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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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二話 エーファ村

 額の汗を拭ってから、彼はふう、と何度目かの溜息を吐き出した。


 渡し守の舟を降りてから、およそ三時間。ディロックは道の悪さに辟易しながら歩き続けていた。


 道を見失うほどのものではないものの、歩きにくさは相当なものだ。木の根が這った地面はみょうにでこぼことしていて、草は好き放題に生え、人が歩くにはあまりにも不便な道だったのである。


 無論、九年の旅を経てきた彼がそういった道を歩く方法を知らない筈も無い。熟達した足裁きをもってして、ディロックは驚くほど軽快に不整地を踏み越えて行く。


 とはいっても、疲れるものは疲れる。旅人たちが独自に学び、考え、編み出したその歩法――通称、"旅歩き"――も、万能ではない。整地よりも不整地が歩き辛く、疲弊しやすいのは当たり前の話である。それは工夫でどうにかなる問題ではないのだ。


 しかし、道に文句を言おうが、状況が変わる訳ではない。悪態を吐いても無駄であるならば、彼に出来る事は一つ。しかと背筋を伸ばし、前を向いて、歩を進める事だけだ。


 だが、前を見てもまだ、道は長いようである。渡し守から聞いた村というのはまだ見えず、ただ森と、森に挟まれた歩き辛い道が続いて行くばかりである。


 ディロックはもう一度出そうになった溜息を呑み込むと、気分を紛らわせる為に口笛を吹きながら進み続けた。




 景色に明確な変化が訪れたのは、それからおよそ二時間後の事である。日は傾き、夕日となり始めているところであった。


 よもや、ここで野宿になるか。そう考えて、彼はふと足を止めた。まだ距離はあるものの、彼の目は確かに、遠くに見える異物に気付いたのである。


 それは、熊や狼などの野生動物にしては大きい影だ。ぐっと目を凝らしてみても、流石に遠すぎて分からない。彼は前方を見据えたまま、後ろでに双眼鏡を掴み取ると、それで影を確認した。


 こういう時、望遠鏡や双眼鏡の類があると非常に便利だ。わざわざ近づかずとも確認が出来るし、何よりこの範囲まで感知できる生物はそう居ない。逃げるにせよ、奇襲をかけるにせよ、相手より視認範囲が広いというのは有利に働くのである。


 そうして影を見つめていた彼は、双眼鏡を覗き込みながら口を開いた。


「……村、か」


 双眼鏡で拡大されたディロックの視界には、確かに村らしき影が見えていた。あの大きな影は、建物なのだろう。木造家屋で、そこまで大きいものではない。恐らくは倉庫か、もしくは小さめの家なのか。それらが、いくらか並んで立っている。


 なんにせよ、余計な警戒だったことに変わりは無い。少し安堵しながら、双眼鏡を背嚢の掛け金に戻すと、ディロックはまた歩き出した。ざく、ざくという足音は、心なしか軽快だった。


 予定の無い旅路ともなれば、無計画に歩き出す事もある。となれば、野に身を晒して寝ることもしばしばある。ディロックにとって野宿は苦痛ではないが、できるならば最低限、屋根のあるところで寝たいのが人情というものだろう。


 そうして何時間も歩いて辿り着いた村は、彼に故郷を思い出させるような、静かな村であった。


 ちちち、と鳥の鳴く声が何処からかする。風が森の清廉なはらんで吹き、ディロックをかすめて行く。石材建築が見当たらない為か、辺りには自然の香りが漂っていた。ふと香ったそれは、コケか何かのものだろうか。


 半ば森にめり込んだような場所の家も散見される。しかし、無理やり人の生活圏をねじ込んだのではなく、上手い具合に調和を保っている、そんな光景だ。

 それは不思議な光景であったがしかし、彼の故郷も似たようなものだった。


 とにもかくにも、まずは寝る場所の確保。ひとまず、やっておかねばならない事をさっさと済ませるべきだと、彼は歩き出した。一歩、また一歩、鉄で補強された靴底がザクリ、ザクリと足音を立てた。


