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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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三十六話 作戦決行

 作戦決行の日は明日に決まったらしい。ディロックはどこかぼんやりとした思考の中でそれだけを思った。


 しぃん、しぃんと刃を研ぐ音が夜空の下へ響く。とっくの昔に(みな)眠り込んだ時間帯、邪魔に鳴らぬよう外へと出たディロックは、無心に剣を研ぎ続けていた。


 本来であれば本職の鍛冶師に依頼して整備してもらうのが良いのだが、今の状況でそうは言っていられない。この危険な状況で、態々鍛冶場にもどれという訳にも行かない。


 となれば、後は自分で研ぐほかない。幸い、整備道具は豊富に揃えていた為、道具には事欠かなかった。


 剣を研ぐ澄んだ音が鳴り続ける。するとしばらくして、軽い足音が彼の耳に入った。一瞬手を止めたディロックだったが、すぐにまた手を動かしはじめた。誰何(すいか)の声をあげる必要もない。エルトランドだ。


 彼のすぐ横に来ても、少年はしばらく立ったまま何も言わずにいた。ディロックから何かを言い出すこともなく、無為に時間だけが過ぎる。


「あんたは……」


 少年が不意に口を開いたので、彼はようやくそこで手を止め、少年の方を向いた。エルトランドはそれに一瞬怯んだが、すぐに頭を振って持ち直すと、言葉を紡いだ。


「なんで、そんなに強いんだ」


 問いかけではない。それは一種の、自問のように感じられた。逆説的に、どうして俺は弱いのかと言っているようにディロックは感じた。


 そうして、彼もまた考えた。自分が何故強いのか? 謙虚になれるほどの強さは持ち合わせていなかったがしかし、平均的な冒険者よりはよっぽど腕っ節に長けているという自覚はあった。


「あの日からずっと武器を振ってきたのに……。あんたに遠く及ばない」


 大人と子供で腕の長さが違うように、彼と少年の実力は、天地ほどの差があった。しかし、それは馬鹿にしていいような差ではない。


 それは、手を一目見れば分かった。少年の若々しく小さな手のひらは、しかし同年代のそれと比べるとかなり硬くなっている。たこがつぶれた痕が余計に痛々しく見える。それだけ剣を振ってきた証であった。


 ゆえに、少しばかり時間を掛けて考えたディロックは、いまだに言葉を吟味しながらも、ゆっくりとその口を開いた。


「九年だ」

「……?」


 何故強くなったのか? 結局のところ、彼の中にさえ、その問いに対する明確な答えはない。ただ、師に教わった通り愚直に剣を振り、戦い、走り抜けてきた。

 たどり着いたその先で、ふと見た手が、剣士の手になっていただけだ。


「俺が剣を振ってきた時間だ。死にかけたこともあった。剣を振りまわし続けて、たまたま才能があったから、生きて此処にいる」


 もう寝たほうがいい。ディロックはそう言って、また剣を研ぐ作業に戻った。


 少年は輪郭の不明瞭な答えを、うつむいて噛み締めるように立ちすくんでから、ディロックの傍を去った。彼はそれをつとめて気にせず、剣を含めた道具の整備をずっと続けていた。




 早朝になって、朝露が森の葉を伝って幾つか地面に落ちる。そんな光景を見ながら、ディロックは最後の確認を終わらせ、冒険者達と並び立った。


 ユノーグが説明している最中、彼が最後列で出発の時が来るのを待っていると、後ろからティックが近づいてきていた。振り返ると、少し驚いたように身をすくませてから、ディロックに皮袋を手渡してきた。


