三十三話 少年対死霊術師
「特徴的なものがあれば追えるのか?」
「あ、ああ。俺は『物体探知』の魔法を覚えているんだ」
『物体探知』は、術者が思い浮かべた物体や、それに類似したものの場所を把握できる魔法だ。術を使う際、物体のイメージが強ければ強いほど、より詳細な条件で調べられる。
生物は探知できないが、人間が持った道具の位置なら分かる。エルトランドは短剣を持っていた。この騒ぎの中、おいていくとは思えない。あれなら追いかけられるはずだ。
ディロックは一つ一つ少年が持っていた短剣の特徴を上げ始めた。まだ汚れも傷も無い新しいもので、刃は安物らしく鉛色の光をほとんど反射しないもの。
本来は絵などを使ってイメージを固めるのだが、今回はそれが無い。ディロックの説明と魔法使いの想像力に託されている。
「……よし、行ける。『物体探知』!」
しずかに魔力の波動がうねる。魔法使いの男の中でそれは文字の形を成し、ただ静かに魔法として放たれる。
「見えた! 動いてるのは向こうだ! 少し遠い!」
魔法使いはそう叫んで指差した。壁を向いているが、たしかにその方角に見えているのだろう。
しかし、そう叫んだ次の瞬間、男は困惑したような顔になった。他の三人は、既に壁を登っていこうとしていたが、その顔を不思議に思ったディロックは魔法使いに問い掛けた。
「どうした?」
「ああ、いや……おかしいんだ。あんな動き方、走ってるだけならするはず無い。戦闘中としか考えられない動き方なんだ」
ギィン! 短剣が火花を散らしながら、どう見ても木製にしか見えない杖をかすっていく。エルトランドは恐るべき顔の無い男に立ち向かい、必死に短剣を振るっていた。
一振り、二振り、短剣が舞う。歴戦の剣士には遠く及ばずとも、年齢で見るならば、見事な一閃である。
それは、鍛錬を重ねてきたのだろう。誰にも見られないよう、早朝、あるいは深夜。短剣を振り、振り、振ってきたのだろう。それが、執念が透けて見える様な振り方であった。
対する敵は、赤黒いローブを着た魔法使い風の人型だ。だが、深く被ったフードの奥は、光を全て遮断しているとしかいいようの無い暗闇だけが広がっている。
明らかに尋常な人間ではない。顔を邪神へと捧げ、その代わりに力を授かった死霊術師だ。腕や足を捧げるものもいるが、その不可思議な消失のしかたは見間違いようも無い。
エルトランドは獣のように鋭く息を吐き、また一振り短剣を振るう。執念で振られるそれが僅かに死霊術師のローブを裂く。
だが、届かない。
腕前の差か? 否。近接戦闘の腕前で言うならば、およそエルトランドの立ち回りの方が正しい。子供ゆえの無力を技術で補うべく、何度も剣を振るってきたのは目に見えている。
対して死霊術師はといえば、前衛はもっぱら、呼び出した死霊や魔法生物に任せ切りだ。たとえ幼き戦士といえど、決して届かないものではない。
では、何故届かないのか? 答えは当然、持っている力の差だ。
死霊術師が一言二言ぼそぼそと呟いて杖を振るうと、その姿が掻き消える。『透明化』、その身をかき消す魔法だろう。
姿を見失った少年の真横から、見えない杖の殴打が襲いかかった。当然、風を切る音で判断出来る程の力量ではないエルトランドには避ける術も無い。幾度か殴打が襲って、エルトランドは鼻血を流しながら膝を突いた。
何度それが繰り返されたのかは分からない。既に少年の顔は殴打の痕、痣や腫れだらけで、その目に元あった達観したような光は無い。あるのは憎悪と、怨嗟と、執念の濁った色だった。
「……ふざけるな」
ヒュー、ヒュー、と苦しそうに息を吐きながら、エルトランドが泥のように吐いた言葉。それこそが、少年を突き動かすただ一つの理由だ。
足が震える。剣を握った手はおぼつかず、もう強く握るだけの余力も無いのだろう。だが、少年はそれでも立った。
