広く知られている。
無論、その名を保つのは並大抵の事ではなく、十年もしないうちに大体は入れ替わってしまう。だが、今代の正騎士はもうかれこれ二十年以上はその名をほしいままにしているという。
その噂が本当なのであれば、正直、ディロックとしては避けたい相手であった。師ならまだしも、自分は未だ剣豪に名を連ねるには脆い存在であると知っているからだ。
それとは別に、私情もあった。
"正騎士"は、強き騎士に与えられるものだ。だが、ただ強ければ良いという話でも無いらしい。その名は、もっとも正しい騎士にこそ送られるのだと。
ディロックは、自分自身を確かめる時、決して正しくはない人間だと思っていた。一人旅の時は、幾度も汚い手を使って生き延びてきたし、何度も間違え、その度に心身ともに傷を負ってきた。
この国の実力主義に裏打ちされた正しさを前にして、はたして自分が正常でいられるのか、彼には分からなかった。
「出てきたら、まずいだろうな。まず間違いなく勝ちは拾えない」
彼の消極的な答えに、マーガレットはふむ、と考え込む。そうして、ちらりとディロックの目を見つめた。
もちろん、彼女にも――そうできる手段はあっても――心を読むことなど出来るはずも無い。だが、口には出されなかったその迷いと歪みを、彼女の目は漠然と、しかし確かに捉えていた。
「……そうか。では、遭遇した時は逃げる前提で話を進めよう」
ディロックが力なく小さく頷くと、彼女は任せておきたまえと胸を張り、しかしどこか暗い顔で部屋を出て行った。それを見送ってから、ディロックははじめ、手繰り寄せていた剣を見た。
飾りが極端に少ない、無骨な剣だ。何年も前、師より渡されたものである。銘は無く、魔法の武器という訳でも、由緒ある武器という訳でもない。ただの曲刀――だが、名剣である。
ただ鋭く、重い。更に言えば、並の武器など比べ物にならない程に頑丈なのだ。旅の身であるディロックを案じて、師匠が誂えてくれた品である。
追手は全て手練の騎士と考えれば、激戦が続くことが予想される。勝てるだろうかと、不安が渦を巻いて彼の心を蝕む。
せめて、正騎士とは当たりたくない。後ろ向きな祈りが、土の壁に染みこんでいった。




