百三十一話 波乱
長らくお待たせいたしました。
「……さて。あれが何か、という話だが。近辺にあれほどの声を出せる生物は存在しているのかね、ロイエル」
「いえ。そもそも、ここいらに出没する怪物は多くが虫です。あれほど大きな声となると……居ない、と考えていいでしょう」
拠点たる町まで戻ってくると、騒ぎは確かなものとなっていた。
あの唸り声、ないし"いびき"はこの町にも響いていたようだ。突如として轟いたそれに困惑と恐怖、それから少しの好奇心が渦を巻いて、市場に普段以上の喧噪をもたらしていた。
恐ろしさに国を出る商人たちも居れば、大丈夫だろうとたかを括るもの。皆それぞれだが、しかし動揺は確かに、街の空気から読み取ることができた。その道を歩きながら、三人は互いに言葉を交わす。しかし、たどり着いた結論は、彼らに痛い沈黙をもたらすものだった
「やはり、ドラゴン、か」
ドラゴン。その言葉に思うのは、以前も話に上がった、かつて魔法が栄えた国々をあっけなく滅亡へと追いやった怪物のことである。
封印されているらしいが――その封印は一体、いつまで持つのだろうか?
古代の大魔法使い達が、よってたかって仕掛けた大魔法だ。彼らとて相応の延命を図っただろうが、しかし百年を超える時の中では劣化は免れない。
よしんば原型のままに残っていたとしても、相手は怪物の中の怪物。封じられっぱなしではいないと思われた。現に、今までは起こらなかったはずの兆候は表れた。封印の弱体化は発生していると考えても大きな間違いはないと思われた。
となると、問題になってくるのは身の振り方である。
金は着々と溜まりつつある。魔法の道具などの支度を考えると辛いものがあるが、しかし路銀として考えればすでに十二分。封印が解けるのは今日明日という話ではないだろうが、物騒な話になってくる前に、さっさとこの国を抜け出すべきではないだろうか。
万が一にも強制徴収となれば、正式な冒険者として、まともな稼ぎ口を確保できるマーガレットを置いてはいけないし、強制を無視して逃げ出せば罰則になってしまう。
幸い二人は、ロイエルからの依頼を除けば、現状なにも仕事は受けていない自由な身だ。ロイエルとの契約さえどうにかなってしまえばさっさと逃げだせる。
「……それは……」
しかし、契約の終了という話にさしかかると――ロイエルの顔が曇る。
「む……何か不満が? 契約上の最低額にはもう少しで達するはずだがね」
「いえ、それは」
「私達も旅の都合があるし、これ以上のリスクを負う訳にはいかんのだよ」
――君が、何を抱えているのか話してくれるなら、また別の話だがね。
マーガレットははっきりと、そう言い切った。
ずっと、ロイエルが何かを抱えていることに、二人は気づいていた。気づいた上で聞かなかった。旅の道では一期一会、人の事情に首を突っ込むと大抵の場合ろくなことにはならないし、そもそうするだけの理由もなかった。
だが今は。一時とはいえ仲間として肩を並べ、戦った。もはや他人ではなく、ゆえにマーガレットも手を伸ばす気になれたのだ。あるいは、横に居るお人よしに感化されただけだったかもしれないが。
なんにせよ、手は伸ばされた。
「……わかり、ました。お話します、僕の事情を」
そしてロイエルは、そろそろと、その手を掴んだのだ。
葛藤を抱えた顔は、それまでの苦労を物語っている。ああ、手を伸ばしてよかったと、マーガレットに思わせる程度には。
ディロックも少しだけ微笑んだ。
「まぁ、まずは安心して話せる場所を探さねばな」
ここは大通りだ。お世辞にも内緒話に向いた場所とは言えない。定宿か酒場か、いずれにせよどこか室内で――。
ザッという鈍い足音が道を塞いで、思考は中断せざるを得なかった。三人はとっさに足を止める。
独特の紋章を肩にあしらった革鎧。槍やロープ、制圧に重きを置いた装備選択。衛兵であろう、とみて取れた。それが、彼ら三人の方の道を塞ぐように立っている。
――ああ、いやな予感がする。マーガレットとディロックは互いに目配せし合った。
以前にも似たような経験があった。その時は容疑を晴らすため大人しくしょっ引かれたが、今回は誤魔化しようもなく後ろめたい事がある。できればもめたくはない。
だが、そんな願いもむなしく、衛兵たちは紙を取り出して、三人と見比べ始めた。その目は明らかに、犯罪者、あるいはその一歩手前へと向ける視線であり。長らく旅人を続けてきたディロックには見慣れたものだった。
「……左後方の裏路地だ。俺は正面から。後で合流する」
「え?」
「む」
だから彼は、ぼそりと呟いて、つま先に力を込めた。荒地を駆ける豹もかくやという、はち切れんばかりの筋力をたぎらせて、こっそりと魔法の指輪も発動した。マーガレットは、それで大体察したようだった。
「そこの三人。遺跡盗掘罪の容疑によって――」
「行け!」
言葉を遮って、ディロックが跳躍した。純然たる野生の脚力に、超常の手助けを借りて、青空を背に、舞う。
身をよじって着地すると、丁度彼女が手を引いて、ロイエルが裏路地の端へと消えて行くところだった。
――さて。上手く行くといいんだが。
ディロックは一人ごちると、一転、風のごとく走り始めた。




