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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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四十話 その刃の名は

 ディロックを攻撃していた怪物、その背後からユノーグが飛び掛った。明確な関節の存在しない『黒曜石』はすぐさま体を真反対へと回転させ、両手を交差させてそれを受けた。


 先ほどは打ち払われていたが、もうユノーグの一撃を受けても小揺るぎ一つ見せない。段々と学習を繰り返しながら、封印前の力を取り戻して来ているのだろう。


 それでも彼女は、諦めることなく一撃、また一撃と叩き込む。横からなぎ払い、斜め下から打ち上げ、袈裟懸けから振り下ろし、どうしても隙が出来る時には蹴りを放ち、攻撃の隙を与えない。


 重心はぶれず、武器に振り回されることも無い。鈍重にて高火力、扱い辛いたぐいの武器である戦槌をそれほどまでに上手く扱えるのは、ひとえに彼女の経験と才能から来るものであろう。


 それでも、怪物の速さは先ほどのディロックとの打ち合いでかなりのもになっている。いくら乱打を叩き込んでも、時折反撃が飛ぶ。


 並みの冒険者なら既に何度も死んでいるであろうその反撃に何度も何度も傷付けられながら、彼女は大きく吼えた。誇り高き戦士の血がうずくのだろう。


 その間、ディロックは一つ一つ魔法の指輪を発動し始める。以前も使った右手中指の『強力(ストレングス)』、そして左手人差し指の『俊足(クイックリング)』だ。


 魔法の光が(ほとばし)り、ディロックの体を覆って行く。みなぎり、今にもその力を発揮せんと荒ぶる力を押さえ込み、彼は腰のポーチから一本の赤い液体を取り出すと、それもまた飲み下した。


 ドクン、と心臓が一際高く鼓動した。血は勢い良くうねりはじめ、体は熱くなり、次第にディロックの力を内側から増幅し始めた。


 それは俗に"力の液薬ストレングスポーション"と呼ばれる代物であるが、同時にそれは滅多なことでは使ってはいけないとされているものでもあった。


 同じ魔法は上書きされてしまう以上、力の液薬は魔法と重複しない数少ない身体能力上昇の手段だ。だがそれは、同時に体にとって毒でもあるのだ。


 高い身体能力を得る代償に、心臓を刺激し、血管を少なからず傷付け、筋肉や骨にも強い負担をかける。飲めば一年命が縮むというのはさすがに迷信だが、それでも命が削れるのは確かである。


 だからディロックも、それを飲むのは緊急時にだけと決めていた。だが、今使わないで何時つかう。ディロックは体中の熱を吐き出すように深く息を吐く。今出し惜しみをして死ぬようなら本末転倒だ。


 ――この命、九年前に一度尽きたようなもの。なら、多少先が削れたところで、どんな問題がある。


 昂ぶる心の中で、ディロックは半ば自嘲のようにそう吐き捨てた。そして、鼓動と共に熱くなっていく心を落ち着け、ただ一つの剣のために意識を研ぎ澄ましていく。


 金色の目は見開かれ、剣を握る手に本来以上の力が入る。持ち手がギリリとかすかな悲鳴をあげ、彼の技の準備が整った。今全ての力を吐き出すつもりで、ディロックは高く高く剣を振り上げた。


「おおおオオオォォァァ――ッ!」


 咆哮(ほうこう)と共に、大上段に構えられた剣が凄まじい速度で怪物の頭へと迫る。それはまさに目にも留まらぬ速度であり、ユノーグをもってして軌跡を追うことさえ難しかった。


 ただ早く、ただ重く、ただ鋭い剣を振れ。彼が師から教わった唯一の奥義はそれだった。その時、お前が持てる力の全てを注ぎ込めと。一度愚か者になれと。


 たった一撃、なれど最強無敵の刃。彼はその名を、"愚剣"と聞かされた。


 しかし『黒曜石』も、今まで学習してきた事の応用が出来ないわけもない。怪物は刹那の間にユノーグを蹴り飛ばし、防御を行うべくその両腕を頭の上に掲げた。


 だが、選択が回避でなかった時点で、すでに怪物の負けは決まっていたのだろう。




 キン、とディロックが鞘に刃を収める音が響いた。怪物はまだ未完成の頭脳で、はて、と思った。なぜこいつは、もう剣を納めているのか? 切りかかったのではなかったのか?


