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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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四十一話 旅立ちと別れの朝

 怪物の討伐に成功して、三日が経過した。


 村が負った損害や、冒険者達の怪我、全てが治ったわけではない。それらが完全に癒えるには、もうすこし時間が要る事だろう。


 だがディロックはといえば、既に旅支度を終え早朝、モーリスへ別れの挨拶をしているところだった。


「世話になったな」

「……本当に行ってしまわれるのですね」


 どこか困惑したようなモーリスの声色に対し、彼は小さく頷く事でこたえる。


 もとより、エーファ村での用事は、猟師ティックへの届け物だったのだ。もっともそれも、『気高き獣』へと渡してしまったが。


 その途中、石碑を見つけたり混沌の(やから)の存在を知ったりと色々な邪魔が入ったが、結局の所それが終わればディロックに残る理由は無かった。


 心残りがあるとすれば、村が完全に元通りになるまでを見届けられないといったところだが、彼の胸には不思議と安心のようなものがあった。


 この村はまた、森と調和した静かで豊かな場所へ戻る。根拠の無い確信であったがしかし、彼はそれが案外、外れていないようにも思っていた。


「でもなんだか、行ってしまうんだろうなという気はしていたんです」


 モーリスは不思議な様子で、首をかしげながら言った。


 彼は問うと、いわく、初めて出会ったときから、ここにとどまる事は無いのだろうとふわりとした思いがあったのだという。


 そうしてゆったりとした仕草のまま、モーリスはその穏やかな顔に微笑みを浮かべ、深く深く頭を下げ礼をした。


「ディロックさん、ありがとうございました。全く無関係だったあなたの助けが無ければ、きっとこの村は滅んでいたと思います」

「……俺は……」


 彼女からの謝辞に、ディロックはつい言葉を漏らしそうになったが、しかし喉の奥に押し留めた。


 別れの時ぐらい、なんの禍根も残さずに行きたいのだ。


 たしかに、救おうと思って救ったわけではなかったが、結果としてエーファ村と言う一つの集団を救うことが出来た。なら、それでいいじゃないか。態々口に出す様な事でもないだろう。


 そうしてなれない謝辞をしかと受け取り、背嚢を背負い直したディロックは、今度こそ別れを告げる。


「短い間だったが、ありがとう。……元気でな」

「はい。ディロックさんも、お元気で。あなたの背に、良き風が吹くことを祈っております」


 彼女の礼を背に受けつつ、早朝、まだ人の声一つしない時間帯に、ディロックは歩き出した。日はまだ上ったばかりで、ゆっくりと町を照らし始めているところだ。もう少ししたら農夫も起きるのだろう。


 この時間にいこうと思ったのは、あまり子供たちのいない時間帯に行きたかったからだ。彼らに別れの挨拶をしないのはどうかと思ったが、モーリスに後から説明してもらう方が楽だと思ったのだ。


 それに、ディロックの話を熱心に、楽しんで聞いてくれた子ども達も居た。皆賢い子たちばかりだが、中でも幼いものたちはそうはいくまい。


 幼い子供の静止を振り切って後味悪くいくか、多少心残りでも別れを告げずに行くかで悩み、最終的に後者を採ることに決めたのである。そういうと、モーリスは困った様に笑いながらも、分かってくれた。


