百五十一話 命の旅
『こいつ、我らの言葉話す。我らの意思つたわる、なぜ?』
『問題の解決。こいつできる? こいつ細い。こいつきっと弱い』
『だが、我らの言葉話す! 何か出来るかも』
困惑していたのは調査隊の人間だけではない。普段、自分たちとは異なる鳴き声しか上げないはずの人間が、明確に自分たちにわかるよう、話しかけてきたのだ。猿たちが混乱しないはずもない。
その隙をつかめば話を聞ける。ディロックは畳みかけるがごとく、再び口を開いた。
「ここいらに新参者が来なかったか? 俺たちではなく、動物でもない奴らだ。毛もなく、鱗もないような者たちが来なかったか?」
『来た、来た。変な奴ら来た!』
『山にいないもの来た!』
『生き物でないもの来た! 我ら襲った!』
ガンガンと鳴り響く叫び声が雪を揺らし、時折崩す。彼らは怒っている。声でなく、その怒りの意思自体が彼の頭に直接叩き込まれてきたから、それがよく分かった。
彼らは怒り、それと同時に悲しんでいる。悲嘆にくれながら怒り狂っている。おそらくは襲撃を受けたのだ。そして仲間が死んだ。一人や二人ではなく、それなりの量がまとめて死んだはずだ。だからこそ、これほど強くディロックらを警戒していたのだから。
「俺はそれらを解決するためにここに来た。話を聞かせてくれ」
猿たちは少し困惑し、見合わせる間があった。
『動物語』は後、何分ほどもつだろうか。彼は猿たちに鋭く意識を向けながら、思う。タレントに属する類の魔法は多くが独特かつ原始的であり、使える術者それぞれで呪文や使用時間、精度などが異なってくるあいまいな魔法だ。
ディロックの脳裏にかすかにある、魔法的な力は、あと三分ほどだと告げていた。そしてその三分を過ぎれば猿たちの声は再び、無意味な雪色の叫び声へと戻り、ディロックは再使用に三日ほどを要することになる。
「それはどこから来た?」
『向こう! 向こう! 山の頂に住む長き尾!』
『牙持つものの穴!』
『狂える顎の古巣!』
猿たちは群れとして統一されていない意見と言葉を、散り散りに放った。指さす方を見ると、確かに鋭く切り立った山の頂点を示している。調査隊はディロックの視線の先に気づき、あそこになにかあるのだと目を細めた。
「それは……お前たちに何をした?」
『……生き物でないもの、皮を剥いだ』
『鱗持つ角、目をえぐった。一匹一匹』
『長い尾だったもの、足を持っていった。手を持っていくものもあった』
群れは悲劇を思い出したのか、沈静化しながらも彼に応えた。
皮を剥ぐ。目をえぐる。手足を持っていく。どこへ?
ディロックは動物語が有効な短い時間の間、思考の海に飛び込んで泳ぐ。何故か? マーガレットを見る。彼女はディロックと猿たちの対話を見ていたのか、待っていましたとばかりに青紫の目をキラキラさせた。会話の意味は分かっていないはずだが、視線だけで察したのだろう。
これ幸いとディロックは口を開いた。
「生き物の一部をえぐり取ってどこかへ持っていった。何が考えられる」
「捕食、備蓄、活用、誇示、生贄」
「なら生贄だ。何に?」
「儀式的な可能性があるな。穴を広げるか、他の混沌の悪魔どもを呼び寄せるか……だとすれば恐らく、出た混沌の輩は矮小か、そうでなくとも自らの力だけで門を広げる事ができないと見るがね」
的確な回答だとディロックはうなずく。であれば、時間的猶予はまだある。さっさと穴を塞いでしまわなければ。
「分かった! こちらでも調べてみる。情報感謝する」
彼がそう言い終わると、少し遅れて、魔法の効果が切れた。もう雪山猿の鳴き声に、知性や意思を感じ取ることはできない。ディロックが下がれば、彼らもじきに巣ヘ帰っていった。
行こう、とディロックが言う。マーガレットはすぐにそうしようと答えて、軽く地面に載せていた荷物を取って、調査隊の付き添いたちにも再び出発することを告げる。
山の頂点は少し遠い。混沌の怪物が通るような道であるから、到底人が歩ける道とは思えないが、ゆかねばならない。
「君は、相も変わらずお人好しだな」
「……そうかな。俺は、少し違うんじゃないかなと、思ってきた」
へぇ、と興味深そうな声が聞こえた。ディロックは振り返らない。そこに、にやにやとした顔が浮かんでいることぐらい、分かる。そのぐらいの付き合いにはなったのだ。
「じゃあなんで、人を助けるんだい、ディー」
「最近、気づいたことだが」
天を仰ぐ。どんよりとした雪の雲の向こうに、まばゆい光の点が見えた。
それが太陽であろうと屑星であろうと、構いはいなかった。彼はそこに、確かな光を見たのだ。
「最悪な出来事は、何時だってある。人の死も、化け物も、悲劇でさえもありふれている」
悲しいかな、世界は喜劇よりも悲劇のほうが多く、溢れるは笑顔より涙ばかりだ。十人が笑うなら百の人が泣き、百の人が喜べば千の人がそれを恨む。
ままならないことばかりだ。
「だが命は生きている。それぞれに思いを抱えながら」
泣いたとて眠気は来て、恨めども腹は減る。だから人は生きている。
旅をする中で思ったことだ。十年にも及ぼうかという旅路は、決して無駄にはならなかったのだ。
「人生は長い旅なんだと分かった。命はすべて旅人だ。……共に旅路を行く仲間なら、やれることはしてやりたい」
言葉にして、ようやくディロックは、自分の心の声を見いだせた気がした。マーガレットはため息を付き、そしてすぐに笑った。だから君はお人好しなんだ、と。




