五十二話 静かな夜
「大収穫だ」
調査書をまとめながら、マーガレットは上機嫌にそう言った。
というのも、ゴーレムの言葉を翻訳した結果、遺跡内部の構造や、展示された壁画や文書の詳細が判明したからである。
基本推測に推測を重ねるほかないこの時代の調査で、これほど確信を持って書ける調査書はないのだ、と彼女は言う。ディロックは曖昧に返事をしながら、水筒に口を付けた。
そうして見下ろした地図は、壁画ごとの細々とした注釈――人型ゴーレムの紹介を翻訳したもの――が貼り付けられており、かなり出来のいいものといえる。
情報量、そして情報の正確さという面で見れば、並の調査書など比べ物にすらならないだろう。
「いま少し時間を掛けて調査を行うべきではあるがね。未調査区域だった場所は、大分調査できたと言って良いだろう。予想以上の成果だ」
何度も頷いて成果に喜ぶマーガレットに付き合いきれず、適当な相槌を打ちながら、ディロックは人型ゴーレムの前にしゃがみこんだ。
それは彼女の手によって機能を停止し、もう動き出す事は無い。
完全に壊れないうちに、その技術だけでも保存しなければと停止させたゴーレムは、静かに瞳を閉じ、横たわっている。人の死と大して変わらない。経年劣化による停止――すなわち老衰死が、安楽死に変わっただけだ。
命令を書き込まれて動いていただけのゴーレムに魂があるかは定かでは無いが、それでも健気に客を待って居たのであろうそれの為に、ディロックは祈る事にした。部族の崇める神、すなわち金眼虎に。
しゃがんだまま右手で握りこぶしを作り、顔の前に掲げ、瞑目。左手はゴーレムの額へとそっと添えた。
それは人が死ぬ時、魂を導く為訪れ、その口にくわえて月まで昇っていく虎なのだという。誠実であった者ほど、丁重に扱われ、月の国で敬意を払われるのだ。少なくとも、ディロックの部族ではそう伝わっている。
マーガレットはそれを見て、一瞬口を開いたが、結局何も言わないまま閉じた。ただ彼の祈りが終わるのを、調査書をまとめながら待っていた。
少しして彼が目を開けると、それに気付いて、彼女も報告書を丸めて紐で縛った。
「時間をとらせたな」
「なに、構わんよ。私も昔似た様なことをやったことがある」
しかし、と言って、マーガレットは杖を抱えなおす。
「人型ゴーレムの話を聞く分で、すこし時間がかかりはした。そろそろ戻るとしよう、野営も必要になりそうだ」
街と遺跡にはそれなりの距離がある。マーガレットが居るために時計を見ることはできないが、体感時間から考えると、もう月が中天に差し掛かる頃のはずだ。
この時間から遺跡を脱出して、そのまま夜が明けるまでに街に、とはいかないだろう。
であれば、完全に明かりがなくなってしまう前に野営を始めてしまうべきだろう。
「そうだな……少し急ぐか」
そういって頷き、彼は少し早足で来た道を戻り始めた。マーガレットも、適当に距離を開けて歩き出した。
遺跡の出入り口まで戻ると、二人はすぐさま野営の準備を始めた。
幸いにして、入り口は広く、屋根もある。地面が石なのはいかんともしがたいが、それも毛布を敷けば大した問題ではない。
マーガレットに毛布やカンテラやらの世話を頼むと、ディロックは単身、近くの木立まで歩いていった。枯れ木があれば良いが、無ければ無いでまじないでも何でも使えば良い。
彼が適当な木の枝をいくらか見繕って戻ると、マーガレットは既に毛布を敷き終え、杖の手入れをしているところだった。
たかだか木の杖といえど、そんな事を魔法使いに言えば、激怒する事間違いなしだ。なぜなら、それは彼らの生命線、戦士にとっての武器に他ならないからである。
