百六十五話 酒場
「まずは成果を羅列しようか」
一通り街を巡ったあとのこと。マーガレットは魚をフォークで続きながら、突然そう告げた。少々行儀が悪いが、いつものことなのでディロックは諦めた。それに、そうしたい気分なのも、同じであったから。
「まず、船は今のところだめ。だね?」
「ああ、全滅だった。」
二人は街に繰り出すと、観光もそこそこに早速船のあてをあたり、そしてその全てからあえなく拒絶されることとなった。元から望み薄ではあったが、全く成果なしというのは応えるもの。マーガレットは隠さずにため息をついているし、ディロックは眉間の皺をもみほぐすのに苦労していた。
「"夢喰らい"に関する情報もなし。討伐隊はほとんどが傭兵で、参加した冒険者たちも壊滅的な被害を受けていたな。生き残った者も話が出来るような状態ではなさそうだ」
「うむ、話を聞ける状況とは言い難かった。生き残った傭兵もいるにはいたがね」
「話を聞くに、もう街を出ただろう。そして戻っては来ない」
冒険者はある程度、その地域に根ざすものだが、傭兵はそうではない。大抵、金の周りが良い方へとフラフラ流れていくものだ。
逆に言えば、稼げなければ傭兵は去る、ということだ。採算が取れない。報酬とリスクが見合わない。そう思った途端にそこを去るのが傭兵稼業の基本なのだから。当然、今回の討伐失敗を前に、残っている傭兵など多くはあるまい。
「手詰まり、だな」
「うむ。いっそ他の港を回るかね? そっちのほうが早そうだが」
「最果ての地までどのくらいかかるか分からん。出来るだけ大きな船と、経験豊富な船乗りが欲しいから、ここ以外の選択肢はな……」
「せめて、船があればね。自分たちで調査に行くこともできるのだが」
伝説でしかないことだが、曰く最果ての地に近づくと、たちまち羅針がそちらを向くという。常に暴風と豪雨降り注ぐ海域であるがゆえに、そう簡単には辿り着けないのだが。
しかし肝心の距離が分からないのでは話にならない。まさかあてもなく東へ東へと進んでいく訳にもいかないのだ。徒歩ならまだいいが、まして船ともなれば、余計に無計画の航海などするべきではない。
「……なあ」
「む」
「うん?」
二人して頭を抱えている所に、ふと声がかかった。酒臭い声である。こと酒場のど真ん中である以上、酒臭さは切っても切れないものではあるが、それを差し置いてもなお酷い酒の匂い。
相当飲んでいるな、と振り返ると、そこには少し、ギョッとするような姿の男が立っていた。
「あんたら……ひっく。船、探してんのかい。へへ、へへへ……」
ぼさぼさの髪。胸元までだらんと伸びた無精ひげ。ぎょろりとした目は青色に濁っていて、腐っているかのような妙な匂いがする。上背は高いが、ひどく猫背なので、逆に小柄にも見えた。
明らかにろくな人間ではない。もしかすると、なにか良くない薬品でも使っているのか――と思ったが、二人は臭いでただちにそうではないと気づいた。つまり、とんでもなく酒臭かったのである。のんだくれだ。
「まぁ確かに、探してはいるがね」
「どこかにあるのか? エールの酒樽の底だのと言われても困るぞ」
「へへ、そんなところにはねえよ……へへへ……」
動く死体のような飲んだくれは勝手に椅子を引っ張ってきて、二人のテーブルに並んだ。酷い酒臭さだったが、マーガレットが何かの魔法を使ったので、臭いだけはすぐに消えた。よほど嫌だったのだろうか。
「あるぜ。ちゃあんと、ある。俺の、船が」
「お前の?」
「あー。俺は船持ちだったからよう……ひっく」
「……船持ち? お前がか?」
船持ち。となると、それなりに高給取りのはずだ。なにせ船を作るのは高くつく。そのため、作った船を持っているだけでそれなりに稼げるのだ。人や商会に貸してもいいし、自分で猟師を雇って使わせてもいい。船を借りる代金がかからないだけでぼろ儲けだ。
それなのに、この男はこのざまで酒場に転がっているわけだ。ホラ話か、そうでなければ、事情があったのだ。
「……はぁ。なあマギー、買った野菜の中にまるごとのバレイ草はあるか」
「ん? ああ丸ごとは一株だけだが……どうするつもりかね?」
「バレイ草の根は酒精を抜く薬効があってな。冬の川に飛び込むより目が覚める」
「へえ、それはいい。煎じなくていいなら楽なものだよ」
「そのままだと酷い味だが……まぁ、酔っ払いには良いだろう」
「……かじった事があるのかね?」
「三日三晩の酒宴に巻き込まれた事があってな」
文字通り苦い思い出だったが、こういう時には役に立つ。旅も無駄ではなかったと実感できて悪い気持ちではない。
「なんだぁ? つまみくれんのかぁ?」
「……ああ。安い酒でも上手く感じる類だよ」
「へへ、そりゃいいなぁ。もらうぜ」
「君というやつは……」
「毒じゃない。それに、まぁ、べろべろに酔っぱらっているよりはいいだろう、お互いに」
「それもそうか。では、怨むならこのお人よしにしてくれたまえよ」
男がのたうち回り、酒場が妙な雰囲気になった事は、仕方のないこととして二人の間で処理された。




