六十九話 衝突
ディロックは、吹き荒れる魔力の渦の中を、必死に抗いながら剣を振り回した。
亡霊とマーガレット、魔力という面に於いて、埒外の領域で並び立っている一人と一体の間で防御に回るという事は即ち、嵐を乗りこなして海を渡るよりもずっと不可能に近いことだ。
それでも戦えているのは、ひとえに金属の鎧と生来もっていた頑丈さゆえ、そして剣に振りかけた聖水による加護だろう。それらが無ければ、一瞬のうちにバラバラになっていたことは想像に難くない。
亡霊は憎悪のままに魔法を乱射し、マーガレットは防御まで行いながら詠唱を続けている。その余波だけでこれだ。彼はこの場における己の矮小さを理解しながら、それでも必死に抗い、剣を振るった。
幸か不幸か、彼の剣の腕は上等なものだ。さながら嵐のごとく荒ぶる魔力の渦の中でも、攻撃としてなりたつ程度の斬撃を放つことが出来た。
聖水の気配を嫌って亡霊が避ければ、僅かに攻撃の手が緩む。その間に、出来るだけの事をするべく手を伸ばした。
彼は近場に捨てて置いた背嚢から丸められた羊皮紙を取り出すと、その封を素早く破る。羊皮紙には無数の奇妙な文字が描かれていて、彼がそれを掲げ念じた瞬間、淡く光を放ち始めた。
二人を包んだ光の壁は、紛れも無く『防護』のそれ。取って置きの巻物であった。
巻物は魔法の心得を持たない戦士であっても、念じれば使える便利な品だが、その分高価な上魔法の指輪と違って全て使い捨てだ。痛い出費だが、死んでは出費も何も無い。
「かなり上等な品のようだが、大してもちそうにないぞ!」
「分かってる! 次々行くぞ!」
詠唱の僅かな隙間を縫ってマーガレットが叫ぶと、彼もまた叫び返す。
魔力の渦の中にあって尚砕けないだけ十分な品なのだが、亡霊の魔法の前には一撃もてば良い方だろう。
その隙に再び背嚢から新たな道具を引きずり出す。それはディロックの肘から先程度の長さしかない短い杖だったが、いたる所に複雑怪奇な紋様を持ち、先端には黄鉄鉱による装飾が施されていた。
「迸れ『雷撃』!」
杖の先から放たれたのは槍の如く飛来する雷だ。攻撃用の魔法として『火球』に次いで最も一般的な魔法、『雷撃』を発動することの出来る短杖である。
巻物ほど簡単に扱う事はできないが、本来魔法を扱えない戦士が、魔法を放つことが出来るのは大きなアドバンテージである。
宙を舞う紫電は、今まさに次なる魔法を繰り出そうとしていた亡霊に直撃する。マーガレットの魔法ほどに威力を持たないそれは、しかし攻撃の中断という戦果を上げることに成功していた。
彼は短杖の魔力が切れるまで、続けざまに『電撃』を放つと、背嚢から更なる道具を取り出しては亡霊に魔法を打ち込んでいく。
次々に放たれる多彩な魔法は、確実に亡霊の動きを阻害し、魔法を弾き、マーガレットの詠唱の間を保つ。その手腕は相当に手馴れたものであり、魔法の道具への習熟が見て取れるようであった。
しかし、古代の亡霊に通用するほど高品質な魔法の道具は、例外なく高価である。惜しげもなく放出こそすれ、残弾はそう多くないのが現実だ。
もったとして、後二分か三分程度。魔法の品が尽きれば簡単に崩れ去る均衡でしかない。ディロックは覚悟を決め、また一本の魔法の短杖を使い切ると、剣を両手に握り締めて掛けた。
幸いして、ディロックの剣に塗りたくられた高品質な聖水は、古代の亡霊にも十分に通用する品だ。ただの鉄の刀でしかない彼の剣は、しかし今、邪を討つ魔剣に等しい。
ひゅんっと風を切る音とともに、銀閃が宙を舞う。一撃、二撃、攻撃のたびに亡霊の体が吹き飛ぶ。しかし霧に近しいその体は、いくら吹き飛ばされても魔法を紡ぐ怨嗟の声は止めない。
そうして放たれた火球は、ディロックを呑み込んでしまえるほどに大きかったが、すんでの所で身を捩り回避に成功する。しかし、余波の熱だけで既に『防護』は悲鳴をあげていた。
――竜皮の肩布による防御があっても、直撃すれば重傷は免れない。
そう思って肝を冷やしながらも、彼は再度地面を蹴って亡霊に突進し、構築されかけていた追撃の魔法を掻き散らす。
彼が生粋の戦士であったなら、仲間を守るため、敵意を自分に集める術も持っていたであろうが、彼は旅人にして剣士、そのような心得を持ち合わせているはずも無い。
防御に徹すると言ったからには、彼女を意識させないほど威圧的に立ち回るしかない。
そして攻撃を任せたからには、彼女の手を煩わせることはできなかった。
一閃、二閃、がむしゃらに剣を振り回しては魔法から逃走し、再び突撃する。金属鎧を着込んで尚衰えぬ健脚が、彼に広い部屋の中を縦横無尽に駆け巡ることを許していた。
その動きの早さに追従できず、亡霊は苛立ち紛れに吼える。しかし、その感情の発露は、刹那を見切る彼にとっては大きすぎる隙であった。
ヒュウンッ! ひときわ大きく風が唸らせ、曲刀が亡霊を真っ二つにする。すり抜けざまに剣を振り抜いた彼の目が、金色に爛々と光っていた。
一際大きく絶叫する古代の亡霊。荒い息を上げながらも、ディロックは無理やりに笑った。




