四十七話 魔本
「すまない、大した情報は得られなかった」
開口一番、マーガレットはそういった。
いざ調べるとなった時、一番良いのは現場検証なのだが、一介の冒険者と旅人、そして店主という立場でしかない結党にはその権限が無い。
それどころか、今衛兵達で石畳の隙間まで、くまなく探している最中だろう。そこにのこのこと現れて調査したいなどと、下手すればそのまま容疑を掛けられかねない。
となれば外部から情報を得るしかない。幸い、冒険者と情報屋は切っても切り離せない仲であり、ある程度の腕ともなれば個人的な取引も出来るようになっているものだ。
その伝で、マーガレットが縁のある情報屋と話してきたらしいのだが、生憎これといった目撃情報などは無かったという。結果、冒頭の一言に繋がった。
「だが、逆に考えれば、相手はそれだけ隠密に長けているか、あるいはそもそもその場にいなかったのかのどちらかだ」
しかし彼女はへこたれることなく、そう続ける。確かに、とディロックがいた
マーガレットの言ったどちらかだとしたら、かなり対象は狭められる。隠密ならば裏のもの。その場にいなかったのであれば、何かを媒介とした遠距離での魔法行使。
視認できない場所からの魔法行使はかなりの高等技術であり、また才能の問題であるため、高位の魔法使いでも扱えない者は多い。すると自然、それらを行使できる魔法使いの数もかなり減ってくるということだ。
「ひとかどの魔法使いともなれば、名も売れる。ざっと浮かぶのは五、六名――だが、問題は動機だな」
俺はほとんど全員に会った事があるが、と一言ことわってから、ガイロブスが話し始めた。
「俺が知っているような奴らは、変わりモンではあったが、しかしトチ狂ってるようなのはいなかった。そんな暇があれば研究してるような奴らだぞ」
「……なら、そいつらは除外していいだろうな」
しかしそうすると、国内の人間ではないのだろうか? 彼がそういうと、だとしたらお手上げだ、とマーガレットがぶっきらぼうに返す。
情報の売買を商いとしている情報屋とて、国外の魔法使いまで調べている者は少数派だ。マーガレットが贔屓にしている場所も、そこまでの情報はないだろう。
しかし、国内の魔法使いが関わっていないと分かっただけでも充分な収穫だ。
まだ何も犯人へと繋がる情報は無いが、高位の魔法使いと言う大きな括りから国内の分を引けただけでも、かなり大きな成果を得られたと言っていいだろう。
「まぁ、いきなり確信をつけるというわけはあるまい。ゆっくりいこう、いまだ事態の全体像は見えていない」
マーガレットの言葉に、ディロックは少し沈黙し、やがて頷いた。案外、衛兵が解決してくれるかもしれない。今の所被害は、ディロックが殴られたのと、書生数十名が怪我をしただけだ。
そこまで事態を重く見る必要はあるまい。ディロックはほう、と溜息を吐く。彼を巻き込むような形で巻き起こる騒動は、そのほとんどがどれも重大だ。
国一つを揺るがしかねない秘密の隠蔽、古き時代に封印された混沌の怪物、悪しき竜の遺産――それらと立ち向かってきた彼の思考は少し自分で解決するという方向に寄っていた。
しかし考えても見れば、ただ巻き込まれている彼が解決に走る理由は無い。無論、彼自身から首を突っ込みにいく場合もあるが、それはまた別だ。
「急ぐ事もない。へんな話だが、のんびりやろう。俺達が狙われる理由もないしな」
自分が偏った思考になっていたことを反省しながら、彼はガイロブスの言葉に、深く深く頷いた。
ひとまず今できることも終わり、ディロックはガイロブスの店でまた合流する事にして、二人と一旦別れると、適当に王都の中を歩き出した。
特に何を見たいだとか、そういう目的はあまり無かった。元々、質実剛健が好まれる本の国ルィノカンド。そんな国の、一度は見るべきとされる図書館から赴いたのだから当然ともいえた。
それでも、理路整然と整った町並みを歩くと、面白いものはいくつか見つかった。
特に目を引くのは本屋だが、それらは大通りに行けばそれこそごまんとある。比較的流通の多いものから、稀覯本の類、あるいは高級な辞書・図鑑などの類も豊富だ。
各店で品揃えが変わり、ある本屋は怪物関係の話が多く、かと思えばその向かいの方では魔法関係の書物がずらりと並んでいたりする。
千差万別の本の海、まさに本の国。値段交渉をしているところもちらほらと見かけられ、聞く限りでも驚く様な値段――この場合、目が飛び出るほど高い物から、驚くほど安い物までの全てだ――で本が飛び交っている。
他の国では、こうまで印刷や製本、製紙技術が優れていない。ゆえに本とは希少なもので、自然と値段が高くなり、好事家や貴族相手がほとんどで、この様な光景はそうそう見られるものではない。
様々な国を見て回ってきたディロックだからこそ、その違いは新鮮で、問題に巻き込まれこそしたが充分にこの国を満喫していた。
しばらく本ばかりの商店街通りを歩いていると、その商品の中の一つに不思議なものを見つけた。
それはくすんだ薄紫色の表紙の本だった。大きさは普通の本より一回りは大きく、厚さは一般的な本の二倍ほどか。
表には"湖畔"と、題名らしき文字が金糸でつむいであったが、著者名は見当たらなかった。そんな、陳列窓の中に佇む動かない本に、ディロックは何故だか酷く目を惹かれたのだ。
横に並んでいる本のほうが、同じように金糸が施され、装飾も豊かだ。どちらかといえばそちらに目が行くはずだが、その本に引っ張られるような感覚があり、自然とそちらに意識が向く。
あるいは、何か魔法の力が働いているのかも知れない。そう思って、なんとなく彼はその店に入った。
扉のベルをならしながら入っていくと、若い男の店主が、彼に気付いて温かく笑みを浮かべた。
「ああ、いらっしゃい。何かお目当てのものがおありですか?」
「いや、そういう訳じゃないんだが……」
一つ聞いても良いか、とディロックが言うと、店主は構いませんよと言って大きく頷く。彼は身振りで陳列窓のある方を指差して問いた。
「外の陳列窓に"湖畔"という本があるだろう。素人目だが、普通の本とは思えない。どんな品なんだ?」
すると男は納得が行ったと言う風に小さく頷き、陳列窓の方へ歩いていき、掛けられていたカーテンをどけて、中から"湖畔"を持ってきた。
薄紫のその本から、やはり奇妙な感覚は離れない。むしろ、ガラスという遮蔽がなくなった分、より強く引き寄せられるようにも感じられる。
その表紙を優しくなでながら、店主はゆっくりと喋り出した。
「これは百年前、遺跡から発掘された本です。ただ、普通の本ではなく、"魔本"らしいんですよ」
「"魔本"?」
「ええ。なんでも、その名もずばり、魔法の力が宿った本だそうで」
ディロックは無言で続きを促した。すると男は、店内を一瞬見まわしてから、滔々と語り出した。
いうには、祖父から店ごと受け継いだこの本には、いくらかの魔法とその呪文が書かれてあり、術を行使する際、そのページを開く事で、より効果を上げられるらしい。
「つまり、魔法使いの杖や魔法陣、宝石と同じ力を発揮できる本です。とはいっても、魔法使いが実際に使ったわけではないので、この本が本当にソレなのかはわからないんですけどね」