「ちくしょう、ちくしょう、ふざけるな! 二度も、二度も、俺の村を焼く気か!」
何度も殴られて意識が混濁しているのか、目の焦点は合わない。闇雲な方に剣を振り回しながら、少年は尚も言葉を吐き続けた。
「俺の……モーリスの……ロミリアの、居場所を……もう一度、奪う気、かぁ……!」
もう失いたくない。もう失わせたくない。もう傷つかせたくない。心優しき少年、エルトランドを支えるのは、もはやそれだけだ。
死霊術師は、今のエルトランドでは到底届かない位置に再び姿を現した。戦いにもなっていなかった蹂躙を、今終わらせる気なのだろう。
力の言葉が二、三呟かれる。魔力が渦を巻き、それはすぐに握りこぶしほどの火の球を形作った。
ちくしょう。エルトランドはふたたびそれだけを口の中で呟くと、きつく目を閉じ、強く歯を食いしばり、拳を握り締めた。火の玉は小さく、しかし瀕死の少年一人を殺すぐらいなんてことは無いだろう。
明らかに加減された火球の大きさが、彼は無性に悔しかった。
死霊術師が杖を突き出すと同時に、火球が前へと打ち出され――そして、二歩分と動かぬうちにかき消された。
何時までも訪れない痛みに、少年はゆっくりと目を開いた。
「……エルトランド。生きているか?」
鉛色に光る金属の鎧の後姿。左肩からは濃緑色の布が掛けられており、ディロックはそれを左手で掴み、盾のように構えている。それはどこか闘牛士の構えに似ており、実際、彼が戦うときの基本姿勢であった。
右手の剣は金属の篭手に強く握られ、その剣呑な色を湛えた刃を隠すこともない。装飾の少ない曲刀ではあるものの、刃だけでその上等さが見て取れる。
少年は口を動かして何か言おうとするが、疲弊しきった喉では上手く声を吐き出すことは出来なかった。しかし、ディロックはそれに僅かに反応し、そうかと呟いた。
そこに、少し遅れて四人の冒険者達が屋根から飛び降りてきた。受身を取って起き上がるやいなや、ディロックと同じように戦闘態勢をとった。
少なくとも、必要戦力も分からない調査に抜擢されるほどの腕利きだ。安心して背中を任せられる仲間である。
「よお坊主、無事か? いや、無事じゃないか」
冒険者の一人がしゃがみこんでエルトランドに問い掛ける。呆然としている少年の答えを待つことなく、男は素早く魔法を唱えた。
「『軽傷治癒』。これでひとまず、死ぬこたぁないだろ」
ほのかな薄黄色の光が舞い、少年の体を囲う。それが二周、三周したかと思えば、ふわりとはかなく消え去った。すると、時が巻き戻るかのようにして、エルトランドの傷がふさがって行く。
「良い啖呵だったがな、坊主。自分だけでやれる事なんてそう多くねえってことだけ覚えときな」
それだけ覚えとけば、人に頼るってのもできるもんだ。そう言って、魔法使いの男は名乗ることなく立ち上がると、死霊術師の方に向き合った。エルトランドはその後ろ姿を目に、ゆっくりと意識を失った。
一撃、一撃、また一撃。ディロックの素早い剣閃が死霊術師を襲う。踏み込みは鋭く、視線は更に鋭い。逃がす気などさらさら無く、無論此処で仕留める気である。
距離をとることでなんとか致命傷は逃れている物の、彼ほどの戦士の攻撃を全てかわしきれる訳ではない。幾つもの剣閃に切り裂かれ、赤黒いローブの奥から血が噴出す。
しかも、冒険者がいることも忘れてはならない。ディロックほど武器に熟達しておらずとも、彼らの槍は、斧は、弓は、魔法は、充分脅威足りえるのだ。
穂先が伸び、斧が振り下ろされ、矢が飛び、魔法が吹き荒れ、銀の刃が空を裂いて迫る。死霊術師は防戦一方になりながら、まるで血でも吐いているかのように濁った声で叫んだ。
「腹立たしい……! この私が、貴様らのような下賎なものにィ! やられるものかァッ!」




