三十五話 集合
気絶してしまったエルトランドを抱え、ディロックは避難所まで戻ってきた。その頃にはもう村の重役たちは既に会議室に集まっており、調査団を代表してユノーグ、そして単独での参加となるディロックが呼び出された。
会議室に入ると、カーテンが締め切られた会議室の中で、小さなランプの光が揺れている。
今しがた戻ってきたばかりの二人以外は既に情報の交換を終えているようで、視線は一斉に二人の方に集まった。
「まずは、村を守ってくれてありがとう」
浅黒い健康的な肌をした村長は、そう言って頭を深く下げた。モーリスも同時に頭を下げる。
ディロックは小さく頷き返し、傍らのユノーグもまた鷹揚に頷いた。しかし、今は感謝ばかりを聞いているわけにもいかず、ユノーグが口を開いた。
「それが仕事さ。で、詳細な話を聞きたい。あたしらもついたばかりだし、概要しか聞いてないんでね」
「ああ、もちろんだ」
村長がユノーグへ向かって、村がどういう状況にあるのか説明し始めた。謎の怪物の出現。ディロックが見たという封印のほころび。そして、それが今回の件にかかわっていそうだという事。
そして、今までは比較的余裕があったが、一刻を争う事態となっているため、できるだけ早くこの事態を解決して欲しいという旨だった。
それを聞いてから、彼女もまた話し始めた。村に来てから何が起こったかと、ディロックが死霊術師と交戦、撃破したこと。恐らくはその死霊術師がこの事件にかかわっているだろうという推測も追加された。
しかし、とディロックが口を出す。全員の視線が集まった事を気配で察してから、彼は再び話し始めた。
「討伐した死霊術師が首謀者だったとしても、おそらくこの事態は解決しないだろう。既に封印はほころび、現にこうして怪物も訪れた」
「……では、どうすれば? 我々では、判断できないのですが」
村長は困った様に眉を寄せ、ユノーグの方を見た。彼女もまた首をすくめると、そのままエーファ村の冒険者組合を代表して来ていたトニカに目を向ける。
自然と村長の視線もそちらへ向き、トニカは一つ咳払いをこぼすと、全員の顔を一瞥してからいった。
「封印が解かれた、あるいは解けかけている今、封印の場所へ行って再封印するか、あるいは封印から解き放たれたものを討伐するしか方法はないでしょう」
それが出来るだけの戦力は未知数ですが、とトニカは小さく付け加えた。言い訳がましく聞こえるが、実際わからないものは分からない。実力ほど数値化し辛いものはないのだ。
万が一数値化出来ていたとして、怪物がどれだけ強いのかも分かっていないのだ。神話の怪物とてピンからキリまでいる。相手の強さが分からないというのは、それだけで人に恐れをもたらす。
これだけの冒険者をもってしても、あるいは、勝てないのかもしれない。そんな考えが、重くどんよりとした空気を会議室の中を漂わせ始める。
しかし、そんな空気を切り裂くように、凛とした声が会議室の中で響いた
「大丈夫です。封印が解けていたとしても、私達で充分対処できます」
モーリスだ。重そうな本を抱え、何時もの様に柔らかな表情の裏に、わずかに緊張が見て取れた。いくつもの視線が彼女の方を向き、若者の代表として会議に出ていたグラムが代表して口を開いた。
「根拠は?」
「ご説明します。教会に残っていた文献を調べたところ、封印された混沌の輩の正体がわかりました」
彼女は抱えていた本を音も立たないほど丁寧に机におくと、しおりがはさんであったページをゆっくりと開いた。
開かれたページの内容を斜め読みするかぎり、どうやら古グディラ王期の物語の一つのようで、一匹の霊獣の命、そして一人の献身を持って混沌に属する者を封印した話が描かれている。
全員がそのページをまじまじと見つめる中、モーリスはゆっくりと息を吸ってから、説明を始めた。