 遠ざかる背に、モーリスが小さく十字を切り、祈りを捧げる。どうかあの人に、何時の日か、安住の地が見つけられますように。


 一陣の風が吹いて、彼の旅路を祝福した。それが長い長いものである事を知っているかのようでもあった。




 村をゆっくりと歩く。露天商はおらず、静かな朝だった。足取りは迷い無く村の外の方へと向かっていたが、不意にその足取りは止まった。


「……ディロック、さん」


 しんと静かな道に居たのは、ロミリアだった。朝がそこまで強くないと聞いていたし、モーリスがまだ眠っているといっていたはずだが、どうもこっそり抜け出してきたらしい。


 彼女だけではない。路地からこっそり顔を出して笑うのは、ニコラとウルだろう。その後ろでぶすっとした顔で立っているのは、エルトランドである。


「ふわぁ……旅人さん、おはよぉ」

「行っちゃうんでしょ、旅人のおじさん。だから、せめて見送りにって」


 ウルは元気だが、ニコラは寝不足なのか、半ば眠りながら挨拶しているようなものだった。エルトランドは憮然とした表情のままディロックを見ている。


「ここに住んだりは、その、しないんですか? 皆、歓迎してくれる、と……思います、けど」


 ロミリアが何処か寂しげな顔で問い掛ける。事実、ディロックが此処に住みたいといえば、村長が便宜を図ってくれる事だろう。


 村を救った英雄の一人だ。歓迎されないはずもなく、多くが安住の地を求める旅人にとってこれほど良い条件はそうそうない。他の旅人であれば、すぐにでもうんと頷いているところである。


 しかしながら、ディロックは物静かな表情で頭を横に振った。心は決まっている。此処は止まるべき場所ではないと、頭のどこかで何かが呟くのだ。


 ロミリアは寂しそうな顔をして、しかし言葉を飲み込み、お元気でとだけ呟いた。それ以上を語ろうとするには、少女の心ではまだ無理なようだった。


 ウルはディロックの手を握り、たしかな光の宿った目で彼を見た。


「俺、もっと頑張って、皆を守るんだ! だから、何時かまた来てよ、旅人のおじさん」


 ああ、と答えながら、ディロックは少年の頭をくしゃりとなでた。希望に溢れた子供の顔は、本当に何時かやり遂げてしまうのだろうと思わせるだけの何かを感じる事が出来た。


 事実、剣の腕に見込みはある。飲み込みも早いし、あの一回の教えだけで直感的にどう振れば良いのかを何となく掴みかけていた。


 もしかすると本当に、皆を守れるだけの剣の使い手になるのかもしれない。


 反対にニコラはと言えば、眠そうに目元をこすりながら、意外にも淡白な様子でディロックに別れを告げる。


「またね、旅人さん」

「ああ、ニコラ、またな」


 何となく分かっているのだろう。ディロックがまた、このエーファ村に戻ってくる確率は低く、また会えれば幸運、程度に考えれば、もしまた会えなくても悲しむ必要は無い事を。


 この世界は何かと物騒で、いまでもあちこちで、やれ混沌だの怪物だのと忙しい。その騒動の中で、ディロックが不意に死なないとも限らない。ニコラはニコラなりに、考えているのだろう。


 そしてエルトランドは、最後にディロックの前に出てきた。彼が視線を合わせると、俯いていた顔を上げる。


 その顔には泣き腫らしたような痕がくっきりと残っており、しかしその瞳の中に、彼は強い炎を見た。それは怒りにも似た執念であり、そしてやさしさの灯火なのだろう。


「俺にはまだ、あんたがなんで強いのか、良く分からない」


 決意に燃える少年は、静かな声でそういった。あの夜、少年に話したことは結局、ディロックがどう強くなったかではない。ただ九年の月日があった事と、その結果だけだ。


 だから少年にはまだ分からない。彼がたどってきた長い時間を理解するには、まだ生きた時間が足りなかった。


「でも、あんたみたいに、もっと剣を振ってみる。あんたみたいに強くなろうとしてみる」


 ――歩き出したその先に、ただ守りたいものを守れるだけの力がある事を信じて。


 ディロックはそれでいいと頷き、エルトランドの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。少年は鬱陶(うっとう)しそうにこそしたが、跳ね除けたりはしなかった。


 別れは終わった。それぞれの頭をもう一回なでてやると、ディロックは立ち上がり、そろそろ出立する旨を伝える。子供達はそれぞれの表情で、それでも頷き、その背を見送り出した。


 手を振って別れを告げる三人と、ぶすっとした表情のまま小さく手を掲げた少年に、ディロックはふり向かずに手だけを振って返した。


 空を見ると、早朝の晴れ渡った空に、ちょうど太陽が顔をのっそりと出したところだった。


 ――今日は、雨の心配をしなくて良さそうだ。


 そんなことを思いながら、彼は黙々と歩き出した。四人の子供達は、その背が山向こうに消えて見えなくなるまでずっと、ずっと手を振り続けた。

青空旅行記第一章、"埋骨の森"編、終了となります。

次話からは第二章となります。どうぞあまり期待せずにお待ちくださいませ。

それでは、失礼致します。

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