五十四話 裏町情報
目が覚めて、ディロックはまず、後頭部に酷い痛みを覚えて、みじろぎした。
頭を抑えようにも、どうやら手を拘束されているらしい。少なくとも、手は自由に動かせなかった。改めて状況を理解するべく、じっと暗闇を見据えて、夜目を効かせる。
こと便利な身体をして生まれてきたものだと、自分で自分の特技をありがたがりながら部屋に目を凝らすと、どうもここは、独房のような場所らしい。正面には鉄格子が見える。
かといって、留置所、と言うわけでもなさそうだった。そうであるならば、格子窓の一つや二つ、あってもいいはずだ。
ところが、此処には窓一つ無い。それどころか、ろくな明かりもないのだ。真っ当な施設と考えるには、いささか無理があった。
感覚を信じるなら、手はロープで縛られているらしく、それもかなりきつい。縄抜けの余地も無く、ディロックは四苦八苦しながらなんとか上体を起こした。
すると、ディロックが起きた物音に気付いたらしい。天井から、コツ、コツ、と足音が響いてくる。
なんにせよ、すぐさま殺される、という事は無い、とディロックはどこか諦め気味に考えた。
なぜなら、有無を言わさず殺すというのなら、態々牢に入れる必要は無いからだ。裏通りという事をさしおいても、人目につくデメリットも避けがたい。
その上、装備らしい装備もはがれてしまった今、抵抗のしようもなかった。
カンテラを手に降りてきた男は、どこか不気味な雰囲気をたずさえた男だった。頬はこけ、肌は浅黒く、目からはあまり光を感じない。幽鬼と言っても頷ける見た目だった。
しかし、男はディロックが入れられている牢の前に来て、どっかりと座り込んだ。まともに光に照らされた男の顔には、色濃い疲労があるように見えた。
「……まず始めに、手荒な真似をしたことを謝罪する。必要ではあったが、外の者に対して無礼だった」
「え、あ、ああ」
その様子に困惑しながらも、なんとか返事を返すと、男は少しだけ顔を上げてディロックの方を見た。
「こちらとしては、まずそちらの用件――ああ、裏通りまで態々入ってきた用件だ。それを知りたい」
ことと次第によっては、と言って、男は自らの腰に目を落とした。それに追随して視線を下げると、その腰帯には剣が一つ下げてあった。
気絶から目覚めたばかりでぼうっとしていた頭は、それを見てすぐに冷えた。
「情報が欲しかった。最近あった、書生の乱闘騒ぎについての、だ」
乱闘騒ぎ、と言った瞬間、男の顔が僅かに歪んだ。かすかな明かりだが、それだけははっきりと見えた。
「というと、近頃話に上がって居た奴か。単なる乱闘ではないとは思ったが」
「ああ。実行犯が居ると考えている。何でも良い、何か情報があれば聞きたい」
依然として牢とその外という関係は変わらないが、少なくとも互いに会話の余地がある事を確認できた。男はディロックへ近くに来るよう促すと、そのままロープをほどいた。
彼がいいのか? と問うと、もとよりこちらの失態だと返した。
「あの子は人間不信なところが強い。足を見ただろう。あれは、外の国から来た気狂いにやられた。それ以来気にかける様にしては居るのだが、もとより好奇心の強い子だからな」
「それで、外から来た俺を見にきたのか」
男は首を振って肯定を示した。
足を奪われた経験があっても外部の人間に興味を持つとなれば、あの子の好奇心は筋金入りだな、とディロックはぼんやり思いつつ、しかし同時に自分の失態も知った。
「つまり、俺が不用意に近づいたせいか……」
「まあ、そうなる。知らないのも仕方ないが、あの子のことに成るとこちらも敏感に成らざるを得ない。承知してほしい」
ひとまず手が自由になった彼は、牢越しに改めて男と対峙する。明かりに照らされたディロックの顔を、男は物珍しげに一瞥した。
あまり明確に口に出すものは少ないが、ディロックは大陸側ではあまり見られない肌をしており、つまるところそれなりに珍しい見た目だ。それ故にこうして見られるのは慣れているが、少し不思議な気分だった。
「それで、乱闘が起こったときの情報か。それはすぐに渡せるが……まず見返りとして、今の実力行使は忘れろ」
ディロックはすぐに頷いた。もとより口外する気も無かったが、それで安心を得てもらえるなら是非もない。
どうせ情報を得られなければただ殴られただけ、それこそ骨折り損と言うものなのだ。であれば、後頭部の痛みへの恨みなど、すぐに忘れよう、と言うのがディロックの偽らぬ本音だった。
「それから、そうだな。金品はまぁ良い。むやみにこちらの情報を流布しないという契約をして欲しい。その程度だな」
「いいのか? そんなことで」
ディロックの不躾な言葉に、男は無言でうなずいて返した。
「なに、もとよりそう大きな話でもない。わび代わりには丁度良いしな」
男はそういって手を振ると、ディロックを置いて上に上がっていった。
そうして、半刻程経ってから戻ってきた男の手には、簡易にまとめられた資料が挟まっていた。反対の手に契約書らしき紙切れも持っている。
「不審な奴の報告はないが、不審物のならある。白紙の本だ。それも、高級な奴だな」
「高級な、というと?」
「魔本さ」
格子の隙間から投げ渡された資料を見てみると、本の名前が載っていた。添付された絵は、銀糸で紡がれた題名、紺一色の不思議な材質のカバーがついた本が描かれていた。
ディロック自身はその本のことを知らないが、添付された絵から特徴を確認して、ほぼ間違いないだろうと確信した。以前本屋で見た魔本にどこか似通っていたのだ。
軽く資料を見終わって投げ返すと、丁度外から鐘の音が聞こえて来た。牢には窓が無かった為、時間は確認できない。そういえばどれぐらい意識を失って居たのだろう、と彼はふと思った。
男は鐘の音に反応して上を見ると、資料とは別に持って居た契約書と羽ペンを彼に渡した。
「そろそろ日も落ちる。この契約書にサインすれば、すぐにでも解放させてもらおう」
「分かった。一応、確認しておいても?」
肯定を示すように頷いた男を見てから、受け取った契約書に目を落とす。内容としては極々一般的なもので、先ほど男があげた条件が載っている。
情報の対価として、男の居場所を可能な限り口外しない事。また、今回の暴力沙汰についてを水に流す事。後は契約としての形を成すための形式的な文章が載っている。
それらを一瞥し、これなら問題はないだろう、とディロックは頷く。正直なところで言えば、彼は契約などあまり縁がないため、妥当か否かは分からなかったが、隠し文字の類は見当たらなかったので良しとした。
名前を書き終えると、ようやく男は檻の鍵を開けた。殴られた上に、大分長いこと居た気がするが、ともあれ多少なり情報は手に入った。
完全には無駄でなかった事に安堵しながら、しかし、心はもやが掛かったようにすっきりとしなかった。それは事件云々ではなく、足の無い少女のことを思ってだ。
「どうした? まだ頭が痛むか?」
「ああ……いや」
出てこないディロックに対し、男が問い掛けると、彼はハッとして立ち上がった。
脳裏には、ある少女の面影が浮かんでいた。遠い昔、旅をする前、少年でしかなかった日の事を。
檻の外へ歩き出して、思い出しかけたそれから目を逸らす。痛々しい姿の、あの少女は違うのだと自分に言い聞かせる。記憶の中の彼女は、もう死んでいるのだと。
その後、目隠しをされながら裏町を出た。鍛冶屋を出た時は晴れていたはずだが、大通りに出る頃には、灰色の空が広がっていた。




