四十六話 石の杖
「……つまりなんだ。いきなり始まった乱闘に巻き込まれて、殴られたから、反撃に全員殴り倒した、と?」
要約された説明に対しディロックが重々しくうなずくと、取り調べの衛兵は怯んだように額に手を当て、大きく溜息をついた。
身元のハッキリしない旅行者、武器携行、そして頬以外に打撲痕などは無い。そういった証拠から危うく牢に叩き込まれかけた彼だったが、マーガレットとガイロブス、二人の証言で何とか速攻牢行きは免れた。
しかし、ディロックが何十人といた書生を殴り飛ばして制圧した事にかわりはなく、しかもその書生たちは何も覚えていないという。
という事は自然、様子を知っている三人に説明が要求され、こうして衛兵の詰め所まで行き、話を聞かれていた。他の二人は現地民ということで、別のところで話を聞かれているらしい。
「まあ、お前の主張はおおむね把握した。その時の状況を教えてくれるか」
「分かった。まず、俺と他二人は喫茶店に居たんだが――」
ディロックはそれから様子を見に行って乱闘を確認、何があったのかと書生に話しかけて殴りかかられたこと。そして、明らかに正気ではない書生達の様子などを大雑把に語った。
言葉すら失って獣のようになっていた書生の男のことを話すと、衛兵は顔をしかめて眉間を指でもみほぐし始めた。
それも仕方の無い事だろう、とディロックはぼんやり思った。
争いごととは無縁なはずの書生が、論争の途中に殴りあいをはじめ、果てに無関係の旅人まで殴ったとなれば、国の評判にすらかかわりかねない問題である。一衛兵には少し荷が勝ちすぎていた。
「……論争中の書生が、興奮で喧嘩を始めるというのは、あまり無いことなのか」
「当たり前だ。論争のたびにこんな事が起こっているなら、衛兵は全員出払わなければならんぞ。こんな事は初めてだ……書生が我を失うなど、普通はあってはならない」
どうして良いか分からないのか、衛兵はがしがしと頭を掻いた。するとその時、扉が開いて、大柄な男が入ってきた。
「ネズラ衛兵長殿? どうかなさいましたか?」
「ああ、一先ずこちらの審問は終わった」
ネズラと呼ばれた男が開いた扉の方を振り向く。ディロックもつられてそちらを見ると、扉の向こうにはマーガレットとガイロブスが平然とした様子で立っていた。
衛兵はネズラと二、三言葉を交わすと、ディロックの方を向いて改まった。
「協力、感謝する。無罪と仮定してこの場の取調べは終えるが、また呼び出すことがあるかも知れない、というのを留意してくれ」
「……分かった」
衛兵はその言葉に、行ってよし、といわんばかりに頷く。そのまま部屋を出ると、彼の背で扉は閉まった。ネズラと衛兵で情報を共有するのだろう。
となれば、態々詰め所に残る必要は無い。戻るのではなくそこらでも歩きながら話したいというと、二人も了承した。
三人とも同じ事を考えている。ガイロブスの店が悪い訳ではないが、あんな事があった以上、また行くのは少し縁起が悪いように感じたのであった。
「ふうむ、やはり前例の無いことかね、そうかね。」
ディロックが衛兵から聞き出した情報を言うと、マーガレットはそう呟いたきり、黙り込んだ。何か考えているらしい。
その熟考具合は、およそ横顔だけでは判断できないが、少なくとも彼が考えているより深く思考の海に潜っている事は確かだ。となれば、それの邪魔は出来ない。
すると自然、話し相手として残るのはガイロブス。巌のごとき強面に、巨人混じりだといわれても納得してしまうだろう屈強な体格。
しかし見にまとうのは鎧ではなく割烹着。手に手に携えるは料理器具の類となれば、いささかちぐはぐな印象を覚えないではない。
「何が起こったと思う?」
