百二十八話 寺院の妙
「しかし、この場所は妙だな」
今日の成果を袋に詰め終え、地上へと舞い戻った時、ふとしてマーガレットが呟く。
「妙?」
「ああ。寺院は特にな」
砂を蹴り、寺院の床材を示す。古く、削れた石製の寺院の床には、しかしいまだに精巧な彫刻の痕が見て取れた。
この場の寺院について語るべき所は多くない。何故なら崩壊こそしていないが、その半分以上は砂で埋まっており、残っている最も高い塔部分――つまりディロック達が普段、侵入口にしている部分でさえも、階段は崩れ、ロープをかけて上り下りをしているのが現状であるほどであるからだ。そんな場所から何かを察そうとすること自体が愚かなことである。
しかし、分かる事はある。一つはここがエル=ガディム時代の遺跡である事。壁に刻まれた彫刻の筆致からは、確かに魔法を敬い尊んだ文化の名残がある。彼らの文化は、それより以前の世界で忌み嫌われ、隅へと追いやられた理外からもたらされる魔の力を褒めたたえる事を中心としている。
それゆえに、描かれる紋様は魔法を扱う為の"陣"にも酷似していながら、しかしその輪をわずかに美しく歪めることで、魔法の神聖性を保ちつつも彫刻の美しさを維持した。
そしてもう一つ読み取れることは、この寺院が、街の最北端に位置していることだ。街は中心部からおよそ円形になるように広がっており、中央から延びる十字路をまっすぐ突き当たったところ、その北側にあるのがこの寺院なのである。
今日探索したエリアは、ひとまず浅く広くという事で、目につく物を拾いながら街を回った。そうして街が円形である事などをざっくりと理解したわけだが、マーガレットはまた、別の所に注目していた。
「今日見た東側にも、同じ寺院があった。見ただろう?」
「ええと……そうですね。大きさははだいたい、同じだったと思います」
砂に埋もれてる部分もありますし、完全ではないですが。ロイエルのそんな言葉を聞いて、彼女は満足げにうなずいた。その様子は何処か、生徒に質問を投げかける教師のようにも見えた。結局、彼女は魔法使い、ひいては冒険者であることと同じぐらいに学者肌なのだろう。
そうして、三角帽子の位置を整えて、また言葉を続ける。
「寺院とは何かを置いておく為の場所だ。そしてそれは尊い物、大切なもの。つまり失う事を恐れる物であることが多い」
故にこそ、寺院が一つの街に複数あることは多くない。ディロックは、彼女の言葉を聞く前に、なんとなく思い浮かんでいた。
当然と言えば当然の話だ。商人は自らの財を、ある程度一まとめにする。そうした方が管理がしやすいからだ。守りやすいとも言う。金庫をあちこちに置けば、必然、守る者も増やす必要があり、結果として一つ一つの安全性は低くなるのだから。
それは神具の類についても同じことが言える。
すでに神の時代が遠く昔に過ぎ去った今の時代でも残る神代の道具は、その全てが貴重な魔法の品だ。故にこそ大切に扱われ、盗難や破壊の被害にあわないよう、寺院や聖堂の奥底にしまっておく。それを決して、どこかへ分けて置いておくような事はしない。
必然、それらを祀るような場所は少なく成る。当然の流れである。しかし、この残骸都市には、少なくとも二つ寺院があることが判明した。
あるいは信仰を捧げるためだけの場所として作られていたとしても、それこそ一つで良いのだ。大きく寺院を一つ作ればそれで事足りる。態々方角を分け、遠くに置く理由はない。
「……しかし、エル=ガディム時代は怪物に破壊された時代だ。まだ見つかっていない、そうした文化もあるだろう」
「まぁ、そう言われればそうなんだがね。理由を知りたくなるたちなのだよ、気にしないでくれたまえ」
彼がそう投げかければ、マーガレットはそう言って笑った。
「とはいえ、だ。もし、未だ未探索の西と南にも同様の建築物があるならば……」
俯き、囁くようなひとりごと。しかし、その途中でマーガレットは口を閉じ、その続きを零さなかった。さっさと帰ろうと一人、街への道を歩き出した。ロイエルがそれに、ばたばたと続いて行く。
ディロックはその背を見送りながら、マーガレットの言葉の先を思った。
もし同様の建物があるならば。
この街は、四方を寺院で塞がれていることになる。まるで囲むように、だ。その様相はある種、なにかの結界のようなものでもあるが、エル=ガディムは魔法の栄えた時代。結界一つなら寺院一つほどの大きさで事足りたし、何よりこの規模の街一つを覆う結界程度であれば、中央に大きな魔法陣でも据えておけばそれだけで十分なのだ。
だがそれでも、四つもの巨大な建築物を、四方に分け、それを結界に用いなければならないとしたならば。
それは一体、どんな恐怖からこの街を守ろうとしたのだろうか。――あるいは。この街"から"、何かを出すまいとしたのだろうか。
もはや答えを知るものは居ない。長い時の中で魔法王朝は崩れ去り、栄華を極めた魔法使いたちも、自らが生み出した破滅の力に踏みつぶされるように死んでいったとされているのだから。
しばらく、寺院の吹き抜けを支配する暗闇を見つめてから、ディロックもまた、二人の後を追って歩き出した。妙な不安さ、遠いさざなみのようなかすかな胸騒ぎだけが残っていた。




