百三十八話 邪竜の鱗
――硬い!
振るった一撃目にディロックが感じたのは、理不尽なまでの頑強さであった。
岩も鉄も切ったことがあるディロックでさえ、鱗は切れない、とはっきり分かった。竜殺しの剣がどれもこれも重量級の品であるのは、鱗を叩き割るためなのだと。
だが、だからといって諦める必要もない。大きく十歩を走り離れて、ディロックは竜の腹を見、それから目や鼻などの感覚器官を見た。それらはどれも、鱗のない部分だ。決して柔らかくはないだろうが、あそこなら。
なにはともあれ、注意をひかねばならない。かすり傷とて、与えれば痛痒となるのだ。
『おのれ……邪魔だ! 太古の光よ、消えろ!』
竜が口を開け、顎を引いた。二度目の息吹を吐こうとしているのだ。光の巨人は、竜の猛攻を受けて、その体積を徐々に減らしつつあった。無理もない、これは元々、大魔法使いが集団で使うような魔法だ。
スクロールによって呼び出せるということがそも異質であり、適時の魔力供給がなければ、太陽の子はその体を維持できないのだ。まして、竜の息吹など受けては、もはや存在し続けることはできない。
使い捨てにするにはあまりにも惜しい。だが、神代の竜を討つのだから、何も出し惜しみなどはしていられない。ディロックは背嚢から引っこ抜いてきた筒を一本取ると、ドラゴンの口の中へと全力で投げつけた。
そして赤と白の光が竜の口先でほとばしり――爆発。
『な、んだと……!?』
吐き出され、光の巨人を消し飛ばすはずだった炎は、しかし爆炎の中へと取り込まれてその軌道を逸らされ、巨人を屠るには至らなかった。
爆発自体は大した威力を持たない。ゆえに、竜の口内での爆発とはいえ、竜自体になんら痛痒を及ぼさない。だが、熱の動きは繊細だ。いかに竜が真っすぐに炎を放とうと、その経路に不動の力たる爆風があったなら、収束されたはずの炎はたちまちほつれ、ただの炎以上の力を持たなくなってしまう。
その隙を逃さず、光の巨人がその拳を振りかぶった。崩れ行く体とは思えぬほど強烈に放たれた拳が、竜の下あごの左側から斜め上に打ち上げ、竜を大きくのけぞらせる。
その一撃で力尽き、光の粒となって暗闇へ消えていく巨人を見送って、ディロックは剣を構えた。今度は彼の番だった。
飲み干した水薬や霊薬のたぐいも効いてきて、ディロックは今、同時に放たれたバリスタの矢よりも早く飛び出した。
彼の全身を押し返そうと、空気の膜が包む。だが、残骸都市を吹く、起こり得ないはずの追い風が、力強く彼の背を押した。
――ありがとう。
誰にともなくそう呟いてから、ディロックは再び剣を振るう。
ゴウと音を立てて振り回された刃は、鱗のない部分を的確に捉え、そして切り裂いた。竜の苛立ったような声が響く。
赤黒い竜の血が流れ出る。刃を伝うそれを振り払いながら跳び下がると、一瞬前までいた場所に竜の顎が降りてきて閉じた。
何という瞬発性か、とディロックは目を見開く。尋常の存在と思っていたわけではないが、小山もかくやという巨大さからこの俊敏さは予想できなかった。はじめから一撃離脱を企てていなければ、今頃腹の中だったろう。
ぞっとしない想像を振り払うように、ディロックは竜の懐へともぐりこんだ。いかに俊敏な神代の竜だとしても、関節の動きには限界がある。曲げられない角度まで体をねじ込んでやればいい。
だが竜とて無知ではなく、体を大きく揺らして彼を跳ねのけた。竜の巨体であれば、僅かに力を込めて揺らすだけでも、人にとっては致命傷になりかねない。彼は竜の爪や牙を避け、何度も接近しつつも、攻撃の隙を見出せずにいた。
けれどディロックは、その黄金の目で暗闇を裂いて、竜の牙爪尾から繰り出される嵐もかくやという暴威をやり過ごしていた。後ろ姿に、諦めの文字は見えない。
竜とて不死身ではあるまい。光の巨人との攻防のさなか、鱗は割れ、血は流れ出している。血が流れるのなら、死ぬはずだ。
「投石機、準備完了です!」
「放て!」
ロイエルからの合図に、ディロックはすぐさま反応して叫んだ。途端、ビュオウッと激しく空を裂いて、岩の塊が空を飛んだ。否、岩ではない。町を切り崩して作った、砂岩のブロックだ。かつての栄華の象徴が、今物理的な力となって竜に迫った。
てこの原理や位置エネルギー、その他もろもろの物理的力を込めた人力の暴威である。いかに神代より続く竜の鱗とて無傷とはいかない。がごん、がごんと直撃しては逸れ、地面へ落着する砂岩は、しかし確かに鱗に傷をつけ、あるいは割り、確かな痛打を与えていた。
これは、ディロックがはじめに竜狩りに参加した時にも用いられた方法であった。最精鋭の兵士たちを前衛にして竜を留め、バリスタや投石機でもって叩き落す。それを、竜が死ぬまで繰り返すのだ。
その瓦礫の隙間を縫って、ディロックは地を這うように跳躍した。黄金の瞳はひとかけらの隙もみのがさず、ついに竜の腹まで到達すると、たちまち片手の剣が稲妻のごとくほとばしった。
一拍遅れて、竜の腹につつと線が走り、そして出血。竜の痛苦と怨嗟の声が響く。
「オオオ――ッ!!」
ディロックはそれに負けず劣らずの声量で叫んだ。自らの体を濡らす赤黒い返り血が、自分の体を重くしていくのを、興奮気味な心で跳ねのけながら。




