四十三話 ガイロブスの店
"本の国"ルィノカンド。そこは無数の書籍が集まる場所であり、また、紙の印刷技術や文学の発展が著しい国だ。
元は何らかの理由で国から追放されてきた五人の知識人(高い知識や教養を持つ人のこと)が、自分達の身を守る為に作った集落が基で、そこへ保護を求める人が集まり最終的に国となった。
今でこそ王国となっているが、最初に国として成ったとき、その国は五人の知識人が議員となって行う会議制によって国を統治していたという。
だが、国を作った五人の知識人のうち、一人が陰謀を企て、最終的に二人を謀殺。そして企みが見抜かれたとき、自ら湖に飛び込み死んだのだ。
結果、会議制を維持することが出来ず、残った二人の知識人は自ら王と宰相となることで国を安定させた。そういう経緯があって、この国は王国と相成ったのである。
「……と言うのが、広く知られている説だ。まあ、他にも諸説あるがね」
本を片手に、マーガレットは彼へそう語った。ディロックはなるほど、と小さく頷く。図書館の端、談話と読書の為にとられたちいさな一角で、二人は話し合っていた。
「となると、その五人の知識人の像やらなにやらが何処かにあるのか?」
「いいや像はない。像は無いが、彼らを象徴するような本はある」
彼女はおもむろに立ち上がると、来たまえ、といって歩き出した。ディロックは一つ頷き立ち上がると、マーガレットにあわせて歩き出す。
そしてマーガレットはそのまま談話スペースを大きく離れ、巨大な棚が無数に鎮座し、完全に迷路のようになってしまった図書館の中を奥へ奥へと進んだ。
すると、奥まって少し薄暗いそこには、四冊の本が並べられていた。それは盗難防止用なのか、魔法の力を感じる強靭なチェーンでつながれており、本自体にほとんど劣化は見られない。
表紙には真新しい金糸で題名と著者が紡がれており、それが普通の本ではないのは一瞬で見て取れる。
「……稀覯本のようだが、これは?」
「始まりの五人、その内の四人が記したとされる学術書だ。表紙こそ復元されているが、中身は当時のままだ。魔法で保護もしてある」
この国にとって聖典にも近い扱いのものだよ、とマーガレットはどこか笑いながら答えた。ディロックはその本をよく見ながら、彼女へと一つ質問を投げかける。
「残りの一冊は?」
「ああ。さっき話した説で言えば、裏切り者の書いた本だよ。どうなったかはどの文献にもないがね」
となれば、焚書でもされたのか、それともどこかしらに封印されているのか。彼はそれが少し気になった。
しかし、今は別にいいだろう。ディロックは本から視線を外した。それは一冊一冊が鈍器として扱えるほど凄まじい厚みであり、ここで読むには少し時間が掛かりすぎると思ったからに他ならない。
マーガレットもそれは無論分かっており、くるりと踵を返して談話スペースの方へと戻り出した。少し後ろ髪を引かれるような気分のディロックだったが、すぐに彼女に追従すべく歩き出した。
本が並べられた長机には、残りの一冊を待つように本一冊分ほどの隙間が開いていた。
「……ふむ。君の旅路は、中々に興味深いな」
談話スペースに戻った二人。今度は彼が語る番であり、今までの旅であったことをつらつらと語っていた。物知りな小鬼の話。きむずかしいグリフォンとの対話。中には、一人の青年が王に成るのを見届けた話もある。
一般人が聞けば笑ってしまうような御伽噺でも、彼女は何度もうなずき、あいずちをうち、決して否定やあざったりしようとはしなかった。
「少しうらやましいぐらいだ。君は、そういった事象との出会いに恵まれているのだな」
「正直、うらやまれても困るんだがな。最近は色々ありすぎる……」
そんな話をして談笑していると、昼に差し掛かる程度の時間になった。ふと空腹を感じて、時間を確認すると、立ち上がってそろそろ腹ごしらえをしてこようと言った。
マーガレットはそれに、もうそんなにか、と言って窓の方を見てから、ディロックと同じように立ち上がった。
「ついでだ、ついて来るといい。いい飯所を紹介しよう」
言うが早いか、彼女は素早く身を翻すと歩き出す。ディロックも少し慌てて、遅れないようについて歩き出した。
「すまんな、世話になる」
「構わんさ。それに、私に益が無い訳でもないのだよ」
ディロックが礼を言うと、くすくすと忍び笑いをもらしながら、彼女が返答する。
どういうことかと問うよりも前に、マーガレットが立ち止まった。面食らって立ち止まった彼に、ここだよ、とマーガレットは言った。
そこは三角屋根の、少しこじんまりとした店だった。だが小さい分と言うべきか、外観は清潔感が強く、窓の濁りガラスから見える店内もきちんと整理してある様に見えた。
店を一瞥するディロックへ、彼女はぴんと人差し指を立てながら説明した。結局口に出されなかった問いへの答えだ。
「ここの店主とは顔馴染みでね。新顔を連れてくれば多少サービスしてくれるのさ」
そう言って、彼女はそのまま扉を押して店内へと入っていった。カランと扉についた鈴が揺れて耳心地のいい音を立てる。少し考えた後、ディロックもまた扉を押し、中へ入った。
中は窓ガラスからも見えたとおり、やや手狭であるようには感じるが、掃除はあちこちまで行き届いているようだ。机も椅子も綺麗に定位置に配置してあり、店員の性格が少しうかがえる。
マーガレットはさっさと適当な椅子に座っており、ディロックも相伴に預かるべく店をずかずかと横切り、彼女の真正面の席へ座り込んだ。
「良い店だろう? まぁ少し手狭だがね、飯は美味い」
「狭くて悪かったな!」
彼女の軽口に、奥の厨房から返事が聞こえて来た。それは怒鳴るようなものではなく、マーガレットもそれが分かっていて笑いながら肩をすくめた。
二人が席について少しすると、厨房のおくから店主らしき影がのしのしと重めの足音を立てながら歩いてきた。
その足音に振り向き、ディロックはまず驚いた。天井すれすれの巨躯が目に入ったからだ。店主は、奇跡的なほど似合わない割烹着に身を包んだ大男だったのである。
むしろよく店に出入りできたものだと感心したくなるほどの巨体に、ディロックが口を開けて呆けていると、笑いを堪えられなかった様子で口を開いた。
「く、くくく、驚いただろう? これが店主のガイロブスだよ」
「おい、これとか言うな。まったく、さっさと注文しやがれ」
店主のガイロブスは彼女の軽口に顔をしかめながら、早く注文するように促す。気軽な仲であるのは確かで、むしろ少し微笑ましくなる類のものだった。
「君がそんな態度だから客がこないのだろう? ああ、そもそもその巨躯を見た時点で逃げるか」
「言ったなお前! 表出やがれ!」
そうして二人が喧々囂々とする横で、ディロックは机においてあった献立表を手に取った。
店主が書いたとすればかなり細かい文字だ。端から端までで、およそ二十品目ほどか。献立は軽食の類から、しっかりとした食事になる品まで数多く揃えられていた。
ルィノカンドが内陸国ゆえか肉や野菜を使うものが多いが、砂糖菓子のような甘い類の品も混じっていた。
しかし、初めて見る名前もある。このコーヒーというのはなんなのだろう。ディロックは首をかしげた。他の国では見なかったものだ。飲み物の類ではあるようだが、どうも果実水とは雰囲気が違う。
せっかくだから頼んで見るか、とディロックが献立表から顔を上げると、二人はまだ何かしらを言いあっている。
本当に仲が良いのだろうか? 彼は少し不安になった。




