三十一話 一時の休息
ディロックはしばらくの間、ユノーグと言葉を交わした。まず自分が調査に加わりたいと伝えた者である事を伝えると、彼女はやんわりと頷いて、その実力なら合格だ、と言った。
むしろ、こっちから呼びたいぐらいだ、とユノーグが笑う。快活で、何処となく力強い笑い方だ。彼も釣られて、ぼんやりと微笑みを浮かべた。
戦闘が終わった後の、余韻のような安堵感の中、ふとディロックは話しを切り出す。ユノーグもそれに、真剣な様子で答えた。
「……ところで、何があったのか聞いても良いか? 戻ってきたばかりで、良く分かっていないんだが」
「ああ、構わないよ。と言っても、あたしらが言えるのもそう多くは無いんだけどね」
彼女はディロックの横へどっかりと座り込むと、ディロックが居ない間の、怪物が攻めてくるまでのことを語り出した。
まず始めに彼女が話したのは、村に到着した時の事だ。それはつい数時間前のことで、ちょうど彼が翻訳を終えたぐらいのことになる。
彼女が村に到着すると、何人かの村人が迎えに上がった。
派遣冒険者となればそれなりの実力を持っているのが基本だ。下手に機嫌を悪くして暴れられれば、一般人では到底太刀打ちできない。ゆえに、そういったちょっとしたご機嫌取りはあたり前と言える。彼は続きを促した。
「その時に、なんだか妙な奴がいてねぇ」
それはおおよそ、ディロックよりも少し背が低いぐらいの男だった、とユノーグは語る。
「真っ黒なローブに真っ黒な仮面をつけてたんで、おかしいってのはすぐに分かったよ」
ちょうど広場に差し掛かった辺りに、その不審者はいた。そして、そこからが問題だった。
その男は、どうにも人間らしくないぎこちない仕草で調査隊の方を見ると、何を言う間も無く襲い掛かって来たという。およそ槍が届かないぐらいの距離を、黒い男は立った一瞬で詰めて来たのだと。
「一人殴られて、やられた。集まった面子の中じゃ、一番新米の奴だったよ」
ユノーグの顔に浮かんだ苦虫を噛み潰したような表情を、篝火の光に照らしている。ディロックは無言で少し目を伏せた。
一瞬沈黙があって、それで、と彼が続きを促した。彼女も、その言葉に頭を左右に振ると、それからのことを話し出した。
「そのままそいつと戦闘になって、勝ったよ。じゃなきゃここに居ないからね」
違いない、と無言のままにディロックが頷く。
「ただ止めを刺した後に、そいつはローブと仮面だけ残して黒い液体になっちまったのさ。ちょうど、さっき倒してた化け物みたいな塩梅にね」
つまり、その男もまた、人間に偽装しただけの霊薬製魔法生物だったという事だ。彼は頭をがしがしと掻いてその事実を受け入れながら、理解を示すため小さく頷いた。
しかし、だとしたら、あの森にあった、魔法によって作られた暗闇は何だったのだろうか。封印されている状態では、魔法生物を生み出すほどの力を発揮できないはずである。
となると、何者かの――それも、混沌を望む――意図が絡んでいるという事だ。ディロックは眉をひそめた。その様子にユノーグが首をかしげる。
「どうかしたかい?」
「……いや、首謀者がまだ見つかっていないから、少し不安に思っただけだ。続けてくれ」
彼女はディロックの言葉に頷くと、怪物だった男を倒した後の事を話し始める。
黒い液体へと変わってしまった男を調べていると、森から大きな音が聞こえて来た。それは軋むような、ガラスが割れた様な音であったという。
何かと思って戦闘員の大部分を連れて見に行ってみれば、森の奥から凄まじい数の怪物が村へ向かって進んでいた。まともな防壁を張る暇もなく戦闘に入り、それからはディロックも知る通り緩やかに負けて居た。
ざっくりとした流れを聞いて、彼は一つの質問をユノーグへと返した。
「その音、原因は分かったのか?」
「ああ、何でも、ステンドグラスが割れた音らしいが? 原因は知らないね」
