六十四話 八方塞がり
三人はたどり着いた結論に、おもわず頭を抱えた。
国をも揺るがす亡霊ともなれば、もはやおとぎ話の域である。たった三人、しかも非戦闘員一名を含む一党、"石の杖"に一体何ができるというのか。
無論、国にこの事を知らせても良い。別段、"石の杖"の一党はこの事件の解決に対し深い考えがある訳では無いからだ。
「……なあ、もう充分じゃねぇか? 後は国に言ったら何とか……」
ガイロブスもその考えへと至り、諦めた表情で言うが、その言葉をディロックが首を振って遮った。
「ならないだろうな」
「……十中八九、な。この国の軍事力は、そう大した物ではないのだ」
彼に続けて彼女が口を開くと、ガイロブスから説明を求める目線が向かった。ディロックは腕を組んで黙り込み、マーガレットの説明を聞くつもりのようである。
彼女もまた、落ち着かなさげにとんがり帽子の端を指でなぞりながら、喋りながら言葉を練っているかのようにゆっくりと続けた。
「魔法が使える者が多いとは言えど、"上手く"使える者が多いのであって、強い魔法使いがこの国にはあまり多く無いのだよ」
ガイロブスから納得したような、それで居て悲嘆の込められた溜息が漏れた。
本の国ルィノカンドは論者の国である。どのような魔法がどのような効果をもたらすかといった、効率的な魔法の使い方こそ学んでいるが、逆に単純な強さで言えば他の国より一歩劣るものばかりであった。
その中でもマーガレット一人だけは例外的な強さを持っているが、しかし、たった一人では焼け石に水というもの。それに、本の国ゆえのデメリットもまた加わる、と彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「論で自然を語るものに、聖者は寄り付かない。……単なる聖職者なら多く居るが、神聖な魔法を使える者となると極端に少なくなる」
学者は、自然に起きる事全てを理論で話す。反対に聖職者は、宗教と神の名を以って自然を論じる。このことから、かねてより学者と聖職者は対立する関係にあり、本の国、学者の国たるルィノカンドもそこは同じだ。
どちらか一方が多ければどちらか一方が少ないのは当然のことであり、事実ルィノカンドでは、学者の数に比べれば聖職者など十分の一にも足りるかどうかという数である。
無論神学者なども居る以上、皆無とは言えないし、神を軽視するものもそうは居ないが、さりとて絶対数が少ない事は確か。その中で神聖とされる魔法を使えるものは更に少なくなることは言わずもがなである。
大規模な不浄の者――一般的に不死者と呼ばれる類――の退治に神聖な魔法というものはつき物であり、実際、あれば不死者に対してかなりの優位に立てる。
しかし、この事件で彼らを呼ぶには大きな問題があった。
「それに、神聖な魔法を使える者ともなれば、今の事態に駆り出されていない訳が無い」
「結局、そこに行き着くわけか……」
ガイロブスが天を仰ぐ。――そう、彼女の魔法によってこれから暴徒が増えることは無くても、これまでで出来た暴徒は止められない。
数が数であるため、訓練を受けている兵士達でさえ、大なり小なり損害は抑えられない。簡単な怪我であれば通常の魔法でも治せるが、それ以上ともなると、神聖な魔法の使い手が必要になってくるのだ。
「時間が経てば経つほど状況が悪くなる現状、事件の収束を待つ猶予は無い。かといって手が足りない現状、私達の不確定な証言を元に動く暇はないだろう……くそっ!」
亡霊の存在を提唱しているのは、"石の杖"の一党だけで、国は動けず、神聖魔法の使い手は、現在進行形でけが人が増えている現状動けない。
八方ふさがりという他無い状況に、マーガレットは怒りのままに机を叩き、うなだれた。ガイロブスはそれに抗議したげに流し目で見たが、結局何も言わないまま天井を仰いだ。
