二十四話 火の導きを見る
昼も過ぎて、日も直上からずれた時間帯。
それでもなお強く差す木漏れ日を受けながら、ディロックとロミリアは森の中を歩いていた。
鬱蒼と茂った森は、まさか一匹の怪物が踏み荒らした程度で変わるような物でもないが、感じ取れる雰囲気はその限りではない。
人の感覚と森の感覚は違うが、最も近しい言葉で表すのなら、森は緊張状態にあった。どこか空気が張り詰めているような感覚を覚えるのだ。
そういったものを感じ取る直感に優れたディロックだけではなく、子供に過ぎないロミリアも気付いているらしく、しきりに左右を見回しては彼の背に隠れることを繰り返している。
良くないのは分かっていた。この様な状態で、森の奥へ。それも、自衛の手段を何一つ持っていない子供を連れて行くなど、決してよいことではない。
しかしだからといって、ロミリアがひどく残念がるのを分かっていて、連れて行かないという選択肢を採るのもはばかられた。それに、ディロック自身、少女一人程度なら守る自信もあった。無論、絶対とは行かなかったが。
あくまでも万全を期すべく少女を置いて行くか、彼女の期待に応えるために連れてゆくのか。
その二つがせめぎあった結果、ディロックの中で生まれた結論は、今森を歩いているのが何よりもの答えになっている。
少しでも不安をやわらげられるよう、彼もまた、ロミリアが付いて来やすい様にゆっくりとした歩調で歩いている。多少到着が遅くはなるだろうが、その時は出発もまた延ばせば良いと彼は考えていた。
それに加え、腰帯にはカンテラも吊るしていた。暗闇というのは不思議なもので、そこにあるだけで人の恐怖心を刺激する。
日も中天より落ち初め、薄暗闇のヴェールがかかり始めた森は、少女には恐ろしく見えるだろう。だからこそ、彼はその闇を切り裂くべく、普段ならつけない暗さでもカンテラを点けっぱなしにしていた。
そのおかげもあってか、ロミリアの緊張もいくらかはほぐれている。おびえに足がすくんで遅くなることも無い。この調子なら、何も問題が無ければ、予定通り遺跡にたどり着けるだろう。
だが、ふ、とディロックの足が止まった。背中について歩いていた少女も自然、足を止める。黙ったままの彼に首をかしげた瞬間、ディロックがロミリアの口を塞いで茂みの中に飛び込んだ。
何が何かも分からないまま茂みに放りこまれた少女は、しかし何か理由があるのだろうと勤めて声を押し殺した。
茂みの中、二人でジッと動かずにいると、それはゆっくりと姿を現した。
二、三の茂みを踏み潰しながら見える位置まで歩いてきたのは、ディロックが以前倒した、炎の霊薬で作られた魔法生物だ。まったく無感情な瞳で辺りをギロリと見渡している。
ディロックはいち早く、魔法生物の存在に気付いたのである。
森の気配の変化を敏感に感じ取り、足音から来る方向を察し、茂みに飛び込む。その判断の素早さは、ひとえに彼の経験から来る物である。
息を潜めながら、彼は油断なく怪物を見据える。地面を揺らし、草を蹴り散らしながら、怪物は頭部を左右に巡らせながら何かを探しているようだった。
しばらくの間、怪物は周辺を探索した後、結局二人に気付くことなくその場を素早い足取りで去っていった。
怪物が完全に遠のき、こちらを捉えられない位置にまで言った事を確認すると、ディロックはようやくロミリアを開放しながら外へ出た。二人して、ふう、と抑えていた息を漏らす。
「いきなりすまなかった。怪我はないか?」
心配げに振り返ったディロックに、ロミリアは頭を左右に振った。そもそもディロックが胸のうちに庇っていたため、茂みの枝など彼女には届いてすら居なかったのである。
そうか、と頷いてから、彼は再び耳を澄ました。足音の類は聞こえない。感覚を研ぎ澄ましても、気配の乱れは感じられなかった。