彼が話しかけると、ガイロブスはそうだな、と一つ呟いてから、意見を述べた。
「興奮によって我を忘れた……とかじゃあ、ないだろうな。十中八九魔法、残りの可能性は薬の類と言ったところか」
「薬……まぁ、副作用として過度の興奮を呼び起こすものは無数にあるか」
頷きながら、ディロックは頭の中にそれらの――つまり、副作用に過度興奮を含む――薬品の類を浮かべていく。
その数は十、二十では足りない。およそ四十ほどか。全ての細かな効能こそ覚えてはいないが、その名前は全て覚えている。それは剣の先生であり、旅の先達たる師匠の入れ知恵の賜物であった。
"危険"を覚えておくに越した事はない。師匠が常々、彼に言い聞かせた事であった。全てに気を配れとまでは言わないが、必要な時に必要な記憶を引き出せるようにしておけと、しつこいほど聞かされたのだ。
しかしながら、その中にディロックが求める答えはない。なぜなら、全て条件に合わなかったからだ。
論争という人が入り混じった状況で、一斉に薬を服用させるなら粉末か、液薬を霧状にしたものだが、彼が知っている中にその程度の服用量で効果を発する類のものはなかった。
「多分、魔法だろうな。あの状況なら薬の可能性はほぼ捨てていい」
「俺もそう思った」
二人して小さく頷く。対多数に対しての精神干渉であれば、魔法にもいくつか手段はある。『脳揺』、『狂化』、『喚起』などが代表的だ。
しかし、だからこそ妙でもある。ガイロブスもまた同じ考えなのか、だが、と続けた。
「わざわざ書生の集団を魔法で狂乱させて、乱闘騒ぎ起こさせて、何がしたい?」
「そうさ。それが一番の問題なのだよ」
不意に、思考の海に潜っていたはずのマーガレットが口を開いた。顔を上げた拍子に、絹のような艶を持つ黒髪がさらりと流れる。
癖なのか、とんがり帽子の広いつばを指でつまみながら、彼女はそのまま続けた。
「魔法は強力で、だからこそ貴重だ。国を混乱させるのが目的なら、もっと簡単な方法はいくらでもある」
「……なるほどな。目的が読めないか」
ディロックが溜息をつく。彼女もまた、溜息をついた。
結局の所、彼は現状、被害者でしかない。となれば、後は衛兵に任せてもいい。一発頬に拳を受けただけで済むのなら、ディロックが干渉する必要はない。
二人にいたっては彼が巻き込まれるのを見ていたに過ぎず、ほぼ無関係と言い切っても過言ではなかった。
「にしたって、気になるものは気になるよな。関係ないっつっても」
「ああ、気になるとも。そうでなくては、学者兼冒険者などやっていられん」
しかし――さすが本の国在住と言うべきなのか。二人はかかわる所か、解明する気であるようだった。
そして彼もまた、一発殴られ、更に殴った方さえも被害者となれば、その心情は複雑である。このまま終わらせるには、少しいらつき過ぎてはいた。
「俺も協力したいんだが、いいか? 姿も分からん奴から一方的に殴られて終わりでは、いかんせん癪に障る」
そういう性分だ。吐き捨てるように言って、ディロックは頭を振った。こんな事だから、何処に言っても面倒な事になるのだが、と。身じろぎした拍子に、腰に佩いた剣ががちゃりと音を立てた。
彼女は無論だ、と言って笑う。
「むしろ大歓迎というべきか。徒党を組むなら最低三人欲しいところだからな」
誰にともなく大きく頷いているマーガレットに、ガイロブスは肩をすくめた。どうやらそれも、何時もの事であるらしい。
「なら、この時限りの徒党とはいえ、名でもつけておくか?」
ガイロブスがふとした拍子のそう呟くと、それはいい、と彼女も乗った。
こうして、後に"本の国"ルィノカンドの歴史に名を残す事となる、謎の徒党"石の杖"は結成されたのである。