その表情は射抜かんばかりに鋭く真剣で、三人の話を聞いていた市民らも同様にざわつき、顔を見合わせた。
今、自分の国を捨てて逃げるか、祖国と心中するかの二択を迫られているともなれば、無理もない反応である。途方にくれたガイロブスが、天井をうつろな顔で見つめたまま、ボソりと呟いた。
「なんとも、ならんのか……」
「……いや。まだ手はある」
ぼそりと呟く声に、その場に居た全員の視線が殺到した。ディロックである。
その勢いに一瞬驚いたが、しかしすぐに姿勢を正すと、彼は自分の背嚢を軽く叩きながら言った。
「本職に比べれば心もとないが、対亡霊用の道具はある。それにマーガレット、知性を失いつつあるという事は、魔法が使えなくなりつつあるという事だな?」
「その通りだが……ディロック、まさか君は……」
少しの間、彼は目を閉じ、黙り込んだ。色々と思うことはある。
――確証などない。やれるかもしれない、その可能性だけで危険に手を伸ばしているのは百も承知であった。
しかし、立ち上がらねばならなかった。彼の奥底で眠っている懼れが、自身を諌める声よりもずっと高く大きく響いていたのだ。"見捨てて良いのか"と。"また繰り返すのか"と。
だから。彼は目を見開いてその場に居る全員を一瞥した。皆一様に恐れながら、しかし希望を見出した顔。一度口に出してしまった以上、引っ込みは付かない。何度も自分にそう言い訳をして、ようやく彼は口を開いた。
「亡霊を、討とうと思う」
「勝算はあるのか?」
疑惑と困惑の目が彼に向けられる中、真っ先にマーガレットが言った。その言葉にはかすかな信頼と、この状況を変えたいという静かな意思が宿っている。
この場に居る彼以外が、誰しもそうなのだ。皆ルィノカンドに在住する者たちであり、その大部分がこの国で生まれ育っている。誰が好き好んで故国を捨てたいと思うというのか。
ましてや、今回は亡霊による災害に近いものだ。唐突な嵐で自ら国が吹き飛ぶことを納得できる人間は居ない。何とかしたい、そう思っている全員の心を、彼女はどこか凪いだ口調のまま彼にぶつけたのだ。
そしてその言葉に対し、ディロックは小さく頷くと、自らの背嚢をあさり一つの小瓶を取り出した。中には無色透明ながらも、不可思議な輝きを宿す液体が入っている。
「それは……」
「昔、貰った報酬――聖水だ。かなり高位のな。出所は聞かないでくれ」
聖水。それは、神聖な魔法の代替品となる品の一つだ。
武器や道具に振り掛ける、自分で飲み下す、敵に直接掛けるなど用途は様々だが、効果は単純明快、『不死祓い』である。
神聖魔法としては、身体の回復に次いでよく知られるほど、極々一般的な魔法である。
しかし聖水を含む『不死祓い』の品は、製作に使う魔法が高位になればなるほど、比例して効果は高まっていく。最高位のものともなれば、近くにあるだけで不死者を消し飛ばしてしまうほどだという。
ディロックの持つそれは、およそ下位以上、上位未満と言ったところで、弱い不死者程度であれば簡単に消滅を促せる代物だ。消滅まで行かなくとも、かなりの大打撃を与えられる。
「後何本か持っている。全部使っても俺一人では倒せんだろうが……」
あと少し追加の戦力があれば、そう言って彼は言葉を切った。
亡霊との戦いで足手まといにならない程の戦力が、この学者の国にどれほど居るだろうか。数少ないそれらも、今は暴徒鎮圧に向かっている。
ルィノカンドに残された動ける戦力は、もう底を突いている。それは外国から来た渡りでしかないディロックですら分かっていた。
結局無理なのか。彼が頭を抱えかけたその時に、かたわらで彼女が声を上げた。不敵な笑顔でとんがり帽子を直しながら、不安を目の奥に押し込んで。
「良いだろう、乗った! 私がその、"追加の戦力"になろう」




