四十九話 マーガレットの依頼
資金難について、なんの解決策も浮かばないまま朝を迎えた彼は、酷い顔でガイロブスの店で朝食をとっていた。
コーヒーを啜り、苦味に顔を歪めていると、ふと入り口に着いたベルがなった。マーガレットが入店してきたのだ。そして彼の姿を見つけると、どこかうれしそうに小さく笑みを浮かべて近づいてくる。
そのまま断りも無く正面の席へ座ると、彼女はまず、ディロックの目元にこびりついたくまを指摘した。
「酷い顔だ。いったいどうしたというのかね」
「ああ……。少し、懐が厳しくてな。武具の修理にも手が回らん」
ディロックはずず、ともう一度コーヒーを啜ると、はぁ、と溜息を一つこぼした。溜息をついてどうにかなるわけではなかったが、それでもせずには居られなかった。
彼女もまた朝食に軽いものを注文して彼の方へと向き直ると、悪戯を始める子供のように、嬉々として話しかけた。
「金が必要なら、ちょうどいい。君に頼みたい事があってね」
頼みたい事、と彼は小さく口の中で呟いた。どんなことにせよ、こうして切り出すからには、大なり小なり厄介ごとに違いないのだ。
しかし、金が条件であれば、少なくとも日雇いの仕事より安いという事はあるまい。まして冒険者からの頼みともなれば、なおさらである。
もとより選択肢など無いようなもので、それらを天秤に掛けるよりも先に、ディロックはその口を開いていた。
「話を聞こう」
「うむ」
もちろんだ、と続けるマーガレット。彼は軽く頭を掻いてから座りなおし、話を聞く姿勢を整えた。
「何、大したことではない。最近新しく遺跡が出てきたらしいんだが」
そういって彼女は、鞄から丸められた羊皮紙を取り出すと、料理やコーヒーを端へ追いやって机の上に広げた。
そこには、おそらく遺跡の地図なのであろう図形が細かく書き込んであり、一部の壁や部屋には注釈のようなものが入っている。
おそらくは実際に観察し、その内容を書き込んでいるのだろう。凄まじく濃密に情報を詰め込まれた遺跡図に、ディロックは思わず目を瞬かせた。
「中の魔法人形が中々厄介でね。ここいらから先の調査がまだ進んでいないのだよ」
ゴーレム、と小さく呟く。そして苦手な相手だ、と小さく続けた。
やってやれない事はない。しかし、ディロックの得物はあくまでも曲刀なのだ。柔らかい物や、鱗の隙間を切り裂くのならまだしも、硬いものを切るのには向いていない。
彼の技量を持ってすれば、魔法人形とて切れないことはあるまいが、その代わりに曲刀の刃は磨り減るだろう。下手をすればへし折れかねない。
そんな彼の不安に、もっともだな、とマーガレットは頷く。
「君の得物と相性が悪いのは分かっている。だが、私はあまり人づきあいが良い方ではなくてね。知っている中で信用できる前衛と言うものが一人もいないのだよ」
それはまた、とディロックは途中まで呟いて、止めた。珍しい、と続けようとしたのだが、これから依頼人になるかも知れないマーガレットの機嫌を損ねるのはあまり得策ではないと思ったのだ。
冒険者といえば、その名の通り冒険――この場合、怪物退治から遺跡探索までの手広い事業を言う――するものである。
程度は違えど、何かしらの脅威に会う事は珍しくなく、それらの全てに一人で対処するのは難しい。ディロック含め旅人は逃げるという選択肢もあるが、冒険者は大体が依頼を受けており、それらに立ち向かわなければならない。
となれば、一人で対処できないなら二人、二人で無理なら三人となるのは当然のことで、術を唱えるのにそれなりの時間が必要な魔法使いが単独と言うことはほぼないのである。
時たま、詠唱の時間を自前の近接戦闘でやり過ごしたり、むしろ剣をもって積極的に戦う魔法戦士などといった存在もいるが、それは例外である。
「私はこの通り、男口調でね。育ちが問題なのだが、やはり女は女らしくしろと嫌う者の方が多いのだよ」
「……まあ、何処にでもそういう人間はいるからな。しかし、会ったばかりの俺で構わないのか?」
同じぐらい信用できないと思うんだが、とディロックは言った。それはそうだ、自衛のできる旅人というのはそれこそごまんといて、その戦闘能力はピンからキリまでいるのだから。
「君の振る舞いを見ていれば技量は分かるさ。かなりやるほうだろう?」
しかし彼女はあっけらかんとした風にそういい、彼はふむ、と小さく声を漏らした。
依頼内容そのものは彼に不向きだが、腕に期待されていると言われては、喜びこそすれ嫌いなどしない。それに、つい最近に発見された遺跡と言うのも中々気になる単語である。金も貰えるのであれば言う事なしだ。
好奇心と金、それに対して安全。改めて天秤に載せられたそれは、すぐに片方へと傾いた。無論、好奇心と金のほうへ、である。
「分かった、受けよう。だが、互助組合を通さないのだから多少の粗に文句は言うな」
「無論だとも。むしろ、完璧という冒険者ほど信用出来ないものはない」
その日の午後、早速二人は準備を済ませて遺跡の調査へと臨んでいた。
苔むした石造りの小ぶりな入り口を抜けると、中は思ったよりも湿気が無く、ひんやりとした空気が漂っていた。マーガレットが行使した『光明』が青白く壁一面を照らすので、なんとも不気味な雰囲気が漂っていた。
しかし、それで取り乱すほどディロックは初心という訳ではない。程良いぐらいに緊張は保っているが、しかし過度のものは持っていなかった。
「……空気はあるんだな?」
不意に彼が問い掛けると、マーガレットは少し考える仕草をして、すぐに小さく頷いた。
すると彼は、背嚢からカンテラを一つ取り出すと、火をつけて腰に下げた。『光明』は既に発動している為、それらに光源としての価値はない。精々が多少温まれるぐらいか。マーガレットは首をかしげた。
「こうすれば、物理的な火は消されても魔法の光は残る。逆に光が消えても火は消えん」
それはディロックが師匠から教えられた事の一つだ。暗所に入るときは、光源は二つ持てと。出来る事なら、片方は炎、片方は魔法が望ましいと。
「ふむ、なるほど。慎重であるに越した事はないか」
彼女はそれに、おおよそ好意的だった。中には、蝋燭代が、あるいは魔力がもったいないと言う者も居るので、彼は少しありがたく思った。
未到達地域に向かって歩き出すと、遺跡内の温度はより下がり始めた。おそらく、日の当たる出入り口から離れた為だろう。完全に日が届かないため、遺跡の奥はまるでワインセラーのような寒さを保っていた。
その寒さになってくると、一番堪えるはディロックだ。なにせ、金属鎧に鎖下と、金属質な装備で身を包んでいるのだ。金属製の装備は特に、気温の変化によって温度が顕著に変わるものなのである。
それにくわえ、ディロックは南方部族出身。寒さとは無縁の暖かな地域に住んで居たのだから、寒さに対する慣れが無いのも多少は仕方ないといえた。
腰につけたカンテラの中で懸命に灯る火がじんわりと温かい。それをありがたく思いながら、彼はずかずかとマーガレットの前に出た。
「道順を後ろから指示してくれ。俺が先導する」
「了解した。何、急ぐものではない。のんびりと行こう、ディロック」
そんな会話をしながら、より暗く、より寒い遺跡の奥へと二人は歩いていく。




