三十四話 戦士対死霊術師
死霊術師はそういい放つや否や、杖を強く地面へと突きたてた。ぞわりとする魔力の動きを察したディロックは、離れろ! と大きく叫びながら迷うことなく跳び退った。
槍使いに引っ張られて斧使いもなんとか離れた瞬間、その鼻先を掠めるように赤黒い衝撃波が吹き荒れた。
それは最早魔法とも呼べない、魔力の爆発というべきもの。普通の魔法使いが使えば到底意味の無い行為となるが、顔を代価に得た邪神の力によって魔力を増強された死霊術師が行えば、それは明確な脅威と化す。
石畳が砕け、粉塵が風に乗って暴れ出す。ディロックは咄嗟に目から粉塵を守ったが、魔法使いは防ぐのが遅れたのか、僅かに悲鳴の様な声が聞こえて来た。
砂煙が晴れた。しかしその先に、死霊術師の姿は無い。再び『透明化』を行使したのだろう。
魔法使いのもつ厄介な魔法として数えられる『透明化』は、そもそも魔法使い単独で戦う場合の定石だ。姿を消しさるという単純な効果は、戦いの場においてかなりの優位性である。
しかし、魔法使いにとっての定石だからこそ、ディロック含め戦士たちにも対『透明化』の定石を知っていた。
「『透明化』だ!」
言うが早いか、斧使いが腰につけていた皮袋の一つを半ばひっくり返すようにしてぶちまける。すると、真っ白な粉があたりに舞う。
一瞬にして大部分が白くなった視界の中、ディロックと槍使いは明確な狙いを持って攻撃を繰り出した。それが闇雲なものでないのは、ひとえに宙にまった粉のおかげだ。
『透明化』はその名の通り、自らを見えない物とする魔法である。しかし、それより周りのものについてはその範囲外にあり、こうして粉などを辺りに撒けば相手がいる場所に不自然な空白が生まれるのだ。
確かな手ごたえとともに、血しぶきが飛び散る。苦悶の声が聞こえたが、すぐに刺さっている感覚が抜け、何も無かった空間に唐突に樽が現れた。術者と対象の位置を入れ替える『座標交換』だ。
しかし、おそらくそう遠くにはいっていないはず。『座標交換』の魔法はそこまで遠くに飛べない上、視界内の物としか位置を交換できないためだ。槍使いと背中合わせに周囲を警戒すると、すぐに槍使いが声を上げた。
「血が出た、あそこだ!」
すぐさま斧使いがその場所へ向かって斧を振り上げると、その瞬間に死霊術師の姿が浮かんだ。透明になっていられる時間はそう長くないのだ。
しかし、斧はその重さゆえに取り回しづらい。槍使いやディロックほど機敏な動きは出来ず、すんでのところで攻撃をかわされ、死霊術師は転がるようにしてその場から脱した。
だが、死霊術師は既に満身創痍と言っていい。二人に刺された後に加え、魔力も相応に消費しているはず。とても熟練の戦士たちに適う上体ではなかった。
死霊術師は素早く立ち上がると、呪文を唱えて杖を掲げた。その杖の先から魔力がうねり、火の球を形作って行く。
それは先ほどのような、魔力節約の為の加減したものではない。目算だけでディロックよりも大きいのは確かであり、人を一人二人焼き殺してなお余りある熱量を湛えている。
「消しぶがいい、下等な人間ども!」
泥のような声で死霊術師が叫ぶ。すばやく回避行動に移った槍使い、斧使いとは反対に、ディロックは死霊術師へ向かって駆け出した。
しかし、魔法が完成している以上、どうあっても間に合わないのが道理だ。いかに迅速なれども、完成済みの魔法よりも早くはなれない。とめようとした槍使いの手は空を切った。
死霊術師は彼の愚かさをグツグツと笑いながら杖を振り下ろし、大火球はそれに従うようにして前進し始めた。ディロックは肩布を掴んだままの左手を盾のように掲げ突き進み、火球と接触する。
