百三十話 予兆
カンテラの火がちらちらと揺れる。かすかな温かさだが、日の光が差さない遺跡の中でたくましく思えた。
そこは残骸の街の最西端。おそらくは元々、職人街であったと思しきそれは、今やほとんどが経年劣化によって倒壊してこそいるが、良い収入源となった。
たとえ壊れかけであっても、遺産は遺産。破損状況次第ではあるものの、骨董品としての価値だけで金貨にも手が届くような品がごろごろ転がっているのだ。まして魔法王朝が栄えていた時代の職人街ともなれば、まともな魔法の品とて確認できる。そう言ったものが見つかれば、金貨数枚など大した金額にはならない。
しかし、金貨の山ともなり得る袋を抱えながらも、三人の間に流れる空気は、そう明るい物ではない。むしろ、ずっと暗い物であった。
――それは、寺院の存在である。
マーガレットが予想していた通り、最西端にも寺院があった。だが、何よりもその雰囲気を暗くさせているのは、そこで見つかった文献によるものだ。
魔法王朝が終焉を迎えんとしているころに書かれた物なのだろう。筆は乱れ、あるいは震え、およそまともな字ともなっていない古代の言葉を、彼はゆっくりと、だが確かに読み解いた。
内容はこうだ。かつて魔法王朝同士で争い合っていた時代の末期、互いに魔法の腕は拮抗し、それ以上の戦力を求めたことが始まりであったという。つまり、魔法使い以外の、魔法使い以上の力――怪物の創造に。
その最果てで、彼らはとうとう辿り着いた。この広い世界でなお、個として頂点に立つ生き物。鱗は硬く、空を飛び、鉄をも溶かす炎を従える怪物。竜を作る、その術に。
幾多の苦難を乗り越え、何十何百何千という犠牲を積み重ねて、とうとう得た頂き。だが、その試行にはある一つの、だが致命的なほどの欠陥を、誰も見つけることが出来なかった。
"竜をどうやって従えるのか?"。たったそれだけの、単純な、けれどもっとも重要な点を、古代の魔法使い達は失念していたのである。
いかに更なる力を求めて、自らよりも強い者を作り出しても、それが意思に沿ってくれるとは限らない。まして相手は竜だ。意思持つ災害といっても過言ではない。それを従えようなどと、たとえこの世ならざる理を振るう魔法使い達であっても、叶う技ではなかった。
結局、作られし厄災の竜は、作られた用途のまま考えうる災いの全てを振りまき、この国全土を砂に沈めてしまった。
文書の残りは、竜を作り出した事への悔恨、多くの、あるいはすべての友を失った哀しみ、そして竜への恐れがつづられていた。
「……それが、僕の国――の、ご先祖様の末路だったんですね」
ロイエルが寂しげに呟いた。
先祖に魔法王朝の民をもつ彼は、しかし魔法使いではない。かつて高みを目指し研鑽し、争いあった魔法王たちの系譜は、もうどこにも残って居ないのだ。ディロックもそれを思い、すこし悲しくなった。戦いの始まりですら"切磋琢磨"が根底にあったはずの彼らは、けれど力に魅入られ、欲し、そして手にした力に焼かれて歴史の暗がりへと落ちていったのだ。
既に過去へと消えた祖先の言葉に、何を思うのだろうか。誰もが黙り込んだ。考え込むように。悲しむように。弔うように。
その時。
――ズゥン。遥か深く、砂の海よりもなお深い場所から、振動。感傷の一切合切は、一瞬のうちに消えた。
「な、え!? 揺れ、揺れましたよ! 地面が!」
「分かってる、落ち着け! 敵影はないか確認だ、マーガレット、探知を!」
「ええい、何かねこんな時に……!」
三者三様に、しかしすぐさま立ち上がる。ロイエルは未だ未熟とて冒険者、他二人も手練。不測の事態とは言え、うろたえるばかりではない。
探知の呪文の声が朗々と響く。ディロックは剣を抜き放って、当たりを睨みつけるように見据えた。気配は感じない。直感も震源の存在を捉えなかった。だが、それがかえって恐ろしくて、歯を食いしばる。
「……周囲三百歩ほど、揺れの元は特定できん」
「こちらも見つけられん。ロイエル、どうだ?」
「僕も同じくです……? まって、何か聞こえませんか」
ロイエルの言葉に、二人は黙り込んだ。衣擦れの音一つせず、吐息は糸よりも細く。すぐに静寂が訪れる。
その沈黙に響くのは、地の底から響いてきたような、ひどい重低音だ。それは、怨嗟の唸り声にも聞こえるし、あるいはただのいびきにも聞こえた。
そのどちらにせよ、人間が気安く触れられる類の存在ではない。"声"は振動だけを残し、次第に小さくなり、消えて行く。まったくその声が聞こえなくなるまで、三人は息をひそめ続ける。最初に息を吐いたのは、マーガレットであった。
「……まったく、次から次へと何事かね。今すぐ何かが起こる気配はないが、まぁ、十中八九予兆だろうな」
未だ警戒を続ける二人を横目に、マーガレットは帰り支度を始めた。そしてふいと杖を小さく振ると、二人の持っていた手荷物の類の一切が、ふわりと宙に浮かぶ。
目を丸くした二人に、どこか冗談めかした、けれど真剣な顔で、彼女は言った。
「帰ろうじゃあないか。情報が必要だ、そうだろう?」




