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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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十四話 不気味な気配

 ……パカン。……パカン。


 日が天へと昇り、子ども達も起き出して朝食を取った後の事になる。ディロックは早速、何か手伝えることがあればいってくれとモーリスに申し出た。


 ……パカン。……パカン。


 しかしながら、普段は子ども達がやる仕事であり、中には店の手伝いなども含まれている。となると、ディロックがそういった仕事を請け負うわけにも行かない。


 ……パカン。……パカン。


 そうして任せられたのが、この薪割りの仕事だった。どちらかといえば春先といった季節であり、正直に言って今の時期に割る必要はあまり無いといえる。ただ、冬への備えは大事な物だ。


 薪は、買うと高くつく。無論自分で割ったからと言って特段安いというわけではないが、細々とした節約から様々な事に結びつくのだ。


 それに、子ども達やモーリスの筋力では、斧を持つには不安が残る。かといって、薪を作るたびに近隣から男手を借りてくるのは申し訳ない。


 今、ディロックという男手があるうちに薪を割っておくのは悪く無い手だ。幸いと言うべきか、去年の冬は比較的暖かかった方であり、割る前の薪はいくらか残っていた。


 ただ無心に斧を振り上げ、振り下ろす。単純な作業だったが、彼は大して気にした様子もなかった。それどころか、規則正しく薪を割るたびに響く乾いた音に、少し楽しくなってきてすら居た。

 何かしらに付けて楽しさ、面白さを見つけるのは彼の得意分野である。


 ……パカン。……パカン。


 そしてその横には、ニコラが座ってその様子を見ていた。一本の木材が、彼の振るう斧によって綺麗に真っ二つになって脇に落ちていくのを眺めているのだ。


 何が楽しいのかは分からないが、少女の顔には笑みがある。


「……ニコラは、今日仕事が無いんだったか。遊ばないのか?」

「他のみんな、お仕事してるから、あそぶ相手いないの」


 端的に言えば、暇だ、と言うことだろう。ディロックは納得すると、また斧を振り上げ、振り下ろした。たったそれだけの簡素な動作で、パカン、と乾いた音が響き、またしても薪は真っ二つに割れた。


 彼一旦斧をどかすと、すかさずニコラが薪を切り株の上へと置く。ディロックはそれ目掛けて、再び斧を一振り。乾いた音。そして落下音。


 斧を振り上げ、振り下ろす単純な作業だ。何が楽しい訳でもないが、もとより仕事とはこういう物だ。ディロックは、自分が働いているという、どこか安心感に近いものを覚えていた。


 しかしながら、斧は重い。薪割りは確かに単純な作業でこそあるが、男手が必要なほどに筋力と体力を要求してくる。


 彼の筋肉もそれなりの疲労を訴えてきており、気付けば大分日も高くなっていた。昼よりは早いだろうが、朝には遅い。昼前、と言った時間なのだろう。


 そこでディロックは、斧を切り株に立てかけて、一旦休憩する事にした。思えば、どの程度切れば良いのかモーリスに聞いていなかったな、とそこでようやく思いつく。


 しかし、今更どうでもいいか、と思った。切り株の脇に落下し積みあがった薪は、もはや元が何本であったのか考えたくも無い量になっている。今から数え直すのは手間であるし、何より面倒であった。


 ふう、と溜息を吐き出して、ディロックは教会の壁にもたれかかった。体全体はあまり疲労していないが、斧をずっと振り上げては振り下ろしていた両腕はかなり負担が掛かっていた。


 先ほどまで斧を持っていた手を見つめれば、少し小刻みに震えている。


 もとより剣をずっと握り締め、硬くなっていた手は、何かを振るう事に関して長けていると言っていい。普段愛用している曲刀であれば、何振り振っても疲れないという自信もあった。


 ただ、ディロックの専門は剣であり、斧ではない。


 剣は手元に重心が持ってこられており、そうする事で持ち手の負担が軽くされている。横、縦、突きやら突き上げと、多彩な使い方ができるのはそういった工夫が無数に存在しているからだ。

