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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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十三話 なんでもない日の朝

 ひょう。刃が鮮やかにひらめき、空を裂いて唸る。


 両刃剣よりも軽いとはいえ、金属の塊たる曲刀を、しかしディロックは重さを感じないかのようにして振るう。


 生来の身体能力もそうだが、ひとえに積み上げて来た能力、技量もある。卓越した技は、時として魔法と見まがう程になるという。彼のそれも、その領域にまでは至らずとも、充分に剣を振るえるだけの技を持っていた。


ぐっと目を細めた彼は、普段の雰囲気とはまるで違って見える。


 それは例えるならば、一本の刃だ。剣を振るう、ただそれだけに意識を集中させる為、そう見えるのだろう。


 剣術とは、剣を振るうのではなく、鍛えた己を振るうのだ。己の師がそう言っていたのを、彼は良く覚えていた。


 突き、その状態から踏み込んで切り上げ。切り払いながら後ろへと跳び、着地と同時に駆け出して掬い上げる様に一太刀。つむがれる剣閃は渦を巻くかのように、朝の洗練された空気を切り裂いた。


 ディロックは一通り鍛錬を終えると、残心する。


 その間中、彼の雰囲気は刃のそれのままだ。寡黙な師から教わった事は少なかったが、残心を忘れるな、という教えは何度も聞かされていた。技を終え、戦いを終えても油断する事なかれ、と。


 ふ、と風が緩まったのを合図として、彼は軽やかな動きで曲刀を鞘へと収めた。先ほどまでの雰囲気はなく、そこには旅人としてのディロックがたたずんでいた。


 彼は首を軽く鳴らすと、ひとまず朝食前に戻るべく振り向いた。すると、窓からこちらを覗いていた少年が居ることに気付いた。


 ディロックは一瞬エルトランドかと身構えたが、その少年の目は疑いや訝しみの物ではなく、むしろ憧れに近い好意的な視線だった。


「旅人のおじさん! 剣の訓練してるの!?」


 半ば窓から体をはみ出させて、興奮の声を上げた少年は、熱心にディロックの話を聞いていた赤毛の少年、ウルである。どこか気が抜けて、彼は肩の力を抜いた。


 そこでディロックは、自分がエルトランドという少年を警戒していることを知って、苦笑する。何を怖がっているんだ、と自嘲を笑みを浮かべると、彼はウルの方へ向き直った。返答の為である。


「ああ。一日しないだけで、すぐ鈍るからな」

「すっげー! かっけー!」


 窓越しにはしゃぐウルの様子を見て、ディロックは軽く笑うと、起きるのがやけ早いが、と問い掛けた。


「俺も、朝に素振りしてるんだ! 待ってて、今行くよ!」


 言うが早いか、少年は窓を閉めて玄関の方へと駆けて行った。今しがた訓練は終わったばかりだが、まだ日も昇りきっていない。多少のんびりとしていても良い時間である。

 なら良いかと思い直したディロックは、少年が用意を終えて教会の裏に回ってくるまでどっかりと座り込んで待っていた。


 しばらくしてウルが来ると、早速木刀を振り始めた。少年の手に馴染むような大きさのそれは、シンプルなデザインながらしっかりとしており、また安全の為か角は削り取られ丸くなっている。


 素人の手によるものではないだろう。恐らく木工か、あるいはきこりなどの手慰みの類か。どちらにせよ、剣にあこがれる少年が持つにはぴったりの品であった。


「熱心だな」


 ディロックがそう声を掛ければ、ウルはすぐさま応えた。皆を守れるようになりたいんだ、と。


 いくら埋骨の森に、狼や熊を代表とする人を食うような動物が少ないからと言って、まったく存在しないわけではないのだ。時折、森から迷い出てきて、エーファの村に姿を現すことはままある。


 教会の近くにも、狼が一匹迷い込んだ事があるんだ、とウルは語った。その時はモーリスが松明を片手に奮闘したおかげで、猟師が駆けつけるまでの時間を稼げてなんとかなったのだと言う。


