百三十二話 逃走経路
駆ける、駆ける――。
できるだけ遠回りで合流できるように、衛兵をつかず離れずの距離におきながら、ディロックは走っていた。
幸い、衛兵の行う鎮圧は数を頼りの包囲戦が基本だ。何処の国でもあまり変わらない。ゆえに、一度防衛網を抜いてしまえば、そうそう追いつかれる道理もない。
適当に複雑な道へと誘い込むと、ディロックは壁を蹴って飛び上がり、屋根へ上がった。砂岩製のレンガが、頑丈なブーツに削られてがりがり音を立てたが、努めて無視する。目撃者がいない事を願いながら。
これまで取った道のりを逆走するように、屋根の上をかける。誰かの悲鳴と怒号、それから文句が足元から響く。踏み抜かないように力を調節しながらの疾走でも、彼を追いかけていた衛兵はついてこれず、複雑な道に置き去りにされていった。
ここから合流だ。かなり距離を離してから切り返したので、姿を見つけられるか不安だったが、ディロックは己の直観に従って路地裏の方へと跳んで行く。つまり、風の向いている方へだ。
誰かの家の屋根を蹴り砕いて跳び、路地裏の細い裏道へと着地する。そこに丁度、マーガレットが曲がってきたところだった。彼女は息が上がってこそいたが、比較的無事なように見えた。
「やあディロック、奇遇だな」
「ああ、まったくだ。ロイエルは?」
「ぶ、無事です……まさか衛兵に追われる事になるなんて」
ロイエルはそういいながら、蒼い顔で周囲をしきりに警戒している。息は上がっていないが、精神の方が深いダメージを負っているように見える。
思えば、彼はこの町の住民である。衛兵とは、そんな一般市民である彼を守ってくれる人間の筆頭であったはずだ。冒険者になったとしてもそれは変わらない。それと敵対し、あまつさえ犯罪者として追われる立場になったのだ。
家族の安否も心配であるだろうし、そもそもこれからの心配も山積みのはずだ。強く胸の辺りを抑える姿は、まるで自分の心臓が動いているかどうかさえ把握できていないように見えた。
「そもそも何故衛兵に追われる? 盗掘罪といっていたが、誰か密告する人物に心当たりはあるかね? たとえば、最初の発見者とか」
「遺跡の第一発見者は妹です……病気で、今も寝たきり状態なんです! ありえない!」
今から話そうとしていた事だ、とロイエルは自棄になったように吐き捨てる。精神的余裕がないのだろう。今後の不安に、押しつぶされそうで、どうにか怒りとして吐き出そうとしているのだ。
「なら、可能性は一つ。ロイエル、君の商売相手だ」
「え……」
マーガレットの指摘に、彼は立ちすくんだ。怒りや呆れ――それから、あり得るという困惑と悲しみの顔。
「俺たち以外にこの話を知ってるやつは、お前の妹と、商人。裏切るとしたらそいつだけだろ」
「そ、そんなはずは! もしかしたら尾行されたのかもしれないじゃないですか!」
「ないな。砂漠と荒野、見晴らしのいい環境だ。ディロックがまず見逃さないし、魔法的な隠蔽だとしても私が見抜ける」
マーガレットはひとかどの魔法使いであり、ディロックとて剣聖と呼ばれるに足りるだけの技量を持っている。よしんばその警戒網をくぐれる猛者を雇ったとしても、当の遺跡は砂のカモフラージュがある。
どこへともなく消えた姿を盗掘罪として裁けはしないだろう。となると、確たる証拠があっての密告のはずだ。たとえば――実際の盗掘品などがそれに当たるだろう。
「そんな……叔父が、僕を裏切って……?」
ロイエルは先程よりも顔を青くしてへたり込んだ。裏切りの衝撃が、あまりにも重すぎたのだろう。
信じていた絆に裏切られることほど、心が痛むことは早々ない。まして、彼の家は職人だという。安定した仕事を捨てて冒険者になるほどの境遇に、親類の裏切り。心折れてもおかしくはなかった。
「しかし……なぜ裏切った? 盗掘品はその叔父とやらにもかなりの利益をもたらしたはずだ」
マーガレットはそう言って首を傾げた。商人であれば、尚更利にさとく、また信用の重要さを理解しているべきだ。まだ利のある相手を捨てて、密告するほどの価値がどこにあったのか。
その答えは、うなだれたロイエルの口からこぼれ落ちた。
「……盗掘罪の密告者には、金貨数千枚単位で賞金が出ます。国を挙げて撲滅しようとしている犯罪ですから」
「だとしてもだ。そもそも、売りさばいていたのも自分だろう? 盗掘の共犯として扱われる可能性はかなり高いのではないか?」
そうなると、話は裏切りや信頼、信用よりも、リスクとリターンの問題になってくる。要は、共犯として捕まる可能性を考えても尚、金貨数千枚を欲しがる理由だ。
盗掘はリスクだ。遺跡は無数にあるので、出所を探るのは難しいだろうが、それでも盗掘を疑われ噂を流されるだけでも相当の損害を被るだろう。ロイエルの叔父はそのリスクを負ってリターンを求めた。
金貨数千枚のリターンと、自らも犯罪者として酷い罰を受ける可能性のリスク。それまでは釣り合うか、あるいはリスクの方が大きかったはず。なら、どこで関係がひっくり返ったのか。
「……となると、盗掘で出てくる遺産の量から進捗率を推測されたな」
ディロックが呟いて、ロイエルはハッとしたように顔を上げた。




