三話 風来神教会
少しの間困惑していたディロックは、半ば引き込まれる様にして、修道女の後を追って教会へと入って行く。入り口の大扉を抜けた先は、彼があまり慣れ親しんでいない空間だった。
いくつかの長椅子が等間隔に並べられた広間。天井はかなり高く作られており、前面の壁には、およそ天井まで届くかと言うほどの、巨大なステンドグラスが飾られていた。修繕の跡すらも古く、恐らくは相当昔からあったものなのだろう。
それは片手に羽ペンを握って、皮のブーツを履いた男のように見える。ガラスの上に色鮮やかに描き出されたそれは、ひゅるりとした流線形の図形に背を押されるように歩を進めた形で制止している。
空と風――すなわち、変化を司る神のそれ。風来神のものである。
かの神は雲の上を渡って、日ごとの空と風を操り、世に広がる変化を日々雲に書き記しているのだという。
――礼拝堂。
神に祈りを捧げる空間は、ややこじんまりとしていても、静かな貫禄のようなものを漂わせていた。
「……俺は信徒じゃないんだが、教会に泊めて良いのか?」
「教えには、変化は寛容でなければならない、とあります」
同居人が一人増える程度で怒るほど、狭量な神ではありません。修道女は軽く微笑んでそう告げた。
ディロックはがしがしと頭を掻き、少し困った様な顔をした。教会と言う場所は、どこか近寄りがたい雰囲気がある、と彼は感じていた。いわば、苦手な場所だったのである。
ただ、礼拝堂内を見回してみても、彼の望む言い訳は出てこない。さりとて、泊まらない理由があるわけでもない。屋根があって、雨風をしのげる。これ以上を望むのは――少なくとも、彼にとっては――贅沢というものである。
自分でもよくは分からない教会への感情に首をかしげながら、ディロックは修道女の方へと向き直った。
すると丁度、ステンドグラスを通って変色した夕暮れの光が、丁度修道女に当たって、幻想的な風景になっているところであった。灰色の修道衣を纏った彼女は色鮮やかな光にてらされて、ある種の絵画のようにすら見える。
「お気に召しませんか?」
そう言って小首を傾げた修道女を見てから、ディロックは諦めたように首を横に振った。
「それで、どこで寝ていいんだ?」
さすがの彼も、神に祈りを捧げる場である礼拝堂で寝る勇気はないようだった。修道女はくすりと笑うと、こちらに寝室が、と歩き出した。
礼拝堂には、入り口から見て左右へ一本ずつ通路がつながっており、修道女が案内し始めたのは左側の通路だった。通路は礼拝堂と比べればずっと質素なつくりで、漆喰で出来た壁にいくつかの木枠の窓が貼ってあるばかりだ。
とはいえ、エーファは辺境の村である。質素というよりは、これが普通なのだろう。ディロックは一人納得しながら、礼拝堂の光景を思い出して再び首をかしげた。
――やはり、おかしい事なのだ。
そもそも、ステンドグラスと言うものは、ガラスに色をつけるだけではない。ガラスにはそれぞれ、様々な手法で色を混ぜ込まなければならないし、一度失敗すれば再び一からやり直しだ。ガラス代は馬鹿にならない。
ともなれば、それを絵画のごとく切って並べなおすのがどれだけ手間がかかる事か。ステンドグラスは、たとえ人一人分あるかないかという大きさで目玉が飛び出るほど高価なのだ。
この教会には似つかわしくない、と言っても過言ではない。ますます不思議がったディロックだったが、疑問は修道女の声に打ち払われて霧散した。
「そういえば、旅の方はどちらからいらっしゃったのですか?」
「……ん、ああ。南の方からだ」
ぼんやりとした思考が一気に引き戻し、ディロックは咄嗟に返事をした。かなりおざなりな返答になっていたが、修道女は気にしていない様子でディロックを先導して歩き続けた。
通路を進んで少しすると広間に出た。広間といっても、少し広くなった正方形の部屋で、椅子がいくつかと、長机が一つ置いてある。おそらく、食事場でもあるのだろう。