「あの時、モーリスのお姉ちゃんが戦ってるのに、俺、後ろで震えてるだけだった。……今度は、俺が姉ちゃんを守るんだ!」


 決意も(あらわ)に、何度も木刀を振る少年を見て、ディロックはどこか懐かしい気持ちになっていた。そういえば自分も、木刀を携帯し始めたのはこの頃だったな、と。


 それと同時に陰鬱な思い出がじわりと湧き出し、彼は無言でそれに蓋をした。そして、内心を包み隠すかのように、大きく深呼吸。少なくとも、今思い出すべきことではない。


 頭に残った不快感を追い払うべく、ひょいと立ち上がったディロックの視界には、一心不乱と言った様子で素振りを続けるウルの姿があった。


「……心構えは結構だが、剣の振り方がなってないな」


 そう言って軽く笑うと、ディロックはウルの腕に手を添えた。ウルは驚いた様だったが、彼は気にすることなく、少年の腕を動かし、素振りに最適な形へと持っていく。それが終わると、足も同じように訂正が掛かる。


「両刃剣を使うなら、腕の動きよりも踏み込み、つまり足の動きが重要だ。鋭い踏み込みが、鋭い剣に繋がる」


 素振りも、剣を振ることよりまずは足の動きを覚えるべきだとディロックは言って、横で見本の動きを見せた。扱う武器は違えど、剣は剣だ。多少の心得は合った。


 素早い動きで踏み込み、その勢いにのせるように、彼はぶんと両手を振り下ろす。無論、その手に剣は無い。しかしながら、ウルの目には、振り切られる両刃剣が見えたかの様であった。


「つまり、こうだ」

「……すげー……」


 一瞬呆然としたウルだったが、ハッとした様子で剣を持ち直すと、ディロックが訂正してくれた形に再び体を持って行き、そして見様見真似で踏み込み、剣を振り下ろした。


 しかし、彼のように手を止める事が出来ず、木刀は地面をガリ、と削って止まった。腕にも衝撃が走ったのか、ウルは小さくうめき声をもらした。


 そんな少年の様子に、ディロックはくつくつと笑いながら、力みすぎだと言った。




 彼が少年の動きにアドバイスをして、正しい素振りの形にしている内に、気付けば大分日も昇ってきていた。


 ウルもそれに気付いたらしく、素振りをいったんやめ、素振りの仕方を教えてくれたディロックに感謝しつつ、朝食を食べに教会へと戻っていった。


 彼はそれを見届けてから、くるりと踵を返した。教会の裏手は小さな花壇のようなものがあり、その横には切り株があった。


 おそらく薪割り用であろうその切り株の影にロミリアが隠れていることに、ディロックは少し前から気付いていた。


 さすがに少女も、見つかったと自覚したのか、恐る恐ると言った具合に歩み出てきた。


「おはよう」

「あ……えと、お、おはよう、ございます」


 彼が声を掛けると、観念したようにぼそぼそと挨拶を返してきた。どこか恥ずかしげにも見える様子に、ディロックは少し首をかしげながら、どうかしたのか、と聞いた。


 何も悪いことをしたわけではないだろう。切り株の傍で、隠れて見る必要は無いはずだ。ディロックはただそれが疑問だった。


「う、その……ええと」


 ロミリアはもごもごと不明瞭な声を発すと、そのまま何度か口の中で言葉を転がしていた。人と話すのが苦手らしい少女は、どうにも言葉に迷っているらしかった。


 しばらく経って意を決したのか、少女はディロックの顔を見上げた。彼女から見れば、彼の顔はそれなりに高い位置にある為、自然とそういった形となる。


 一瞬、ためらうように口を開閉させた少女は、しかしもう一度口を開いて、今度こそしっかりと言葉をつむいだ。


「あ、あの! ……その、今日、石碑の翻訳は……される予定、ですか?」


 途切れ途切れに発された言葉だったが、言葉に秘められた意味は彼にも分かった。ディロックは大きくゆっくりと頷き、付いてくるなら好きにしていい、と言った。


 少女はぱぁっと顔を明るくして、一度ぺこりと頭を下げると、ふと思い出したように教会の方へ戻っていった。ディロックもそれについて行くようにして、ゆったりとした足取りで歩き出した。

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