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青空旅行記  作者: 秋月
二章 本の国ルィノカンド
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七十四話 旅は道連れ

 暴徒達が我に返り、事態が収束した翌日、ディロックは宿を引き払った。時計を見た限り、朝八時ほどのことだ。


 普段なら、いつも通り朝の鍛錬を終えるとだいたいこの程度の時間になる。そうして、ここ一ヶ月ほどの日常で言えば、このままガイロブスの店である"大きな小人亭"に寄るのだが、今日はそうしなかった。


 道を適当に進むと、そのうち大通りに出た。


 すでに暴徒の影もなく、街はぼちぼちと人影が見受けられた。少しずつ人通りが多くなっており、おそらく昼を過ぎないうちに山ほどの人で溢れ変えるだろうと簡単に予想がついた。


 ディロックは賑やかになりだす大通りの、端っこの方を歩いていく。騒ぎについて語り合う者、困惑しながらも日常に戻る者、様々な表情が見受けられた。


 少し進むうちに辺りは以前の活気を取り戻したのか、遠くで大きな声が聞こえた。怒号ではない、理路整然と主張を語る声だ。内容は、昨今の魔法学問体系に疑問を呈すというものであった。


 論争であろう。凛と冴えた良く通る声は、書生とは思えないほど明瞭かつ大胆で、対する相手も負けず劣らずの大きな声で自らの主張をぶつけ合う。


 そうして相手の考えを知り、自分の主張の欠陥を知り、同時に相手の主張の欠陥をも知る。そして二つを掛け合わせ、真実に近づいていくのだ。彼らの学問の根本は、まず受け入れて考えることから始まっていく。


 それが、書生の集まる"本の国"のあるべき姿なのだろう。遠くで聞こえる爽やかな真実の探究者たちの声に、ディロックはわずかに微笑んで、しかし振り返らずに歩いていく。


 強く、そして爽やかな場所だ。たったそれだけで、彼には酷く眩しかった。


 過去に執着し、(みずか)ら背負い込んだ罪が自分自身を縛りつけ、何の目的もなく歩く彼には、到底にあわない場所だ。少なくとも、彼はそう思い込んでいた。


 ――行こう。此処もきっと、俺の居る場所ではないんだろう。


 そんな言い訳を自分にしながら、彼はいくらかの手続きを終え、王都の門を出た。爽やかに晴れ渡った空が、どこまでも続いている。


 後悔がない訳ではなかった。ガイロブスにもマーガレットにも挨拶無しで出て行くことに強い抵抗感はあったし、事実何かしらだけ告げて行こうとはじめは考えていたのだ。


 だが、もし引き止められたら。もし、中身の空虚さが白日の下にさらされたら。そんな事を一瞬考えて、結局足を向けられなかった。それが全てである。


 報酬らしい報酬もない。高等な魔法の道具や聖水も、かなりの量を使ってしまったし、補充するあても無い。これからしばらくは節約生活になるだろうと思ったが、そのことに後悔はしていなかった。


 自分もマーガレットも、そしてガイロブスも死ななかったから、それで十分だと思っていた。逃げたくない一心で戦った彼であっても、それだけは嘘偽り無い本音であった。


 目を空から地面へと戻す。道は青い空と同じように、ずっと向こうまであるように見えた。


 そうして、旅を再開しようとする彼であったが、一歩を踏み出す前にその背に声を掛ける者があった。


「まぁ、そんな事だろうと思っていたがね」


 ハッとして振り返れば、真っ黒なローブに身を包んだ魔法使い――マーガレットが佇んでいた。とんがり帽子の隙間から、青紫の瞳がまっすぐと彼の目を射抜いている。


「まったく酷い話だな、ディロック。国を救ってくれた恩人に感謝もさせてくれないのかね?」

「……いや、その……そういう訳では、なかったんだが」

「ではどういう事なんだね」


 マーガレットが厳しく問い詰めると、ディロックは素直に、すまん、と呟いた。結局本心がどうあれ、二人から逃げ出そうとしたことは紛れも無く事実であったからだ。


 そうしてふと、ディロックは彼女の姿を見た。一見するとローブにとんがり帽子と普段の姿なのだが、一つ明確に違う点があるとすれば背中だ。


 その背に負った背嚢はかなり大きく膨らんでおり、これから遠出でもするのかと言う大きさになっている。そう考えても十二分なほどに詰め込んでいる用でもあったが。


 何処か行くのか、と彼が問い掛けると、マーガレットはうむ、と頷いて、杖でディロックの方を指し示した。


「君についていこうと思ってね」

「……?」


 一瞬、マーガレットが何をいっているのか分からず、ディロックは首をかしげてもう一度問い掛けたが、答えは同じだった。


「正気か?」

「無論だとも。私なりの恩返しだ」


 こまり果てるディロックであったが、その思考は既にマーガレットを仲間に加えたときの算段を始めていた。


 先の戦闘で、ディロックは魔法の道具を失いすぎた。無論必要な出費だったとはいえ、今の所金策の手段が無い彼にとって、魔法を十全に扱える人員は山の様な金塊のより価値のある存在である。


 それが無償で付いてきてくれるというのだ。理詰めで考えれば断る手は無い。しかし、ディロックはそれを何とか拒絶しようとした。


「しかし、ガイロブスはどうする」

「ガイロブスとはもう話したよ。別れも告げてきた」


 ――帰ってくる場所は残しておいてやるだなんて、にあわない言葉だ。


 マーガレットは、親友たるガイロブスの言葉を茶化すように笑う。理詰めでは拒絶する理由がなく、その上、既に話をつけてきてしまっている相手を無碍にすることは出来ない。


 小さく溜息を吐くと、ディロックは最後の確認として、マーガレットの目を見つめて問い掛けた。


「それが今生の別れかもしれない。……本当に良いな?」

「無論だとも」


 彼女は間髪入れず頷くと、続けざまに笑いながら言った。


「それに、君に付いて行くと楽しいものが見れそうだ」


 ディロックは再び、大きな大きな溜息を吐くと、振り返らず歩き始めた。その横に、黒い魔法使いが並ぶ。


 "旅は道連れ、世は情け"という言葉がある。なら、これもまた旅だと、ディロックは半ば諦めながら、果ての見えない道を二人で進み始めた。

第二章、本の国ルィノカンド編、完結です。


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