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青空旅行記  作者: 秋月
三章 騎士の国ロザリア
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七十六話 路地裏の少年少女

 走る、走る、走る。


 綺麗に舗装された石畳を蹴って、薄暗く人気の無い裏路地を、二人の子供が必死に走っていた。右、左、細い道に体を捻じ込んで、足音を振り切ろうと必死に駆け抜けていく。


 迷いの無い足取りは地理に詳しい者である証明であった。そのすばしっこさを見れば、逃げるのに手馴れているのか、並の人間ではそうそう追いつけないスピードだ。


 だが、今回はあまりにも相手が悪い。その背を追い立てるのは、ロザリアの象徴たる実力主義の頂点、騎士なのだ。


 いかに金属鎧を着ていようと、戦いのために鍛え上げられた彼らの足が鈍ることは無い。となれば、次第に体力で劣る二人の子供が段々と追いつかれ始めるのは必然だった。


「ちょ、ちょっと、差が広がらないわよ!?」

「うるさいな、これでも最短ルートを通ってるんだよ!」


 なのに、と言う言葉は喉の奥に引っ込めた。今は走らなければ、と。


 ――騎士の足が速すぎる。


 腕自慢程度であれば、複雑な裏路地のルート全てを知りつくし、足も速い彼に追いつける者などこの街には居ない。だからこそ彼には予想外だった。


 金属の鎧を全身に身にまとっておきながら、足自慢の彼を凌駕する速度で駆けてくるものなど、想像したことはなかった。


 ちらり、と少年は手を繋いだ少女を見る。走りなれていないのか、走り出してすぐに息を切らしていた彼女はもはや息も絶え絶えだ。悪態を吐くのが精一杯と行ったところか。


 少女が足を滑らせて転ぶのもそう遠くは無い。このままでは、二人そろってあの世行きである。少年はギリ、と歯を噛み締めると、少女の手を離し踵を返した。騎士の方へと向き直ったのである。


「行け! 路地を抜ければ、後は仲間が!」


 少年の背丈の二倍ほどもある大男に向かって、彼は剣を取り出して鋭く睨みつけた。


 少年は戦いの心得など持ち合わせては居ない。何せ、持ち味たる速さを使って、戦いからは常に逃げてきた。武器を握るどころか、ろくに喧嘩さえした事が無いのだ。ツケが回ってきたのかと、そんな事を、ぼんやりと思う。


 騎士は無言のままに立ち止まり、剣を抜く。真っ白な刀身は血一つついていないが、独特の臭い――死臭がこびりついているのを、彼は確かに感じていた。


 ――なんにせよ、生半可な経験など大した役には立たないか。ぐっと剣を握りなおし、へっぴり腰を少しでも誤魔化そうと背を伸ばす。そうして、振り下ろされる騎士の剣を防ごうと、咄嗟に剣を掲げる。


 瞬間、金属の割れる快音が鳴り響く。


 無論、砕け散ったのは少年の持っていた剣の方である。いかに鉄であろうと、より硬い鉄でより強く打ち付けられればひとたまりもない。


 まして、一山いくらの数打ちである少年の剣と比べ、騎士の剣は鋭く研がれ銀に輝く上質な剣だ。技量でも劣る少年に、勝てる道理などあるはずも無い。


 一合と持たずに砕け散った自分の剣に悪態をつき、すぐさま地面を蹴りつけて後ろに飛ぶ。鼻先、僅か一寸先を、騎士の二撃目が通り過ぎていった。


 戦いを常に避けてきた彼に、戦闘勘などある訳が無い。だが、持ち前の機敏さと生き汚さが、辛うじて彼を生き延びさせていた。


 半ばから折れた直剣を、それでも構える。


 それは矜持でも、信念でもない。強い心というには、少年のそれは歪み過ぎていて、いっそ諦観といった方がまだ近い思いからくるものであった。


 戦いでは適わない。弁がたつわけでもない。唯一の取り柄である足さえ追いつかれる。そんな状況では、到底生存は望めないことは分かりきっていた。ならば、と彼はほんの一瞬、目だけで後ろを見た。


 ――死ぬならせめて、格好付けるぐらいしてみたい。


 三撃目が来る。もう避けられない。決死の思いのまま少年は目を瞑り、折れた剣をそれでも突き出した。


 金属が弾きあう音。痛みはなかった。


 まだ死んでいない。偶然、剣の残骸が引っかかりでもしたのかと、彼が恐る恐る目を開けると、目前には鎧姿の男が立っていた。


「その心意気や良し。だが、へっぴり腰が過ぎるな」


 男が、騎士の剣を受け止めていたのだ。それも、ひらひらとした濃緑色の布を持ち上げることで。隙間から見えた騎士には、明らかな動揺を察することが出来た。


 右手に曲刀を握り、頭以外の全身を鎧で包んだ男だ。肌は黒く、遠い異国を連想させた。明らかに重い一撃を受け止めて尚、まったく動じていない。


 この国に住んでいるのであれば無名とは思えないが、旅の剣士なのだろうか、と少年はぼんやりと思った。


 そのまま素早く剣を(くる)むように肩布を動かす乱入者に、騎士も慌てて剣を抜きに掛かる。


「遅い。『瞬間凍結インスタント・フリーズ』」


 だが、時既に遅し。何時の間にか路地から姿を現した女が、杖を掲げると、たちまち騎士は薄い氷に覆われて氷像と化した。


 女はとんがり帽子にゆったりとした黒いローブ、病的なまでに白い肌と、いかにも魔女然とした格好である。とんがり帽子の影の下で、青紫の瞳が怪しげに光っていた。


「ふむ……魔法の鎧か。まあ死にはせんだろう、急いだ方がいいな」

「分かった、行こう。……立てるか?」


 呆気にとられながら助け起こされた少年は、思わず口を開いていた。


「あ、あんた達、一体……?」


 乱入者二人は一瞬、互いに顔を見合わせる。そして、不意にくすくすと笑うと、女の方が言う。


「私はマーガレット、そっちはディロック。ただの旅人さ……少々、過剰戦力ではあるがね」

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