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青空旅行記  作者: 秋月
二章 本の国ルィノカンド
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六十八話 古き怨嗟、国滅ぼしの怪

 水底の遺跡の最奥で、()()は漂っていた。


 一見すると、それは黒いもやのように見えた。


 しかし地の底を這うような低い唸り声に、もやに浮かんだ怨嗟の顔と、近づくだけで生者を威圧する黄泉の冷気は、紛れも無い亡霊(レイス)の証である。


 渦を巻き、うねり、絶え間なく膨張を続ける黒いもや。かつては人だったであろう亡霊だが、もはやその姿や行動に、意思らしい意思を見出すことは出来ないでいた。


 怨念の塊と言って良いそれは、遺跡の中に二人の人間が侵入したことを知ると、ぼんやりと霞がかっていた自我を目覚めさせた。


 ――人間、おお、人間!


 人の存在を感じるだけで、冷気はより強まり、怨嗟の象徴たるもやがぶわりと広がった。ろくな意識さえなかったはずのもやの塊には、長いひげを蓄えた醜い老人の顔が浮かんでいた。


 憎しみは力となり、魔力は渦を巻き、その言葉に力を与えてゆく。既に、何故人への恨みを募らせたのかさえ分からなくなっていたが。


 おぞましい冷気を声に纏わせて、唱えた呪文は『魔力の槍(パワーランス)』である。


 魔力に形を与え撃ちだす術は、単純だが、それゆえに強力だ。加えて、死霊の魔力によって大幅な強化も施されたそれが、通路から飛び出してきた二人に向かって放たれる。


 轟音。砂埃。


 その威力は、下手な大魔法よりもずっと高い。遺跡の一部をも巻き込んで爆発した魔法の中で、生きていられるものなどそうは居ない。


 亡霊はソレを見て満足げにし、再び自我を怨念の底に沈めようとした。


 だが、瓦礫(がれき)と砂煙の中から放たれた魔法が、彼の意識を再び覚醒させる。オオオオッ、と痛みにもがく声。正確無比に放たれた『火矢(ファイアボルト)』は、見事にもやの中心に大穴を開けていた。


 しかし、霧でできた体には、攻撃が貫通したところで致命傷足り得ない。すぐに穴を埋めた亡霊が、攻撃者の方を見やる。


 すると、瓦礫混じりの砂埃が晴れた向こう側には、濃緑色の肩布を掴んで、盾の如く掲げる男の姿があった。ディロックである。竜の皮で作られた肩布は、亡霊の魔法を正面から受けて尚、傷一つ付いてはいなかった。


「ディロック、無事かね?」


 その傍らから杖を掲げるのはマーガレットだ。『火矢』によって受けた傷を修復していく亡霊の姿を、油断なく見据えていた。


「ああ。それで、何か分かったか」


 剣を抜き放ちながら、彼は問うた。その頭には頭の半分を覆うだけの兜がはまっていて、その眼光は普段の彼よりもずっと鋭く、獣のようであった。


 その様子を見ながら、マーガレットもまた杖を突き出すような形で姿勢を正す。見開かれた青紫の瞳は、確かに亡霊の姿を捉えている。


「うむ。混沌の影響か膨張こそしているようだが、先ほどの『火矢』で体積が明確に減った。不死身ではなさそうだ」

「削りきれば勝ちという事か。それはなんとも、楽で良いな」


 健在な姿で立つ二人に、亡霊は唸り声を上げながら、怨嗟のままに呪文を唱えた。詠われるのは先ほどと同じ『魔力の槍』だが、先ほどよりも激しい怨嗟の渦を伴うそれは、たとえ竜皮であろうとも貫かんとするだろう。


 ――だが、それを易々と許す二人ではない。


 すぐさま横に向けて駆け出したディロック。ギロリ、と実体の無い瞳で老人の顔が彼をねめつけると、魔力の矛先をそちらに向けた。


 今度こそ、と亡霊は『魔力の槍』を解き放つ。渾身の力が込められたそれは、ディロックの体を貫いていく――かに、思われた。


 しかし、亡霊の予想ははずれる。確かに唱えたはずの魔法は形として現れず、力を持たないただの魔力として出現し、消えていった。


 聞き覚えのある呪文に、亡霊が老人の顔を振り向かせれば、そこには無論マーガレットが居る。詠うように唱えるは『対呪(カウンターマジック)』、あらゆる魔法を打ち消す反対呪文である。


 無論、魔法使いの腕によってその効力は上下するものの、マーガレットの力量が完全なる魔法消去を実現してみせた。


 そしてマーガレットへと意識が逸れた瞬間に、銀の刃が空を駆け抜ける。ディロックだ。貴重な聖水によって魔力を帯びた刀が、亡霊の半身を一息に吹き飛ばしていく。


 しかし、それだけでは終わらない。ディロックは素早く見を(ひるがえ)すと、亡霊の横を通り過ぎる形で跳躍。


 通り抜けざまのたった一瞬、刹那の隙間を切り抜けて、空中で乱回転しながら斬撃を放つ。一閃、二閃、およそ見切れぬ刃の嵐である。


 苦悶の声を上げながら、亡霊がディロックから遠ざかっていく。それを見て三度(みたび)の突撃を行おうとして、マーガレットの静止が入った。


 一足飛びに彼女の隣へと戻ってきたディロックへ、彼女は自分の分析内容を伝える。


「聖水のおかげか物理攻撃も効き目はあるが、やはり魔法の方が効率は良いだろう。どうするかね?」


 ふと一瞬、ディロックは思案する。獣が如き唸り声を上げながら、その身を増幅させていく亡霊を横目に、彼はすぐさま結論を述べた。


「よし、俺が防御に回ろう。詠唱は長くて良い、最大火力を叩き込め」

(うけたまわ)った。死なないように気をつけたまえ」


 二人の戦士が亡霊に向き直る。ことごとく行動を潰され、怒り狂う亡霊の雄たけびを合図に、マーガレットは詠唱を開始した。

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