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青空旅行記  作者: 秋月
四章 見捨てられた国ウルツ
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百二十六話 荒ぶる神

「そういえば、どうしてディロックさんは、旅を?」


 ある日、探索の途中で、ロイエルが問い掛けを放った。休憩中のことだった。


 ディロックは小さく眉をひそめた。注意力が散漫になっているのではないかと文句を言おうとしたが、大した意味はない事まで思い至って黙り込む。


 なにせ、虫やらなにやら、この遺跡内ではちらほらと見つかっては戦闘になるのだが、初日に見かけたあの巨大な虫以外は大した敵ではなかったのである。何せ、ここには腕利きの戦士と魔法使いが居て、おまけにその戦いを臨機応変にサポートできる斥候が居る。およそ尋常の相手であれば敵無しだ。


 どうかわそうか、適当にそれらしい台詞を並べるか。彼が誤魔化し方を考えていると、そんな悩みを知ってか知らずか、マーガレットが口を開く。


「そういえば、私も聞いていなかったな。……どうなんだね?」


 八方ふさがりであった。


 ディロックは頭をガシガシとかいて逃げる方法を考えたが、すぐにそれを捨てた。何時までもいこじになっていても仕方ない。


「……つまらん話だぞ?」

「僕は、大丈夫です」

「私も構わないよ」


 いよいよ逃げ場も無くなって、ディロックは小さく溜息を一つして、頬杖をついて考えだした。どこから話すのが良いだろうか。いや、大して複雑な事情はない。適当なところからでいいだろう。パチパチと、焚火の音が嫌にうるさく響いていた。


 それから、ぽつぽつと、雨垂れのように話し出す。もう十年近く前の話。ディロックが、ただの少年でしかなかったころの事を。


「この大陸の南に、島があるのを知っているか。ゆりかご諸島というんだが、俺はそこの出身だった」


 遠い南国の地。肌や髪の色も、習慣も、信仰も、何もかもが違う異国。そこで、ディロックは生まれたのだ。そこで彼は、名のある戦士の息子であった。


 食う物に困らず、野生生物にも怯えることなく、良き婚約者と巡り合い、人生を謳歌していた。明日が素晴らしい物になるのだと、信じて疑う事もなかった。その頃のディロックは果てしなく恵まれていた。今でもそう思っている。


 けれど、そんな日々は、ある日唐突に、脆く崩れて消えた。


「……俺の氏族、ハトゥールの村ではな。ある言い伝えがあった」


 ――この地には荒ぶる神が眠っている。今は百年の長き眠りについているが、それが目覚めた時、それの求める通りの生贄を差し出さねばならない。さもなくば、この地は毒の沼となり、もはや人も住めぬ大地となろう。


 長老の語る昔ばなしの一つにそれはあった。一体何時眠りについたのか、何時頃目覚めるのか、そういった事はまったく言われなかった。けれど、長老は確かにそれに怯えていたのだ。だからディロックも、それ自体を嘘だと断じることはなかった。


 だからある日、白い蛇が村を襲って。自分の婚約者を生贄に選んだ時、居てもたってもいられなくなったのだ。


「腕利きの戦士だった父に、必死で頼み込んだが、首を縦に振ってはくれなかった。その内に夜が来て、支度を終えたあいつが、森に入ったことを知った」


 居ても立ってももいられなかった。父に腑抜けだとか、臆病者だとか、酷い言葉を二つか三つか投げつけて、ディロックは剣をひっつかむと、そのまま森へ飛び込んだのだ。


 道なき道なれど、そこを辿るのには慣れていた。何年も、何年も、遊び半分に潜った森だ。道を間違えるはずも無かった。迷いなく進めば、奇妙な形になぎ倒された木や、毒を食らったのか、全身が腐りおちた死骸も見た。


 それでも進んだ。そうしなければ、次は自分の幼馴染がそうなる番だと、本能で分かっていたから。震える手足を叱咤して、ごまかすようにずんずんと大手を振るって歩いて。


 そして、辿り着いたのだ。急ごしらえの、生贄の祭壇に。


 そこに彼女はいた。死など怖くないかのように、黙って座り込んで。ディロックはその傍に駆け寄った。


「迎えに来たぞ! 帰ろう!」

「……ディロック。やっぱり、来ちゃったのね」


 手を引いて帰ろうと促す彼に、しかし彼女はついて行こうとはしなかった。行こう、行かない。行こう、行かない。互いに譲れないものを抱えて、ずっとそれを繰り返した。


 この手を引いて帰れば、いつもの日常が待っているのだと、思っていたのだ。蛇なんていなくなって、村は平穏無事で。愚かにも――あるいは、必死に。そう考えていた。けれど、彼女はそうではなかった。


「だめだよ。早く、村に戻って」

「……だめ? だめってなんだよ!? 蛇なんて、俺が!」


 そう言って剣を示しても、結局、彼女は頷こうとはしなかった。業を煮やして、ディロックは彼女の手を掴み、立ち去ろうとして。


 ようやくそこで、真後ろから延びていた、自らを射抜く紅い視線に気が付いたのだ。


 暗闇の中に浮かぶ真っ赤な瞳。かすかな月明りを受けて白く輝く、傷一つない鱗。あまりにも長く、山を人巻きにしてしまうような巨体。先の割れた舌が、二人を見比べるようにちろちろと覗いていた。


 それが"荒ぶる神"なのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

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