「……これは?」

「あなたが届けてくれたものです。妻の遺品なのですが……恐らくは今、あなたが持っていたほうがいいと思いまして」


 皮袋の中身を覗くと、そこには以前みた、木片のネックレスのようなものがあった。それは確かに、彼が猟師ティックにといわれて、エーファ村まで届けに来た物だ。


「いいのか? 遺品だろう?」


 皮袋を手の内で転がしながらディロックは声を上げた。


 正直に言えば、彼に遺品というものの大切さは良く分からない。なにせ彼の故郷の村では、遺品は残さない。全て死体と共に焼き、天へと送る習慣があった。


 しかし、大事だということは重々承知している。故の質問だったのだが、ティックは困った様に笑った。


「私の妻は、結界を守る役目を持った巫女だったのです。ですが、戦えない私がこれを持っていても意味はない。どうか持っていってください」


 そう言ってからティックは、ディロックが皮袋を返す暇もなく踵を返すと、そのまま去っていった。


 少し呆然としていた彼だったが、すぐにユノーグから出発の合図があり、結局木片のネックレスは首にかけておくことにした。


 なんにせよ、動きの邪魔になるほどではない。持っておいて欲しいというのなら、しっかりと返しに行けばいいだけだ。生きて帰らなければならない理由が一つ増えたというだけに過ぎない。


 そんな思いを胸に抱き、曲刀に手を掛けながら、森へと踏み入った。


 四度目となる森は、先日入ったときよりもより暗く沈んだ雰囲気をかもし出しており、虫の鳴き声もしない。これから昼に入ってゆくというのに、木漏れ日一つ差さず、陰鬱な空気が漂っていた。


 ユノーグが最前列で歩きながら眉をひそめ、口を開いた。


「なんだいなんだい、ここは何時もこんなに暗いのかい?」

「……いや。以前はもう少し奥まで行かなければ、暗くは無かったはずだが」


 彼はそう返答しながら、腰に下げたカンテラに素早く火をつけた。それを見たユノーグも、各々が持つカンテラに火をつけるよう支持する。そう時間もかからず、十数個の小さな明かりが団の周囲を照らした。


 しかし進めば進むほど闇は深くなっていき、じきに団の周囲は暗闇で包まれた。ディロックが森の奥を調べに行ったときより、暗闇に入るのが早い。あの不自然な、魔法による暗闇が広がっているのは、確かなようだった。


 魔法使いの何人かが、杖の先に光を点した。初歩的な『光明(ライト)』の魔法だ。しかし、魔法で出来た暗闇の中でも届く光は、多くの団員に安心感を与えていた。


「この闇はいったい、どのくらい続くんだ?」


 うしろから声が上がり、ユノーグが胡乱気に彼のほうを振り返った。誰一人この状態の森に入ったことが無かった以上、参考になるのは、何度も森を訪れ、一度奥まで向かった彼の意見である。


 ディロックは少し顎に手を当てて考えると、四、五時間ぐらいだろう、と答えた。


 もう随分歩きはしたが、ディロックが歩いていた時よりも早い段階で暗闇が侵食している。ゆえに以前の感覚はあてにならず、およそそのぐらいと言う予測でしかなかった。


「まだそんなに掛かるのかい? あんた、この中を良く一人で歩いていけたね」

洞窟人(ドワーフ)ほどじゃあないが、俺も夜目が利くほうでな」


 彼の猫の様に縦長の瞳孔は、深い深い黒の中でも尚、光を受けて金色に光っている。それは最早、夜闇に浮かぶ猫の瞳と大差ない。なるほどね、とユノーグの声が漏れた。


 にしても、と彼はふと思った。カンテラの明かりを頼りに歩いていた時とは大違いだ、と。


 大勢でくると、森の木々の様相が分かるほどには明るさを確保できた。魔法の明かりもある。魔法の闇とはいえ、十全に見通せる状態だ。


 すると、森の奥は木々の一つ一つが酷く湿り気をおび、多くが腐りかけているのが見えた。


 大きく張られた闇の魔法で、日の光が届かない為だろうか。葉は落ち、根も枯れ、中には悪臭を放つものもある。森は酷い有様をさらしていた。


 この有様を見るに、魔法の闇が隠蔽の為に使われたのだとしても、随分長期間にわたって、森が闇で覆われていたという事になる。


 それどころか広がっている事を考えると、いくら邪神の力を借りたとしても、死霊術師一人では魔力が足りない。あるいは封印の解けた『黒曜石』によるものかもしれない、と彼は考えながら、ただひたすら森を歩いた。

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