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青空旅行記  作者: 秋月
二章 本の国ルィノカンド
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六十七話 お人好し

 それは天然の洞窟というには、いささか無理があった。


 およそ継ぎ目の無い石で作られたアーチは、明らかに魔法で成形されていて、何者か――魔法が使える存在――の手が加えられていることが見て取れる。


 二人が歩いてその中へと入っていくと、中には水がなく、ディロックは愕然とした。振り返れば魔法で作られたアーチを境に、水が入ってこないようになっているようである。


 マーガレットは何食わぬ顔で地面の感触を確かめながら、顎に手を当ててぶつぶつと呟く。


「ふむ……。近辺の文明には無い装飾だな」


 そう言って彼女は、ほっそりとした指を壁につけ、つ、と滑らせる。炎のシンボルマーク、山羊(やぎ)の角を模した紋様。


 そういえば、とディロックは、彼女が古代文化に興味を持っていたことを思い出す。その見識はすぐに、どの文明にもありながら排斥されてきた一団に行き当たったらしく、半ば独り言のようにそれを呟いた。


「混沌の手勢――いや、その『混沌の炎』か」


 ――"混沌の炎(ケイオスブレイズ)"。それは、人の身にありながら混沌に身をやつす者、あるいは混沌を信仰する者たちのことを指す。


 人に仇なす混沌の勢力は、人族(こちら)の世界への移住を考えている――といわれるが、実際の所どうなのかはわからない。混沌の者から聞いたという情報でさえ眉唾だからだ。


 しかし、混沌の力を目の当たりにした者たちの中には、その言葉を信じ、この世界を明け渡すべきだと声高々に叫んだ者たちがいた。それが、混沌の炎と呼ばれる者たちである。


 彼、あるいは彼女らに細かな宗派とでも言うべきものはあれど、そのほとんどは、混沌への所属を示す為炎を象徴(シンボル)として掲げる。


「山羊が加えられている所を見るに、"山羊頭(トグダーエ)"信仰か。古いな……」

山羊頭(トグダーエ)……混沌の手勢か?」

「うむ。精神への干渉、そして死霊術を得意とする混沌の輩だ……しかし、古い時代に討ち取られているはずだが」


 精神への干渉、死霊術。これまでの過程を考えるとありえない話ではないのだが、如何せん脈絡がなさ過ぎる。


 混沌の勢力、とくれば歴史の影で暗躍するものと相場が決まって居るが、三人で調査した全てにおいて、影一つとして引っかからなかったのは不可解だった。


 特に混沌の炎については、過激派が極端に多いとはいえ、あくまでも一つの宗教に過ぎない。暗部というものが存在しているにせよ、痕跡の一切を消し去れるほどの手練はそういないものだ。


 情報が足りなかったか。ただでさえ国を滅ぼしかねない亡霊を相手にしようとしている所に、混沌の手勢が居るのでは勝ち目は無いに等しい。ディロックの額に一筋、汗が走った。


 しかしマーガレットは気軽に彼の肩を叩き、杖で道の先を示した。


「ともあれ、行こうか。混沌の手勢が関わっていようと、亡霊との戦いは避けられまい」


 死ぬならそれまでだ、と笑う彼女。少し考え込んだ彼は、しかしすぐに頷き返し、先行して歩き出した。


 事実、悩んでいてもしょうがない。此処まできてしまったのだ――戦いは避けられない。逃げてしまえば命は助かるだろうが、そう遠くないうちに本の国が滅ぶだろう。それは避けたかった。


 関わってしまったから――というのは、彼にとっての都合の良い逃げだった。本当は恐ろしい。剣を握ること、そして、誰かや何かを守るという重圧が、何よりも怖かったのである。


 だからそうして、責任から逃げる理由を作った。関わってしまったからと。失敗しても自分に責任はないと言える環境を造ってきた――今回もそうだ。彼の本当の思いは、もっと遠い所にある。


 そんな彼の心中を知ってか知らずか、マーガレットは中々に軽快な足取りで道を進んでいた。


 彼が怖くないのかと問えば、ないね、と即座に声が返ってきた。


「成功すれば救国の英雄だ。心躍らないということはあるまい?」

「そうか……?」


 理解しがたい考えではあったが、そういうものなのか、と彼は一人納得する。彼の出身である集落でも英雄という存在はあったし、彼の父がまさにそれに相当する。


 ただ、彼には名誉がそんなに大事なものだと――命を賭けるほどのものとは思えず、生まれてこの方その考えを曲げたことはなかった。


「逆に君はどうなんだ。怖いのかね?」


 マーガレットが聞き返せば、彼は一瞬黙りこんだ。


 亡霊と戦うことが怖いかと聞かれれば、無論怖いに決まっている。彼にとって怖く無い戦いなどそうはない――相手は竜にさえ匹敵する相手とくれば尚更怖い。


 だが、それを素直に話すべきなのだろうか? 少し思案した末に、彼はゆっくりと口を開いた。


「……怖いさ」


 ほう、とマーガレットは小さく呟く。その声に、彼は一瞬小さく震えた。


「意外だな。無関係な君を誰も咎めはせん、逃げても良かっただろう?」

「違う。たった一人だけ俺を咎める奴が居る」


 ――俺自身だ。


 どれだけ怖くても、手を伸ばさなかったことを、俺自身が許さないだろう。だから来たのだと、彼がそう言うと、彼女は一瞬呆れたような表情をして、それからくすりと笑った。


「君は、まったくお人好しだな」


 くつくつと含み笑いをしながら歩く彼女に、彼は何一つ言い返さなかった。

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