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青空旅行記  作者: 秋月
最終章 船出の港と最果ての地
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百六十六話 船乗りのデルトス

「……酷ぇ目にあった……」

「まぁ、酔いがすっかり覚めたようでよかった」

「てめえ俺の酒代払ってくれなきゃ殴ってたからな、本当……」


 男はぬるい水を飲んで口の中を洗い流し、ディロックに恨みがまし気な視線を飛ばした。先ほどまでべろべろに酔っぱらい、みじめな姿を晒していた男は、幾分かしゃっきりとした顔つきでいる。とはいえ、無精の痕跡は払いきれていないが。


「デルトスだ。船乗りのデルトス」

「ディロックだ。そっちでずっと笑い転げてるのがマーガレット。……それで、船がある、という話の続きを頼む」


 船――と言うからには、それなりに大きなものであろう。海は陸以上に途方もない世界だ。それゆえ、それなりのサイズがなければそもそも海に出る事もできない。


 デルトスはまだ恨みがまし気な目で、二人を――特に、腹を抱えて笑っているマーガレットを――見ていたが、その内あきらめたようにため息をついた。


「あるよ。確かにある。だが、今手元にはない」

「おい」

「ホラ話じゃねえよ。……接収されたまま帰ってきてねえんだ」

「接収?」

「ああ。怪物退治にな」


 当然のことだが、漁業を種とする街だろうと、そこまで多くの船を持ってはいない。遠洋へ出せる船は三十程度、まともに戦闘をこなせるものとなれば更に減る。


 実際、噂によると戦闘に出されたのは十隻だけだった。それ以外はまともに戦える船ではないと判断したのだろう。戦艦の類でもあれば話は別だが、戦艦とはつまり、"魔法攻撃に耐えうる装甲"を持ち、"数隻分は離れた船に攻撃できる魔法使い"を水夫として雇っている船のことを指す。


 そんな金のかさむ船があるはずもなく、おそらく出向した船は漁業船の改良品かなにかであろう。そしてそれらも、たどり着くまでに七隻が沈み、帰ってきたのは二隻だけ。


「帰ってきた二隻のうちの、片方か」

「おうよ、俺の"踊る大烏賊(ダンシングクラーケン)"号は、その激戦からたしかに帰ってきた」

「ああ、笑った笑った……それで、帰ってきたのに帰ってきていない、というのは、一体どういうトンチだね?」

「トンチだったら良かったんだが……はぁ……」


 また大きなため息を一つ吐いて、デルトスはグビリと水を煽った。


「……今回の戦闘で船が大分沈んだ。知ってるだろ?」

「ああ。十隻中の八隻、だったか?」

「沈んだ内の六隻は町所有の私掠船だ。……後はなんとなく、分かるだろ」


 ため息が再び聞こえる。それはデルトスと、それからディロックから聞こえたものだった。


 私掠船は、国家公認の海賊船のようなものだ。町や人が所持し、略奪することを許された船だ。それらがもろとも沈んだとなれば、街の責任は大きく、物理的な損失も少なくはない。戦闘に利用できるほどの船がそれほどに失われるのは想定外のことだ。


 そして、一度街単位の命令で接収したからには、返却するまでの扱いは自由だ。理不尽なようではあるが、街に住むということは、その権力に従うということでもある。


 しかも目的である怪物の討伐はまだ済んでいない。だから接収し続ける――借りた相手が死ぬまで。そういう事も、一応は可能だ。国や漁業の組合人に明かされれば、街とてただでは済まないだろうが、逆説的に、そこまで切羽詰まっているのだとも推測できた。


 船は値が張る品だ。自前で買うのではなく、誰かから盗むリスクを抱えたほうが安上がりなのである。


「まだ彼らに"夢喰い"を倒す意思はあるのかね?」

「夢……ああ、あのバケモンか。……いや、ない、だろうな。以前ほどの戦力も用意できない以上、ただ船を送るだけじゃ丸損だ。怪物が去るか消えるかするまで、なんだかんだ様子見だろうよ」

「冒険者たちが許すか?」

「許すも許さないもない。遠洋行きの禁止は街に住んでるやつ、全員だぜ? 冒険者組合の連中だって荒くれだが、そうそう無理は出来ねえ」


 手詰まりか、と静かに唸るディロック。彼は最果ての島に行きたいのであって、誰かの人生を滅茶苦茶にしたいわけでも、まして街を弾劾したいわけでもない。


 だがそんな彼に対し、未だ爆笑の余韻を残し、半笑いの魔女が言った。


「ラッキーだな」

「……なに?」

「ラッキーだな、といったのだよ」


 帽子の位置を正すいつもの癖。魔女のその仕草に、ディロックも微かに笑う。


 なにか悪巧みを思いついたのであろう。それが共有の財布を空にすることであるとか、人の注文した飯を盗み取るなどと言ったマネでないなら大歓迎だ。


「と、いうと」

「向こうには落ち目と引け目、そして弱みがある事がわかっただろう? あとはつつくだけさ」


 怪しげに揺れる指先に、戯れのように魔法の力が宿る。無言のままに放たれたのは、おそらく音を消す類の魔法か。


 テーブルの周りを透明な膜が覆い、騒がしかった喧騒が遥か遠くへと走り去り、そして消える。このテーブルは一瞬のうちにして、密談のための部屋となっていた。


「さあ、悪だくみを始めようか」


 魔女が笑う。戦士もまた笑った。船乗りは不安げにしていたが、多くの不満とかすかな期待を天秤にかけ、やがて不器用に口角を歪ませた。

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