五十七話 不審遺跡の調査
「不審な音、か。ふむ、君はなんだと思うかね?」
その言葉にふとディロックは顔を上げた。手の上で転がしていた石ころは適当に投げ捨て、何を急に、と問いを返した。
石の床を靴底が打つ音。静寂の中に、突如として放り込まれた言葉は、否が応にも聞こえるというもの。その分敵がいれば格好の的ではあるがしかし、マーガレットは気にせず、ディロックもまたとくに警告したりはしなかった。
というのも、そこは既に調査済みの遺跡。敵らしい敵など出るはずもないからである。そして同時に、宝の類もありはしない。
では何故、そんな場所へ二人が赴いたのかと言えば、無論依頼によるものである。
しかしながら、以前マーガレットが受けたものとは違って調査済みであるため、遺跡そのものの調査ではない。今回は、不審な物音の調査であった。
「さてな、俺にはとんと検討もつかんが……大方、監視の目を潜って動物かなにかが入った程度では?」
「私も同意見だ。しかしそれにしては、痕跡がない」
二人が同時に立ち止まると、ザッと音がして、足元の砂埃がかすかに宙を舞った。大方、風によって外から運ばれてきたものだろう。そして振り返っても、そこまで歩いてきた二人以外の足跡を見つけることは出来ない。
もし彼が言ったように、動物が入り込んだのだとすれば妙なことである。たとえ足跡を隠蔽する習性を持った動物であっても、痕跡を隠しきることなど出来ない。
となればどうあっても隠蔽の痕というのは見受けられるし、それを見つけられない二人ではない。
「……だが、動物でないとして、他に可能性があるのか?」
半ば自分に問い返すようにマーガレットが呟いた。呟き声が幾分か、静かに反響していく。
反転して歩き出したかと思えば、またすぐに踵を返した。何事かをしきりに――いくつか、ディロックにも理解できない言語で――呟き、そうして深く思案しているらしい。
もはや踏破されたものとはいえ、あまり無用心に動き回るのは褒められた者ではない。しかし深く思考の海へと沈んでいる彼女には、ディロックは眼中に無いのか、彼女が動き回るたびにディロックはそれを避けなければならなかった。
もとより、思い出すのはまだしも考える、と言うのはどちらかといえば苦手である。言語学に長けたのも、旅をするのに都合が良いからであった。
実際、古代語を正確に翻訳するとなれば、常にディロック自作の古代語辞書を片手に持っていなければ碌な翻訳は出来ないだろう。付け焼刃を定着させたような語学ではそんなものである。
ともすれば、二人は本来、教養的な問題で遠く離れた人間である。容易に口出しできるはずもなく、結局彼は、マーガレットから目を離して周辺警戒に務めた。
いかに人工の光源が設置された後だとは言え、全く日の光が通らないためか、遺跡内には常に薄暗闇が張っていた。
ただ、夜闇を――完全にではなくとも――見通せるディロックには、あまり関係の無いことだった。薄暗闇程度であれば、それは彼にとって無いも同然のものであるのだ。
そうして暗闇へと視線を投げつけているうち、ふとディロックはある事に気付いた。ほんの僅かな違和感であったそれは不自然へと変わり、時間が経つにつれ不安へと変わり始める。
「砂埃が……やけに、多いな」
明らかに不安さのこもったその声に、マーガレットもまた反応して顔を上げる。が、すぐに首をかしげた。
マーガレットは魔法使いだが、しかしその分、身体能力は人並みだ。故、ディロックほどに闇を見抜くことは出来ない。光の反射で浮かび上がる砂埃の幾つかを何とか捉えた程度だった。
「そうかね? 私達が歩いたからでは?」
「それにしては、舞いすぎだ。一旦戻ろう、いやな予感が――」
――ディロックがそういいかけた瞬間、遺跡全体が大きくがくんと揺れた。