すぐそこに調理場もあるという説明を受けながら、ディロックと修道女は歩を進める。
更に直進すると、左側に部屋が見えた。
扉の脇には司祭室と書かれており、扉も他の部屋よりも少し豪華に見える。とはいっても、ちょっとした装飾が少し施されている程度で、他は大差ないものだった。ちらりと目を向けたディロックだったが、大した興味も湧かず、そのまま素通りする。
そこでふと、ディロックは足を止めた。修道女は二、三歩前に進んでから振り返り、付いてこない彼を不思議そうに見つめた。
「そういえば、名前を聞いていない」
ぽつりと呟かれた言葉に、修道女はああ、と苦笑してから、こほんと小さく咳払い。
そのまま彼女はディロックの方にしっかりと向き直り、両足を揃え、指を胸の前で軽く組んでゆっくりと頭を下げた。教会所属者特有のゆったりとした余裕のある動きは、修道女の持つ雰囲気に合致して、極々自然な動きに見えた。
「私は、ここの管理をしているモーリスです」
反対にディロックは、片手で作った握りこぶしを胸板に当て、もう片手は自由なまま簡単に頭を下げる。それはごく簡易的なもので、言ってしまえばおざなりな挨拶の仕方ではあるものの、彼にとって頭を下げるという事そのものが恩義の表明であった。
「旅人のディロックだ。よろしく」
そんな簡易に過ぎる挨拶を受けても気を悪くした様子の無い修道女モーリスは、そのまま最後の部屋を案内した。
「ディロックさんには、ひとまず、此処に泊まってもらおうと思っています」
通路の突き当たりにあるその部屋は、それなりに広く、それでいてようやく親しみのある光景でもあった。ゆえ、彼はそこの名前をすぐに理解した。
雑魚寝部屋である。
その広い室内の半分以上を、整然と並べられたベッドが占めているそこは、紛れも無く寝室であろう。たとえ宿に泊まれても、個室には泊まらない彼にとって、見慣れた様子であったのである。
「こちらの部屋でよろしかったでしょうか?」
「個室を貸し出されるよりは、よっぽどな」
ディロックの返答に。彼女はやはり少しばかり困った様な顔をしてから、よかった、と言った。ディロックはしばらく使われた形跡の無い適当なベッドを選ぶと、背嚢を近くに放り、上半身の鎧を脱いだ。
優秀と言っていい身体能力を持った彼だが、四六時中鎧を着ていては疲れもする。これが皮鎧などの軽装の類であったなら違っただろうが、ディロックの着ているそれは金属鎧なのだ。
たとえ軽量化の加工が施されていたとしても、重いものは重い。そこに鎖帷子も着るとなればなおさらだ。旅人らしからぬ重装備に、モーリスは少し不思議そうにしていた。
後は足の防具と白色の鎧下(鎧と肌の間の隙間を埋めるために着る衣服のこと)だけの姿になると、腰に佩いていた曲刀も鞘ごと外して背嚢に立てかけた。
そうしてからようやく、人心地つけたと言った具合に、ディロックはふぅと息を吐きだした。ぐっと背筋を伸ばして軽く凝りをほぐし、足を放り出して楽な体勢になる。
旅路の中で眠る時は、常に警戒が必要だ。屋内だろうと警戒は必要だったが、それでも野外よりは随分楽である事に変わりは無かった。
「そういえば、子供はお好きですか?」
何時の間にか近くのベッドに座っていた質問に、彼はモーリスの方へと目を向けた。そうしてどう応えるのが無難だろうと考えたが、すぐに答えは出た。別に偽りを吐く必要も無いと思い直したのである。
「子供か。特段好きでも嫌いでもないな」
「それはよかった」
モーリスはゆったり立ち上がるとディロックに小さく一礼した。
「もうそろそろ帰ってくる頃だと思いますから、子ども達に挨拶をしていただければと思っていましたので」
教会お抱えの子どもというのはあまり珍しくない。孤児や捨て子の類を真っ当に育てるのは、何時だって教会が率先してやるものだ。ディロックは大して驚くこともなく、ああ、と軽く頷いた。