百三十五話 竜の寝言
「大言壮語は構わんが、どうするというのかね。まさか衛兵を蹴散らして強盗などと……」
「言わん、言わん」
ひらひらと手を振りながら思う。まず、指名手配か否かはともかく、三人はすでに犯罪者である。
改めて金を稼ぐにも、まずはその状態をなんとかせねばならない。誤解ということにできないか。いや、叔父は証拠――盗掘品の類――も握っているだろうから難しいか。
となると、もう誤魔化すしかない。
大事件でも起こして印象を薄くさせるか、ドラゴンの出現まで待って逃げ出すか。いや、それでは遅すぎるし、ロイエルの妹を救えない。
そんなことを考えてううんと唸っていると、ロイエルが泣きそうな声で言った。
「どうして……そこまで?」
ディロックは一瞬黙ると、照れ隠しのように頬を掻いた。
「手を伸ばせるのに伸ばさないと、後悔する」
――苦しかった。ただただ肺が押しつぶされてしまったように、嗚咽を漏らせば情けなく涙がこぼれ落ちた。どれだけ泣いても帰ってこない。手を伸ばさなかったからだ。当たり前が続くと勝手に思い込んでいたからだ。
どうして手を伸ばさなかったのだろう。たとえ一緒に蛇の腹の中でも、構うことなどなかったのに。今でもそう思う。いつでもそう思っている。癒えない乾きの苦しみなど、誰も知らないほうが良いのだ。
「俺はそうなった。お前はそうなるな。……まだ、手は伸ばせる」
そう言って、ディロックはロイエルの肩をたたく。青年は、神妙な顔でうなずいた。
すると突然、足元が震えはじめた。砂岩でできた重い壁が揺れ、調度品や小物がカタカタと震えだし、一拍遅れて、地鳴りのように低い轟きが続く。全員が素早く伏せ、家具を盾にするべくもぐりこむ。
だが大いなる震えは次第に収まり、その代わりにぶうんと、明らかな意思を伴った音が地面を伝って響いてきた。
――許さんぞ。
そう聞こえた。確かに聞こえた。ディロックが驚きのままに二人の方へ振り向くと、二人も唖然とした顔を浮かべている。全員が聞いているのだ。そして再び、声がした。今度はもっと強烈に、脳をも揺らすかの如く重い。
――許さんぞ、か弱き者ども。
――この身を砂の底に封じし者ども。
――今こそ、その身を十六の肉に引き裂き、魂をすすってやる。
――待っていろ、フォールンバル、コーレル、アーティ、モーデン、サヴァードリン。今こそ我が牙に――。
揺れが収まる。声も、まるで夢や幻だったかのようにシンと静まり返って、それからワァと騒ぎ出す町の音が聞こえた。
災いが来ると、今はっきり理解したのだ。これは自然現象などではなく、宣戦布告なのだと。ウルツの民は理解したのだ。どたどたと騒がしい声と足音、我先にといずこかへ逃げ出そうとする者たちの叫びがあちこちから上がる。
無理もない。今の"寝言"は、百戦錬磨のマーガレット、海千山千の経験を経てきたディロックでさえ顔色を変えるような、恐ろしく、力のこもった声だった。
いわく、竜の声とはすなわち世界を揺るがす喉であり、故にこそ、その一言一句が真に力ある言葉――すなわち、呪文であると言われるほどなのだ。一般人ではひとたまりもなく、その精神に畏怖を抱かざるを得なかった。
「……今の名前は、誰だ?」
「竜を討った――と言われている、五人の大魔法使いです。竜種の恨みは強いと言いますけれど、もう数百年経っているのに」
「関係あるまいよ。竜種はすべからく執念深く恨みを募らせる。千年の時を超え、神にかみついた竜とていたと聞く」
まだ、地が割れて竜が出てくるような、そんな予兆はない。だがいびきに続いての寝言だ。間隔も短い。目覚めがそう遠いものとは思えなかった。
「早すぎませんか……? このままのペースじゃあ、ひと月ももたないかも」
「ううむ、問題解決より、さっさと逃げ出す準備をした方がいいかもしれんな、ディロック?」
ロイエルは不安げにきょろきょろと頭を動かして外を伺い、マーガレットは杖を手に臨戦態勢だ。だが、ディロックはその中で、うすぼんやりとさえいえる態度で、腕を組んで何事かを考えていた。
ドラゴン。それは強い生き物だ。
鱗は硬く、爪牙は恐ろしいまでに鋭く、翼は雄々しく巨体を空へ運び、喉からは鋼をも溶かす炎とあふれ出す呪文が敵を討つ。
故にこそ。
ドラゴンは、いやドラゴンこそが、宝の山であると言える。
鱗は絶対の盾、不滅の鎧となり。爪牙は美しくも鋭く硬い、そういうたぐいの見事な剣や槍となるだろう。翼は柔軟でありながら頑丈で多くの用途があり、炎吐く喉は高温の炉を作る為の建材となる。血や内臓は効果著しい薬の材料として名高い。
どこをとっても大金には違いない。ディロックと師匠は鱗を剥いだ後の皮を受け取ったわけだが、それでも多くの場面で彼を救ってくれた。その光景が頭によぎる。
そして、思いついた彼は、不意に頭を上げた。
「ドラゴンを狩ろう」
ぽかんとした場の空気をものともせず、彼は頭の中に討伐の計画を立てた。さて、神代の竜の鱗はいくらばかりになるだろう、と。
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