逃げるべきだ、と直感が絶叫を上げる。駄目だ、駄目だ、ここにいてはいけない! 頭の中でそう叫ぶ声にしたがって、ディロックはマーガレットの手を咄嗟に掴んで引き寄せた。
その判断が功を奏した。彼女の手を掴んだその瞬間に、彼女の足元へ、円形の大穴が口を開けたのである。
いかに鍛えているとはいえ、急に加わった落下の力に耐えられるような剛力は持ち合わせていない。ほとんど引っ張られるようにして前のめりになり、マーガレットもろとも穴へと落下しかける。
落下の力に引っ張られ、既に踏ん張りの効かない状況を抱えながら、彼は反射的に残った右手を振りかざした。
そしてその必死の抵抗が、穴へ落下する寸前、穴のふちへと届いた。
掛けた手によって急激に勢いをそがれ、中空へ静止する二人。二人分の重量と勢いが手を引き剥がさんと襲ったために、彼の手には凄まじい負荷が掛かっていた。
その痛みに耐えて顔をしかめながら、揺れが収まるのを待つ。幸い、突発的なものであったのか、はたまたそういう風な構造なのか、振動はすぐに止まった。
片手でぶら下がりながら、彼はほうと溜息をついた。体が直感的に動いていなければ、今頃マーガレットか、あるいは二人とも穴へ落下して居ただろうという事実に対する安堵感からである。
とはいえ、まだ宙ぶらりんの状況が解決した訳ではない。震える手に力を込めて抑えこみながら、ディロックは手を掴んでいるマーガレットへ声を掛けた。
「無事か?」
「うむ、おかげさまでな」
彼女はといえば、ディロックよりは鍛えられていない分、肩の痛みに耐えかねているのか大分顔をしかめている。掴んでこそいるが、そう長時間は耐えられない事は目に見えていた。
彼は滑らないよう慎重に、床材の境目に指をねじ込む。下手をすれば爪が剥がれかねない危険な行為だが、しかし二人の現状は、ディロックが握力のみで何とか穴のふちにつかまっている状況である。
そうでもしなければ、何かの瞬間に指が滑ったときがおしまいである。肩と爪が悲鳴をあげ、引きちぎられる様な痛みを訴える中、ディロックは僅かずつ上昇し始めた。
滑らないようにと注意を払い集中すればするほど、上る速度は遅くなってゆく。彼がようやく肘を元の地面へ乗せられたのは、上り始めて約三分ほどした頃であった。
僅かな安心に、彼の額から汗が噴出す。当然、余裕は殆ど無かった。
何せ、人一人分の重量を持ち上げるというのはそう簡単なことではないのだ。しかも、踏ん張りの利かない状況ではその難易度はより上昇する。並大抵の戦士であれば何の抵抗も出来ずに落下していてもおかしくは無かった。
肩が悲鳴を上げるのを痛覚で感じながらも、歯を食いしばって、何とか肩口程度まで穴を登りきる。ここまでくれば、後は体を持ち上げるだけだ。精神的にも肉体的にも打ちのめされてこそ居たが、彼は窮地を脱していた。
しかし、体を上に上げるその前に、先にぐいと左手の方を持ち上げる。既に右手で踏ん張りが利かせられる為、マーガレットの重量は軽くないが、それでも先ほどよりはずっと簡単に持ち上げられた。
一度彼女の手を穴のふちへ掛けさせ、そのまま右手で自分の体を引き上げる。そして改めて、両手でマーガレットを地上へと持ち上げた。
「すまん、助けられたな」
肩を軽く回しつつ、彼女は言う。その顔にはディロックほどではないが精神的な疲弊が色濃く残っており、これ以上の探索はどうにも難しそうだと自他ともに気付いていた。
「まあ、気にするな。俺も事前に罠を察知できなかった」
「いや、罠と言うより、これは」
彼女はなにかをいいかけながら、慎重に穴の中を覗き込む。魔法によるものだろう、外から見れば真円形に開かれたその大穴は、しかし遺跡の床に消えることなく残っていた。
そして、マーガレットの視線の先には、魔法によって隠蔽された隠し通路が、ただ静かに侵入者を待ちほうけていた。