 『黒曜石』はそこでようやく、彼がもう剣を振り終わった後なのだとわかった。馬鹿な、そう思って腕を動かそうとしたが、もう体は動かなかった。


 ずるり。


 八面体の頭はその正中線からゆっくりと左右に分かれ始めた。それどころか、その胴体を貫通して、斬撃は地面にまでくっきりと爪あとを残していた。


 残った腕や足の八面体も、頭部による統率を失ったせいか、最初のような無軌道な状態に戻り、それらはユノーグが全て砕いた。


 彼がほっと小さく息を吐き、ひと安心すると、ぐらりと体から力が抜けた。剣を杖の代わりに何とかたち、その間にユノーグが支えた。


「大丈夫かい?」

「ああ、なんとか……ただ、少し休みたいな……」


 "愚剣"は、ディロックが教わった剣術の中でもっとも強力無比ながら、体への負担も精神への負担も尋常なものではない。それを既に疲弊した状態で使ったのだから、彼の疲れもうなずけるというものである。


 だが、勝ちは拾った。かつての時代に人と霊獣を苦しませた『黒曜石』は今、死んだのだ。


 ユノーグは彼を適当なところへ座り込ませると、まだなんとか動ける仲間を魔法薬を掛けて起こし、倒れふしている者たちの生存確認を行い始めた。


 空は術者であった『黒曜石』が死んだことで、ゆっくりとその暗闇が解けていき、段々と雲に切れ目が入り始めていた。


 すると気付いたが、朝に村を出たはずが、もうすっかり夜になっていた。月の光が静かになった森に差している。ディロックはそっと首元の木片のネックレスを見た。


 最初にこれが光らなければ、ディロックも不意打ちを受けていただろう。あの速度では、気配を察してからの迎撃では間に合わなかった。


 猟師ティックに感謝と言うべきか、これを届けてくれた運命をありがたがるべきか。


 ぼんやりとそうして座っていた彼が、ふっと横を見ると、そこにはディロックのように座り込んだ一匹の獣が居た。


 四足と、鹿のように長い首、二本伸びた立派な角。それだけを見れば普通の獣のようにも見えたが、その姿は一目で異常とわかるものだ。


 なぜなら、その首は中途より二股に分かれており、その先には人にも似た、いわば一種の猿のような顔をしているからだ。穏やかな様子でディロックの方を見る瞳は、真なる金の光を帯びていた。


 楔の獣、封印司る獣、霊獣『気高き獣(エミンブルス)』であった。


『感謝する。お前の行いで、混沌は消え、森に静けさは戻った』

「……俺は、俺が後悔しないように行動しただけさ」


 霊獣の言葉に、ディロックは目を閉じて休みながら答えた。生存確認で大変そうなユノーグは、霊獣に気付いては居ないようで、今『気高き獣』を見ているのは彼以外にはいなかった。


『……かつての我が友も、同じことを言った』


 彼の返答に、獣はその二つの顔を懐かしげに歪ませた。その先に、かつての友を見ているのだろうか。


 そんな事を思いながらディロックは、おもむろに木片のネックレスを首から外すと、『気高き獣』へと突き出した。


 これは元々、この霊獣のものなのだ。彼はなんとなく、そんな気がした。つけていたせいなのかはたまた、込められた魔法の力によるものなのか。彼にはとんと検討も付かなかったが、それならそれで返そうと思ったのだ。


 獣は器用に角にそれを引っ掛けると、ディロックに向かって軽く異形の二つ頭を下げる。


『真に誇り高く正しき戦士よ、お前への恩は忘れぬ』


 そういった獣に、ディロックは小さく笑った。俺は誇り高くも、正しくもないさ、と。後悔と懺悔を胸に沈めたまま生きることもできず、さりとて自ら死ぬ事も出来なかった、ただの臆病者だと。


 『気高き獣』は、今一度高く(いなな)くと、燐光をその身にまといながら、ゆっくりと森の奥へ去っていった。


 その後ろ姿を見届けて、ディロックは無言のままに目を閉じると、全身から力を抜く。怪我は無数にあり、全身に気だるさが残っている。今少しばかり、休息が必要であった。

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