四話 教会の子供達
ややあって日が沈みきり、月が下界を覗きこむ時間になった。はるか高くに座した天界の目を見て、今日は満月か、とディロックは呟いた。
その月も中天へと辿り着いた頃あいに、ようやくディロックは腰掛けていたベッドから降りて立ち上がった。というのも、裏口の方から、何人かの足音が聞こえたからだ。モーリスの出迎えの声も。しばらくの同居人が帰ってきたのだと想像するのは難しくなかった。
服装は変わらず鎧下はつけたままだが、常に身につけていた背嚢、鎧、その他数々の装備は置き去り、今は服のみの姿となっている。
まさか、初対面の子供と鎧やら剣やらをつけて会うわけにも行かず、その必要も無い。ディロックは事前に伝えられていた通り、モーリスが呼びに来るのを薄暗闇の中待った。
静かに虚空を見つめていると、彼の持つ猫のような縦長の瞳孔が開き、ゆっくりと暗闇の輪郭をあらわにし始める。
流石に真昼のようにとは行かなくても、薄暗闇の中なら、入り込んだ月光の僅かな明かりでも部屋を見通す程度はできた。彼は、生まれ持ったその目が、何とは無しに好きだった。
しばらく待っていると、キイ、と言う音がして扉が開く。見ると、モーリスが扉の前で立って覗きこんでいた。
「ディロックさん、皆席に着いたので、いらしてくれますか?」
「ああ、分かった。今行く」
そう言ってから、彼は軽く自分の衣服を確認した。ディロックの身を包む灰色の簡素な鎧下には、大した装飾は無く、無骨極まったものだ。だが、少なくとも悪印象を与えるようなものではない。見苦しくなければ会っても問題はないだろう。
彼が手招きするモーリスへと向かって歩き出すと、彼女も振り返って歩き出した。
部屋から広間兼食事場までそう距離は無い。ディロックが、僅かばかりの緊張のようなものを感じながら歩くと、すぐに広間からわずかに明かりが漏れているのが見えた。
子供達の声だろうか、何かを囁きあっているような声が聞こえて来て、ディロックは少し立ち止まった。暖かな雰囲気が、三、四歩先から伝わってきている。カンテラか何かの明かりに揺られて、何人かの影が揺らめいていた。
モーリスは、立ち止まったディロックを少し不思議そうに見てから、一足先に広間へと入っていった。瞬間、囁き声が、彼女に対する声に変わる。聞く限り、子ども達には慕われているようだった。笑い声が聞こえる。
暖かなその雰囲気、いわば家族の団欒のような空気に、ディロックは一瞬しり込みした。
「……なんだか、な」
自分は場違いではないのか。そんな事を一瞬考えた彼だったが、考えても仕方ない、と意を決して、広間へと顔を出した。
不意に登場した見慣れない顔に、暖かな空気が一瞬、しんと静まりかえる。
自然、生まれ始めた限りなく警戒に近い空気に慌てる様子もなく、モーリスが口を開き、ディロックの方を手で促した。
「この方が、さっきお話ししていたお客様です。失礼の無いようにお願いしますね?」
「旅人のディロックだ。少しの間、世話になる」
彼が軽く頭を下げると、場はゆっくりと弛緩して行った。警戒が解けた訳ではないだろうが、一先ず敵意は無い事を知ってもらうことは大切だ。ましてや、そういった気配に敏感な子供は、特に。
少ししてディロックが頭を上げると、何人かの子供たちが彼を見つめていた。好奇心か、警戒心か、定かではないが、ひとまず敵意は無いように思えた。
「同じおへやで眠るの?」
そう言って前に出てきたのは、程よく日に焼けていて健康的な様子の女児だ。少し藍色がかった黒い瞳は、ディロックの目をどこか不思議そうに見ていた。ディロックは助けを求める様にちらりとモーリスを見たが、彼女は微笑んでいるばかりだった。
――たしか、目線をあわせた方が良いんだったか。
