百三十七話 邪竜の吐息
バシンッ! 空気をかき鳴らして、弦が解き放たれ、砂岩製の矢が飛んだ。それは人間の腕ほども太いバリスタ用の矢だ。もちろん、からくり職人たちが周囲の資材を利用し町を解体して組み立てた、即席の品であるが、威力は本物と大差ない。
だが竜の鱗とて、神代を生きる彼らの絶対の鎧だ。高らかに風を割く音とともに飛来した太い弩の矢は、激しい火花を散らしながら鱗の表面を滑り、残骸都市のいずこかへ落着していった。弾かれたのだ。何たる硬さか、とバリスタの撃ち手は唖然とした。
全身鎧を着込んだ騎士の胴体をぶち抜いて、そのまま地面に縫い留めてしまうような威力だと言うのに、竜の鱗にはかすり傷しかつけられていなかったのだ。
だが何の痛痒にも成っていない訳ではない。竜は鬱陶しげに喉の奥を揺らすと、その口を開いてバリスタの方へ向ける。
――火だ、火が来る! 脳裏を駆け抜けていく予感に、心臓に蹴りでも叩き込まれたような気分になって、ディロックは叫んだ。
「火盾を出せ!」
言葉は聞こえただろうか。まともに届いただろうか。なんにせよ、竜の喉奥から光の粒が舞い――そして放たれた。
それはほとんど、一直線に飛んだ。はたから見ていると、それは真っ白に輝く柱のようにさえ見えたが、遠く離れても襲い来る熱波が、それがあまりにも高温な炎であることを示していた。
バリスタ隊の無事を祈るだけの余裕もない。ディロックは一本の薬を一息に飲み干して、それから狼もかくやという速度で走りだした。
穴からのっそりと全身を表した竜は、小山ほどもあるだろう巨躯だ。残骸都市の天井はかなり高く、人間を百人縦に並べても届かないだろうに、竜はその半分ほどまであった。
人の身でどうにかできるような相手とは思えない。だが、どうにかしなければ勝てない。その為には、前衛たる自分が敵を引き付ける事がどうしても必要であった。
「おお、偉大なりし竜よ! 作られし漆黒の鱗よ! 俺はハトゥール氏族の戦士、誇り高きラグルの息子ディロック、いざいざ勝負!」
慣れない啖呵を切りながら、彼は丸めた羊皮紙を一枚投げ捨てた。投げ捨てたそれの紐は不自然な動きでほどけて、たちまち閃光があふれ出す。
残骸都市を昼間のように照らした光は、みるみるうちに巨大化し、屈強な戦士のごとき手と足が生えた。顔はなく、代わりに花にも似た紋様が刻まれた頭が、ドラゴンの方を見つめる。
『おお、忌々しき光! 太陽の子、光の巨人か!』
ドラゴンは体に対してひどく細い、だが人間にとってはほとんど壁のような腕を振り回した。光の巨人も負けじと拳を振りかざし、激突する。
一撃、二撃、三撃――神代の日、相争った月と太陽の戦いを思わせる大質量同士のぶつかり合い。拳と爪が交差するたびに空気が震え、残骸都市を覆う砂の天井が崩れていく。砂塵除けの結界が想定外の振動でほつれつつあるのだ。
その激しすぎる人の介入する余地はないかに思われた。だが、光の巨人が竜を一歩怯ませた瞬間、その脳天目掛けて、蒼白い雷が幾筋も降り注いだ。
「『雷渦』!」
世界揺るがす言葉によって放たれた雷は、その道の中途にてねじ曲がり、渦を描くようにしてドラゴンの頭頂へ収束していく。
激しい衝突音とともに、恐るべき竜の悲鳴と、それから白煙が当たりに満ちる。見れば、竜の頭、鱗の数枚が溶けてなくなっていた。
「やれやれ、雷渦でもあの程度か、嫌になるね。ディー、バリスタ隊は無事だよ」
火盾が役に立ったらしい。そう言って振り返る彼女の視線の先には、ほとんどガラス化しながらも、参戦したからくり職人たちを守りきった砂岩の壁があった。
砂の融点は鉄よりも高い。固めて砂岩にし、耐熱のコーティングをこれでもかと仕込んだ火盾は、たった一発と言えど、とうとう竜の火を防ぎきったらしい。
さすがに壁の防護範囲外にあったバリスタは、その数を半分ほどに減らしていたが、人的被害はせいぜい火傷ぐらいで済んだらしかった。
「にしてもあればなんだね。土着の神でも呼んだのか?」
「切り札として取っておいた『巨光招来』のスクロールだ。世界にあれ一枚きりの品なんだが……呪文だけじゃ維持ができん。長くは持たんぞ」
そう言われ、彼女が光の巨人の方を振り向く。彼の言うとおり、太陽もかくやとばかりに輝く巨体は、しかし時間とともに目減りしている。竜との激突のたび、パッと光の粒が舞って、残骸都市を照らしては消えてゆく。
あまりにも激しく巨大な肉弾戦を繰り広げる神代の生き物たちを見ながら、ディロックは剣の握りを確かめた。使い惜しんでここまで持ってきた切り札も、より長く、より強くあれとぶつからねばならない。
そうでなければ、からくり職人たちに竜の注意が向く。そうなれば崩壊は目前だ。いかに覚悟を決めてたといえど、彼らは所詮からくり職人、戦士にはなれないのだから。
「……投石機の攻撃開始とともに突っ込む。援護を任せるぞ」
「ああ、任されるとも。せいぜい私にトドメを持っていかれないよう、気をつけたまえよ?」
二人で一瞬笑いあい、それからディロックは再び走り出した。