そうして安全を確保した後、ディロックは再びロミリアを伴って歩き出した。日が落ちるのはまだ遠かったが、明るいうちに到着できれば良い。魔法の力を駆使しても、野営の準備にも時間が掛かるのだ。
少女の疲労を鑑みて休憩も挟みつつ、怪物の襲来を警戒して歩くと、到着する頃には出発から五時間ほどが経過していた。
随分と日も落ちて、薄ぼんやりとだが月も見える時間帯に、ディロックとロミリアは遺跡へとたどり着いた。
時と植物による破壊に耐え、遺跡はなおもそこに佇んでいる。長い影もあいまって、静謐さはより一層増しているようだった。
以前この時間帯になった時は、走って帰るほかなかった為じっくりと見ることは出来なかったが、これはこれで芸術のようだ、と彼は思った。
夕日の赤い光を浴び、長い影を生みながら、かつての栄光を示す廃墟に、人は何かを感じられずには居られないだろう。
しかし、見惚れてぼうっと突っ立っているわけにも行かない。夕日が出たという事は、夜もすぐに来るという事だ。
彼はロミリアの手を引いて中へと入ると、背嚢にくくりつけてあった旅具一式をを取り外すと、手早く準備を始めた。
テント用の布を広げ、骨組みを立てて杭で固定し、その上に布をかぶせる。本来ならば時間が掛かるそれも、手馴れていればなんのその。あっという間にテントが張られてゆく。
ロミリアも何か手伝おうとしたが、ディロックの手早さにとても追いつける気になれず、せめて邪魔にならないよう少しだけ離れていた。
「今から火を起こすために、薪を集めるから、手伝ってくれ」
「え? あ、は……はい!」
俺の傍を絶対に離れるんじゃあないぞと釘を何度も刺しながら、二人は周辺の森で薪集めを始めた。
できるだけ乾いた枝が良い。湿った枝は煙が出やすい為だ。太さや長さよりも、今は数が欲しかった。ディロックは目に付く枝を拾い上げては、乾いていない枝は適当に投げ捨てた。
ロミリアは彼とは対象的に、見た目で判断しているようで、ディロックよりも集まりは早い。両手一杯に枯れ枝を抱えるのは、少女の方が早かった。
そうして集めた枯れ枝を前にして、ディロックは適当な何本かを選別して組むと、腰帯に下げていた皮袋を一つ手にとった。
「ロミリア、少し面白いものを見せてやろう」
「面白い物……ですか?」
少女が首をかしげると、彼は小さく笑って、まあ見てろ、と言った。
無造作に皮袋の中へと手を突っ込むと、ディロックの手にはざらりとした乾いた感触が伝わってきた。それを何も考えず、一掴みほど取り出す。
彼の手に握られたのは、灰だ。木の種類で多少の差はあるものの、完全に燃え尽きた後の灰だった。そんな物を取り出してどうするつもりなのか、と少女が首をかしげるのを横目に、ディロックはそれを組んだ枝へと振りまいた。
そうして、宙をパラパラと舞う灰へと向かって、まるで語りかけるように、言葉を紡いだ。それはあたかも、歌っている様でもあった。
「『一握の灰の中に、火の導きを見る』」
――金色の光が、枯れ枝へと宿る。黄金は複雑な文字の形に刻まれ、その文字に沿って、ディロックは指を走らせた。
ほんの僅かな、指と枝の摩擦。いくらディロックの指が剣ダコやらなにやらで石のように硬くなっていたとしても、到底そんなもので火花が散るはずはない。ない、筈だった。
しかし、彼の指がなぞったはしから、枝はパチパチと火花を散らし始めた。パチパチ、パチパチと散る火花は、彼が一本の枝をなぞり終わる頃には、小さな火となって揺らいでいた。
火はゆっくりとだが確かに他の枝へと移っていき、数分しないうちに、それは訪れた夜の帳を照らす焚き火となった。
不思議極まった光景を見て目を輝かせるロミリアに、見せて良かったな、と彼はぼんやり思った。