ステンドグラス。その言葉を聞いたディロックの脳裏に映像が再生される。十中八九、あの質素な風来神の教会に不釣合いな立派なステンドグラスの事だろうだろう。
となると、ステンドグラスが割れた件についてはモーリスに聞いたほうが早いだろう。そう思ってディロックが立ち上がると、ちょうど冒険者の者達も治療や後始末を終えたところだったようだ。
村人の安全を確かめに行きたい、と彼がいうとユノーグも同意した。怪物は冒険者達だけで押さえ込めていたわけではない。怪物によって避難した地下室が破壊されては居ないか心配ではあったのだという。
まだ疲労が色濃く見える冒険者達を引き連れて、彼は集会所付近にあるという地下の避難所へと急いだ。
「取り残された奴は居ないかい! 怪物は殲滅した、もう大丈夫だぞ!」
避難所へ向かいながら、ユノーグが何度も声を掛ける。
決められた避難所があるとはいえ、それに逃げ込めるかはまた別の話だ。時間にもそう余裕がある訳では無い為、村中の家を一軒一軒回るわけには行かないが、それでもできるだけ声をかけるようにしていた。
ディロックもそれが無駄だとは思わず、むしろ進んで協力した。避難所への道も半ばほどに差し掛かった辺りで、彼が声を掛けていると、ふと路地裏から足音が聞こえた。
軽い足音だ。ハッとして彼がそちらを向くと、そこには三人の少年少女が居た。ウル、ニコラ、ロミリアである。
「旅人のおじさん!」
「ディロックさん!」
ディロックの姿を見つけると、三人は一も二も無く走ってきた。何時も笑っているニコラも泣きそうな顔になっていた。
モーリスとはぐれて、そのまま隠れていたらしい。無事でよかった、と胸をなでおろしながら、子供達へと語りかける。
「無事だったか?」
「うん! でも、エルとはぐれちゃって」
木剣を強く握り締めて、ウルがうつむいた。エル。エルトランドの事だろう。短剣を握った姿が彼の脳裏によぎる。
およそ無茶をする少年という印象だ。元々協調性が強いといえる少年には見えなかったが、まさか何かあったのだろうか。ディロックは思わず口に出して問い掛けていた。
「エルトランドが?」
すると、ウルとニコラは、少し迷った様子で顔を見合わせた後小さく頷いた。
どうにもただはぐれたのとは違うように感じ、ディロックは首をかしげると、ロミリアがおずおずと前にでて口を開いた
「その……火が、とだけ言って……どこかに行ってしまいました」
「火の手かい? どこからも火事の気配はしないけどねぇ」
ユノーグがその話にぽつりと呟いて返す。気弱な少女はそれにどう返していいのか分からない様子で、目を右往左往させた。
火の手、か。ディロックが小さく呟く。火であれば、一つ思い当たるふしがあった。以前居たという村の話だ。
たしか、一夜にして住んでいた村全体が焼け、その村の生き残りがモーリス、ロミリア、そしてエルトランドだったはずだ。
この騒動に、何か似たものを感じたのか。深くエルトランドを知っている訳ではなかったが、それでも何かしら関連はあるのだろう。
「……分かった。そいつはあたしらが探しとく。何人かおっさんをつけてやるから、避難所まで送ってもらいな」
いいのか? ディロックが目で問い掛けると、ユノーグは小さく頷く。そして振り返ると、後ろについてきた冒険者のうち三人を指差して、子供達を送るように指示した。
冒険者とはこうあるべきなのさ。ディロック後で、ユノーグからそう話された。兵士やら騎士やらが取りこぼすような奴らを守ってやるのが仕事なんだ、と。
「おじさん、エル、大丈夫だよね……?」
三人の冒険者に連れられて行く前に、ニコラが不安気に聞いてきた。
どう答えて良いかは分からない。だが、むやみやたらに子供を不安にさせるのも良くないだろう。そう考えた末、ディロックはニコラの頭を軽くなでてやると、一言だけ言った。
「ああ、無事に連れて帰る」