ドォン! 轟音とともに、爆発がディロックを飲み込んだ。熱風はそれよりそとを舐め、炎と黒い焦げ痕を残していく。火はすぐに魔法使いによってかき消されたが、ディロック自身は爆風の中にいる。
誰が見ても助からない威力だ。死霊術師は笑い、残った者たちへ一歩歩を進めようとして――止まった。
爆風が消え去ると、黒焦げになった道の上、ディロックが原型を残して立っている。濃い緑色をした肩布は欠片ほども焦げなどついておらず、またそれに守られた彼の体も、一切熱の影響は受けていない。
彼は肩布をずらし、その暗褐色の顔に無表情を貼り付けたまま、一歩、二歩と歩き出す。死霊術師はうろたえて二歩後ろへたたらを踏んだ。
「ば、馬鹿な……! あの火! あの爆風! お前ェ、どうやって生き残ったァ!」
「自分で考えろ」
ディロックへの怒りに身を任せ、死霊術師は再び杖を振り上げた。今度はより巨大な火球で焼いてやろうとしたのだろうが、それは適わなかった。
唐突に、光を宿した矢が、死霊術師の胸を後ろからを貫いていたからだ。
「お……オ、ぉ?」
ぎこちない動きで後ろを振り返った死霊術師の目には、魔法使いの男が杖を突き出しているのが写った。
「魔法使いはお前だけじゃない。精々地獄で反省するんだな」
助けを求めるように、杖を取り落として、死霊術師は腕で空を掻いた。ローブの裾から、わずかにひからびた胴体も見える。ディロックはその腕を無慈悲に振り払い、右手で曲刀をひょうと振り抜いた。
銀閃が走り、死霊術師の首が刎ねられる。それは宙を舞っているあいだ、みるみるうちに塵と変わってしまい、地面に落ちる頃には赤黒いただの布切れとなっていた。
死霊術師の胴体も同じく、ボロボロと風化していく。風に吹かれ、村を焼こうとしていたのが跳ね返ったかのように、最終的には塵となって消えた。
「……終わったのか」
「まだだ!」
ディロックが呟いた瞬間、斧使いが叫んだ。ハッとして彼が振り返ると、そこには剣を振りかざした状態の動く骨。
鎧も盾もなく、ただ剣だけを握らされたあわれな死者の骨は、しかし剣の重さだけでディロックの頭蓋ぐらい叩き割れるだろう。咄嗟に剣を滑り込ませたディロックだったが、それも杞憂に終わった。
斧使いが、豪快にその手の獲物を薙いでゆく。斧は風を引き裂きながら動く骨へと突き刺さり、鈍い刃は鎚のように骨を砕き、その半身を真っ二つに分けた。動く力を失い、骨だけの上半身は地面にたたきつけられ、砕けた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ……驚いた。最後のは詠唱だったのか……」
死霊術師は、助けを求めるようにして手元へ注意を引いていたのだろう。呪文は杖が無くても使える。声さえ出すことが出来れば魔法の行使は出来るのだ。
死に際の魔法でディロックの不意を打つつもりだったのだろう。実際、死霊術師へと注意を払っていた彼はかなり危ないところだった。
「すまん、助かった」
「いいってことよ。俺の仲間も、あんたに助けてもらったしな」
ディロックが礼を言うと、斧使いは鼻の下を指でさすりながら、笑みを浮かべて返答する。戦闘の緊張感はゆっくりと解けて消え、僅かばかりの勝利が残った。
「それにしても、よく生きてたな? その肩布が魔法の品なのか?」
ふと気付いたように、斧使いはディロックの肩布を見た。濃緑色の肩布は巨大な火球をものともせず、まるで火など受けていないかのごとく焦げ一つない。
「まぁ、そんなところだ」
曖昧に返事をした彼に、しかしいぶかしむ事も無く、斧使いの男は感心したように何度も頷いた。
ただ、彼の頭の中には、その肩布の正体に少し胃が重くなるような思いだった。なにせ、その濃緑色の肩布、ディロックが盾のように扱うそれは、まごうことなき竜の皮を加工して作ったものだった。