 たとえ魔法の剣であったとしても、その土台たる剣には、幾星霜を経てつむがれてきた技術の結晶があるのだ。


 だが、斧はもとより伐採用の道具である。そもそも戦いの為の武器として作られた剣とは違うのだ。


 木を切る為の横振りに特化した斧。薪割りの為に縦振りがしやすい斧。戦いの為に調整され、人の肉を裂き骨を折るための重い斧。


 それらの全ては、剣とは正反対に、先端の方に重心がある。つまるところ、振り回されやすいのである。


 ディロックは普段から鍛えてきた筋肉やら体運びやらがある為、振り回されるような事は無い。ただ、剣と比べれば振りにくいのは確かであった。


 彼がそんな事を考えながら自分の手を見ていると、ニコラが隣からその手を覗き込んだ。何があるわけでもないと知ってすぐに頭をひっこめた少女は、しかし彼の手に指を伸ばして、その硬質感に驚いていた。


「おー、おじさん、おてて硬いね」

「ずっと剣ばかり握ってきたからな」


 そういいながら、ディロックは右手をぐっと握りこんだ。硬くなった手からはぎゅっと乾いた音が鳴り、ニコラはそれに少し驚いた様子だった。


 また広げた手のひらを少女が興味深げに見つめているのを横目に、彼は腰に下げていた水筒から水を一口嚥下した。薪割りの作業に入る前に井戸から汲んだばかりの水が、彼の喉を冷たく潤す。


 思わず息を漏らしながら、ディロックはさて、と斧を手に取って立ち上がった。やや腕に疲れは残っていたが、それも大した物ではない。


 今の時点で充分に暑いが、昼になるともう少し気温は上がるだろう。その分だけ汗をかく事は簡単に想像できる。今の内にやれるだけやっておいた方が良いだろうと考えていたのだ。


 しかし、立ち上がって切り株へと振り向きかけたディロックは、そこでぴたりと動きを止めた。


 それは余りにも唐突であったが、その唐突さと同じ程度に明確な気配として彼を襲った。


 ――何か、来る。おぞましい何かが、来る。


 空気に腐った卵のような刺激臭がにわかに混じり、ディロックの慣れ親しんだ風とは全く異質のものが吹き始めた。


 斧を握る手がギリ、と音を立てるほどに握り締めて、ディロックは森の方へ向き直った。しっかりと地面にすえてあるはずの木の柵が、なぜかその時だけ、ひどく頼りない物に見えた。


 ニコラもただならぬ何かを感じ取ったのか、そっとディロックの背中へと隠れた。彼も、開いていたもう片手で少女を隠すようにして手で背後へと追いやる。


 そして、不気味な静寂が訪れた。気持ちの悪い空気の中、彼は気配の主がすぐそこに立っているという可能性を考え、その場を決して動こうとはしなかった。

 下手に動くと、気配の主たる何かを刺激する事になりかねない。そうなれば、到底ニコラも安全とは言えない状態になるだろう。


 姿も見えない何かと向かい合う事数分。


 森の中から、ようやくディロックの視界へと飛び込んできたのは、およそ真っ当な生物とは思えなかった。


 それは全身が真っ黒く塗りつぶされたかの様に光沢が無く、表面は絶え間なく流動し、(うごめ)いている。


 よくみれば、それの表面は全て触手が連なって出来ているのが分かる。いわば触手が互いに絡みあい、形を成した気色の悪い生物だったのである。


 唯一触手でない部分といえば目玉だが、その眼球は薄紫一色であり、瞳孔も白目もまるで無い様に見えた。


 その化け物は、胴体と四本の足だと思われる部分に分かれており、無論それらも無数の触手が形成した物だ。体長はおよそ四メートル程、ディロック二人分の大きさ。

 その機敏な動きと足音から察するに、見た目よりも重量は無いようだ。


 触手の化け物は、ディロックとその後ろに隠れたニコラを見つけ、音一つ上げる事なく、飛翔と共に襲い掛かって来た。

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