魔法使いにとって、死活問題だ。
杖が無くても魔法は使える。言葉を発する喉さえあれば、力ある言葉を唱える事は出来る。だが、杖の有無で、その威力、効力は大きく変わる。
たとえまともな陣も刻まれていない安物の杖だとしても、僅かながらに魔法を強化する。その僅差が誰かの命を救いえるのだから、到底馬鹿にしてはいけない。
さらに、魔法の起点となる杖は、雷を受け、炎で焦げ、氷雪に苛まれる。整備を怠って、折れたり、陣が壊れたりしてしまえば、杖は杖として機能しなくなってしまう。
杖を粗末にする魔法使いは、愚か者を意味することわざにもなっているほどだった。
だからディロックは何も言わずに、彼女から少し離れた所に腰を下ろすと、そのまま木の枝を組み始めた。
焼け落ちて枝が折れても、どこかへ転がっていかないようにそれらを組むと、火種の藁屑をその中へと放り込む。そしてカンテラから蝋燭を燭台ごと抜き出すと、火種へと近づけた。
蝋燭の火が触れるか触れないか程度の間合いに近づくと、藁屑はすぐに発火した。火種はすぐに乾いた枝へ燃え移り、そのうちに炎になった。
パチパチ、と火にさらされた枝が小さく爆ぜる。ニ、三本の枝を放り込むと、火は少し勢いを増して、二人の顔を橙色に照らした。
「……ふむ、流石というべきか。慣れたものだ」
「まあ、それなりに長く、旅を続けているからな」
マーガレットからのちょっとした賞賛に相槌を打ちつつ、彼もまた、剣を引き抜いた。
鈍色に光を反射する刃は、業物といえるが、しかし魔法などが掛かっているわけではない。石を斬った。斬れる様に斬ったとはいえ、それでも石は本来斬るものではない。割るか砕くかするものだ。
ゆえに、どれだけ良い剣だとしてもそんな使い方をすれば刃こぼれもする。問題ないとは言ったが、それはあくまでも継続戦闘は、という意味だ。
目と並行に刃を倒し、そっと斜めに傾ける。すると、光にすかした刃に、三つ、四つ、刃こぼれが見えた。
欠けというほど大きくは無い。うち二つは見間違えといっても否定されない大きさだが、それでも不安要素はなくしておくべきだ。
ごそごそと小さな砥石を取り出す。大きさは大体、手のひらに綺麗に収まるぐらいのものだ。それを、刃の根元から先端に向かって滑らせる。
シィンッ、シィンッ、と金属を削る、比較的心地のいい音が響く。
やりすぎれば逆に切れ味を損なう結果になりかねないので、刃こぼれが見えない程度で止めて砥石を置き、横に並べておいてあったオリーブオイルの小瓶を手にとった。
油は整備の道具だ。滑りを良くしなければ斬れないのもそうだが、何より、油を塗る事で剣身をある程度保護する事ができるのだ。
刃が毀れれば、欠けた刃が飛んで顔などを傷付けることもある。毀れ傷というのだが、そういったことを少なくするのも油の役目だ。
オリーブオイルを剣にたらし、薄く薄く刃に延ばして広め、後は羊毛でその油を拭う。
ちょっとしたことが命を救う。魔法使いも戦士もそこは変わらないのだ。
無言の二人を夜闇が包む。もう外はすっかり暗くなってしまい、星がその姿を現し始めている。いくらかの作業音と、火の爆ぜる音だけが、しばらくの間響いた。
「……ふむ」
そんな中、沈黙を打ち破ると、マーガレットはそのまま、一人呟く。何気ない言葉ではあったが、しかし、それは深く思いを込めたような言葉だった。
「こういう夜も、中々、良い物だ」
ディロックは一瞬、手を止めて黙り込んだ。
彼はマーガレットの過去など知らない。偶然めぐり合った、一期一会の人でしかないのだ。ただ、ずっと一人旅をしてきた彼も同じような事を思って、少しだけ考えた末、一言だけこぼした。
「俺も、そう思う」