「混沌の名はヴィジャグラグス。『黒曜石』という意味の名を持つ怪物です」
それから、モーリスは聞き取りやすいハキハキとした声で物語の概要を語り始める。だが、驚くことにディロックは、その話に見覚えがあった。
物語の石こと、あの遺跡にあった石碑だ。手ずから翻訳したものではあるため細かい部分に差異はあれど、話の流れはほぼ一致していた。
混沌が解き放たれてそう間もないころ、まだ名前もなかった埋骨の森に混沌の手勢がやってきた。
その時森に住んでいた霊獣と人とで手を組み、共に抗ったものの、圧倒的な数の前に疲弊し、とうとう総大将たる『黒曜石』を完全に倒す事が出来なかった。
しかしただでは終わらせぬと、気高き獣はその身を楔へと変貌させ打ち込み、自らがもつ災いを払う力を持って『黒曜石』を封印せしめた。
そして軍勢全てが消えた後、楔は怪物ごと森の奥に封印され、ある一族に守り人としての任を与えた。話の内容としてはそんなものだ。
そして、その話に出てくる『黒曜石』の名を持つ怪物が、今封印を解いて出てこようとしている混沌の者、という事になる。しかし、それだけでは今ある戦力で倒せるという根拠にはならない。
「はい。ですが、この文献をより詳しく調べると、どうも怪物は瀕死の状態で封印されたようなのです」
モーリスが読んだ文献では、怪物は戦いの中でその体のほとんどを失ってしまったと書いてあったという。つまるところ、人間であれば既に死んでいる身ということだ。
しかし『黒曜石』は胴体すら失った左手のみの状態でまだ動き、疲弊した人獣混合軍では討ち果たす事は出来なかった。故に、封印されたのは左手だけになった『黒曜石』、と言うことになる。
「左手だけ?」
「私も詳しくは分からないのですが、何でも部位一つ一つが一個の意志を持って行動できるそうで」
訝しげな声で誰かが質問が飛んだが、彼女はすぐに答えた。文献は既に頭の中に入れてあるらしかった。
「しかし怪物も左手だけでは、本来の力は出せないでしょう。長年の封印でその力も弱っているはず。充分に勝機はあります」
混沌の者たちは、強く在れと作られたが故に強い。しかし、今この場に集まった面子に、僅かだが、確かな希望が宿っていた。
それに、冒険者達も腕利きの者たちしか集まっていない。ユノーグしかり、ディロックと共に戦った四人しかり。皆戦いの中で生きてきた者たちなのだ。弱りに弱った怪物一匹、殺せない道理はどこにもない。
少し明るくなった雰囲気の会議室にノックの音がする。村長が許可を出すと、扉を開いて入ってきたのは、猟師ティックと、手に手に料理の盛られた皿を持った者たちだった。
「夜も更けておりますが、夕食をとられていないとのことで。勝手ながら我々で用意したので、どうぞお食べください」
そういえば、とディロックが外を見た。カーテンで遮られた外側は、もう真っ暗だろう。とっくの昔に夜はむかえており、完全に夕食の時間を逃がしていた。
その時、ちょうど誰かの腹が鳴る。怪物関連のてんやわんやで時間をとられすぎていたのだ。村長は忘れていたな、と笑って、皆に食事を取ってくれといって自分も食べ始めた。
ゆっくりと見え始めた希望の中で、皆が遅い夕食をとり始める。ディロックも少し様子を見てから、適当に食器を手にとって食べ始めた。
すると、その横の席へと、静かにティックが座り込んだ。彼は飯を口へと書き込みながらチラリとそちらを見たが、話しかけてくるまでは無視することにした。
一通り食べ終わった後、ディロックはようやくティックの方を向いて話しかけた。
「何か用か?」
「届け物の話です。あなたが届けてくれたと聞いて、お礼がいいたかったので。邪魔でしたかな?」
いや。彼が小さく否定の言葉を漏らすと、ティックは小さく頭を下げた。
「妻の遺品なんです。届かなければ、彼女が死んだ事も気付けなかった……」