 人影を見つけると、ディロックは軽く片手を上げて会釈した。見知らぬ土地だろうと、まずは挨拶。旅人にとって情報とは命に直結し、情報を得る為には人との交流が不可欠だ。

 人見知りはまず、この人付き合いという点で旅人から振り落とされるというほどのものである。


 とはいっても、返答してくれる物は少ない。旅人という点を除いても、見知らぬ人である事に変わりは無いのだ。ディロックは返答を期待していなかった。

 だが、会釈したディロックに気付いたのか、人影は軽く手を振って応えた。


 気の良い人らしい、とディロックは少しばかり微笑み、その村人に近づいた。


「や、どうも。少し聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「ええ、構いませんよ」


 用事も終わったところですから。そう言って女は、ディロックに優しげに微笑みかけた。


 女は、淡い金髪で、全身をつぎはぎの目立つ灰色の衣で覆っていた。色気といった類がまったく表に出ない格好ゆえか、女の美しさが際立って見える。

 少し垂れ気味の目が、きらきらとした翡翠色を湛えながら、夕焼けの光を浴びて輝いているように見えた。


 首かけられたロザリオを見るに、恐らくは修道女だろう。


「泊まれる場所を探してるんだが、どこか知らないか。最悪、屋根さえあれば何処でも良い」

「屋根さえ……ですか?」

「ああ」


 修道女は一瞬、呆れた様に眉をひそめた。無理も無い。宿泊する場所を選ぶとき、屋根さえあれば何処でも、などという人間は極少数だ。無論、ディロックはその極少数の内に含まれる。


 旅を続ける以上、一日二日ではつけない距離を歩く事はよくあった。むしろ、野宿一回で済まないのが当たり前だったのだ。何百、何千と野宿を繰り返すうちに、屋根すら無い日を、幾度と無く経験してきた。


 そうした旅の結果、彼は少しばかり贅沢の程度が下がったのだ。屋根があるだけで、彼は十二分に贅沢だと感じられるようになっていた。


 ただそれだけだが、修道女にとっては驚きだった。とはいえ、彼の"贅沢"は――無論、逆の意味で――度を越しており、無理もないことである。


「その、どこかにお泊りになる予定はないのですか?」

「ない。今は、路銀が無くてな」


 財布代わりの皮袋の中身は今、精々銀貨が十枚、あるかないか。ディロックは、我ながら散財したものだ、と少し苦笑した。とはいっても、彼の中に後悔は無い。


 なぜなら、その散財が、殆ど旅具の購入、整備のためのものであったからだ。何せ、彼は一人旅の身である。様々なことを一人でやらなければならない以上、多かれ少なかれ魔法の力に頼ることになる。

 ゆえに彼の荷物の半分ほどは魔法の品だ。


 そうした魔法の道具類は、基本的に高価だ。だが、金を惜しんで命を取り落とすのでは意味がない。彼はそれを、重々承知だった。


「それで、何処かないか?」


 その言葉に、修道女は改めてディロックの目をじっと見た。


 エメラルドグリーン色の瞳は、キラリと光を反射して、彼の中にある何かを見通そうとしている様であった。金色の目もまた、興味深げに修道女を見た。


 少しの間そうしていると、修道女がふと視線を逸らし、ようやく口を開いた。


「屋根があればよろしいのですよね?」


 ああ、とディロックは応えた。


「では、丁度良い場所がございます。付いてきてください」


 修道女は振り返って、ゆっくりとした歩調で歩き出した。案内までされるのは想定外だったが、彼は何も言わず付いて行く事にした。


 しばらく修道女の後を追って村を進むと、だんだんと大きめの建物が見えてきた。


 村の建物としては、恐らく最も大きい部類に入るのだろう。表面が少し灰色がかったそれは、静かにそびえだって、夕日を受けて赤く染まっている。


 掲げられた聖印は、羽か、風を表現している流線的な意匠、空と風を司る神のそれ。


「――教会へようこそ、旅の方」


 雫が一滴降った様な澄んだ声が、ディロックには遠く聞こえた。

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