百四十四話 砂と音色
ディロックの怪我が完治すると、二人は出立の準備を始めた。救国の徒となった彼らは、もう盗掘の罪で咎められるようなことはないが、路銀も十二分に稼げたし、これ以上ウルツへと滞在する気もなかった。
ドラゴン殺しと敬われるのに悪い気はしないが、恐ろしげに見られるのは慣れないものだったからだ。
「……なんとかなったな」
「君の治療代で大分かかったがね。まぁ、それに見合うだけのリターンもあった」
ドラゴンの首を目にした衛兵隊の顔は見ものだったな――そういってあくどく笑うマーガレットに、ディロックは苦笑いで返した。たしかに見ものだったが、とも思いながら。
邪竜の討伐が終わってから、彼らは満身創痍の身でどうにか被害を確認した。戦闘に参加した百名を超えるからくり職人に対し、死傷者は七十八人。うち、死亡者は五十五名、重傷者二十名、軽傷者三名。とても無事とは言えない損害だ。
だが、当のからくり職人たちは、あまり気にしていないようでもあった。ドワーフの血を引く彼らは、職人としての魂と同じぐらいに戦士の魂を持っているのだろう。また、ディロックがそのことに触れると、彼らは天にジョッキを掲げては、みな口をそろえて言った。
「俺たちは生き残って、再起の道を得た。あいつらも、枯れて腐ったまま死んでいくなんてごめんだったろうさ。死に際に花咲かせただけ、幸せモンだよ。このご時世じゃあさ」
一抹の悲しさを感じずにはいられなかったが、ともあれ不満と言えるような不満はないようだった。せいぜい、"遺跡から出土したものだから"という極めて強引な理由で、ドラゴンの体の一部をウルツが接収したことぐらいだろうか。
「ほんとに、お世話になりました。ディロックさん。マーガレットさん」
「兄を救ってくれて、ありがとうございました」
ロイエルがどこか困ったように笑う。隣には、まだ杖が必要だが、どうにか歩けるようになったという妹が立っている。治療代は十分足りたようだった。
これからロイエルもその家も大変だろう。竜の素材を売り払ってから、別の国へ移住することも、そこで再起することも。苦労などいくらでも思い浮かぶ。
いくら辛い状況下にいたとはいえ、職人は国の財産だ。ずいぶん引き止められるだろう。どうにか出国が問題なく行えたとしても、職人として仕事を獲得し、信用を得て、その国の住人になっていくまで、随分時間がかかるはず。だが、それも命あってのことだ。
「俺たちも随分世話になったな。ロイエル、感謝するよ」
「そんな、世話なんて! 僕なんて、助けられてばかりで……」
「いいや、お前は最後まで戦い抜いた。お前が家も妹も、何一つ諦めなかったから、ドラゴンも打ち倒せたのさ」
事実そうだ。あれだけ薬液をなげうって、技を見せ、竜を封じ、また怯ませるだけの技術と知識を得るまでに、ロイエルは血のにじむ戦いに何度も立ち向かったのだ。どちらかを諦めれば、しなくてもよかったであろう戦いに。
「俺から最大限の敬意を送ろう。お前は若いが、不屈の戦士だ」
「そうだな。なら、私からも最大の祝福を、聡き若者」
「……ありがとうございます。誇り高く、そして優しい、旅人の方々よ」
ロイエルは跪くかのように頭を下げた。今、金子は払えない。本当ならそれこそ、払えるだけ払いたい。だが、報酬額に必要なだけの金額は満額支払い終わっているし、今後の生活を考えると、元手はいくらあっても足りないのだ。だから、それが彼にできる、たった一つの誠意であった。
別れが近い恩人に、たったこれだけ。涙が出てきそうなほどに情けない。けれど、彼らは笑ってそれを受け入れた。
「いいともさ。なあ、ディロック?」
「もちろん。……戦友だからな」
顔を上げたロイエルと、二人が手を結ぶ。世界は広い。もう二度と会うことはない。けれど、かれらは一時、たしかに背を預けあった仲間だったのだ。
ロイエルは声を上げて泣いた。それは、一人で戦い続けた戦士の声ではない。まして、滅びかけの職人の息子としての涙ではない。ただ一人の、ロイエルという青年の。傷つき、それても走り抜けた青年の。報われてもいいんだという、感謝の雄たけびであった。
「……元気でな、ロイエル。末永く」
二人は背を向けて、歩き出した。青年が手を振る。涙交じりの声を張り上げる。何度でも、何度でも、何度でも。
「お二人とも、お元気でーっ!」
砂を踏む。ざり、ざり、という音だけが、二人の耳に響く。もう青年の声は聞こえない。
この暑さとも、あちこちを舞う砂塵とももうお別れだ。多分、二度と立ち寄らないだろうとも思う。あるいは、立ち寄る前にこの国が砂に飲まれているかもしれない。
なるようにしかならないか、と思いながら、ディロックは懐に入っていたものを掴みだした。
「おや……それは、オルゴールという奴だったか。直っていたのかね?」
「昨日の夜、大急ぎで直してくれたんだとさ」
なんのけなしに、仕掛けのねじを巻く。かりり、かりり、とこ気味の良い音。わずかな抵抗を感じるまで回して手放すと、からくりじかけが渦を巻いて、ねじが逆方向へと回りだす。
リンリンロン、リンリンロン――。静かで、シンプルな曲調。けれど、この箱だからこその味のある演奏会だ。
「……いい音色じゃないか。腕も悪くないらしい」
「ああ、まったくだ。良い職人になれるよ、あいつは……」
砂を歩く足音に、軽やかな響きが続く。ぽつねんと歩く二人の背が、地平線の先、青空の向こうへ消えていくまで、箱は歌い続けた。
リンリンロン、リンリンロン――。
これにて見捨てられた国ウルツ編完結です。
次章は幕間を経つつ、ある程度の書き溜めが出来次第更新する予定です。