どこかで聞きかじったうろ覚えの知識を思い出して、ディロックは中腰になって目線の高さを合わせようとした。しかし、そうしてもまだ彼の方が目線が高く、結局片膝を付くような体勢で子供と向き合う事になった。
「一応、そうらしい。……嫌か?」
ディロックの問いかけに、女児は小首をかしげたが、すぐにううん、と首を横に振った。
「ちょっと、気になっただけー」
えへへ、と可愛らしく笑みを浮かべた女児は、そのままディロックの方へとさらに歩み寄った。お互いの距離はもう一歩も無い。彼は少し驚きながらも、距離をつめてくる少女を止めることも無かった。
いや、困惑してとめられなかった、と言う方が近いか。事実、彼は子供になれておらず、どうすればいいかわからなかった。至近距離まで近づいてきた少女は、ディロックを見上げる形で止まった。
ディロックがそうして硬直していると、後ろから、モーリスが少女へと挨拶を促した。少女は元気良くうなずくと、無駄に思えるほど大きく声を張って名乗った。
「わたしはニコラ! 旅人さん、おはなし聞かせてね!」
その大声にはっとしたディロックは、ああ、と頷きながら少し笑った。ただ純真なだけの子供にびくついている自分が、少し馬鹿らしくなったのであった。
ニコラに続いて、何人かの子供が彼の前に歩み出た。さすがにニコラほど接近してくる子供は居なかったが、躊躇はあまりない。どの挨拶も大きな声ではっきりとしていて、嫌悪を覚えるようなものは欠片も無い。教え方が良いのだろう。
そうして大半の挨拶を終えると、年長組みと思しき何名かも挨拶をしてきた。年長組みはより離れた位置、四歩ほど距離をおいてのものだった。
声に無駄な大きさはなく、しっかりと聞こえる程度の声に絞られている。しかし、緊張のためか、声が震えている者も二名ほど居た。
無理も無い、とディロックは思う。年長の者達も、彼から見れば子供だ。どこの馬の骨とも知れぬ男が突然同じ部屋で寝るといわれれば不安にもなるというものだろう。その危険さが、彼らにはわかっている筈だった。
そう考えれば、何の躊躇もなくディロックを迎え入れたモーリスが異常なのだ。無論、彼にとってありがたいことではあるのだが。
「皆、挨拶は終わりましたか? それでは、ご飯を持ってきますね」
全員の挨拶が終わった後、モーリスはそう言って調理場へと歩き出した。歩いて行く彼女を一度見てから、ディロックは子供達の方へ振り向いた。同時に、子供達も彼の方を見ていた。
興味だとか、好奇心だとか、そういう類の視線だ。彼は何となく、それを察した。
「おはなし!」
「あー……分かった」
彼は頭を適当に掻き、さて、と小さく呟く。頭の中では既に、なんの話をしようかと考えていた。
話の種は幾らでもある。旅というの物はいつも、驚きと神秘に満ちているからだ。そして、それを話す機会も多くあった。九年の旅路で得た様々な知識は、多くの場合、彼の味方をしてくれるものである。
その中で子供が好みそうなものが何かあっただろうか、とディロックは考えをめぐらせる。子供に話すものであるから、話の薄くなるものはダメだ。それに、血生臭くなるのもよくないだろう。
不慣れなりに気を使って、ディロックはようやく、話題を決めたようだった。適当な椅子を引っ張ってくると、子供達がその周りに座った。
「よし、ならこの間あった話をしよう。火蜥蜴の巣に間違えて入ってしまった話だ」
火蜥蜴といえば、尾の先端に小さな火をともし、炎を吐く、まさに冒険の世界の住民が一人である。
大人によって危険から守られている子供にとっては憧れの存在だ。なるほど、悪くない選択だと言える。その証拠に、子供達の目はきらきらと輝き、話の続きを望んでいるようだった。
こういうのも悪くは無いか。ディロックは子供達の様子に微笑むと、再び口を開いて話し出した。
「そう、あれは――」