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青空旅行記  作者: 秋月
一章 埋骨の森
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十二話 夢

「……大変、ご迷惑おかけしました」


 彼女が頭を下げるのを見て、ディロックは困ったように頭を掻いた。というのも、どう返答すれば良いか分からなかったからだ。


 夜遅く、ロミリア含め、子ども達全員が眠りに付いた時間帯。帰ってきたのはつい先ほどで、彼はまだ腰に曲刀をはいたままだった。


 しかしながら、ディロックは複雑な心境でいた。確かに送り届けたが、ロミリアの帰りが遅くなったのももとより自分のせいである。何故だか騙しているような気がして、気分が悪かった。


 だから彼は、正直な気持ちを吐いてしまうことにした。隠していても仕方がない。多少なり嫌われようが、気持ち悪さを腹に残しておくよりは幾分かましだと思っていたのである。


「いや……気にしないでくれ。それに、遅くなったのも俺のせいだ」


 彼が遺跡とその中の石碑を見つけ、長い間時間を忘れて翻訳していたこと。そしてロミリアも、その翻訳を見ていたという旨を話すと、彼女は少し眉をひそめた。


 やはり不味かっただろうか、と言って、彼は頭を掻いた。しかしモーリスは、慌てて首を横に振った。


「あ、お気になさらないでください。少し、気になったものですから……」


 彼女は再び顔に微笑みを浮かべ、ディロックに向けた。彼の持っていたカンテラの光に照らされた顔は、水面の月の様に(はかな)く見える。笑っているというのに、どこか不安そうにも見える表情だった。


 ディロックはその表情を疑問に思ったが、ふとモーリスが外を向いたことで意識がそちらに向いた。控えめな木枠の窓から映し出された夜空は、月が随分と沈んでいるのが見えた。


 夜も更けて来たらしい。夜中に女性の部屋に長く居座るのも良くはないだろう。モーリスも少しはにかんだ様子で、今日はおやすみください、と言った。


 ディロックもそれに逆らう様な事はせず、少し笑いながら、司祭室を出て行った。廊下を行く彼は、夜を鳴く鳥の声を聞きながら、明日はどうしようかと考えていた。




 その日彼は、久々に夢を見た。




 薄く霧がかった森が見える。ディロックは気が付くと、そこに立っていた。


 風がない。故に木の葉のざわめきも聞こえない。鳥の声もしなければ、野生の気配の類が一切感じられない。ただの一瞬で、彼はそこが普通の森で無い事は分かった。


 木の葉の色を受けてか、若干青くも見える森を、少し戸惑いながらも、彼は歩き出した。踏み出せば足の裏の感覚はあるものの、それはまるで空気を蹴っているかのような不確かな物で、不思議な事にかわりは無かった。


 右を見ても、左を見ても、森だ。森林の中に立っていれば当然のことではあるのだが、彼の目にはのっぺりと厚みが無い様にも感じられ、異質にすら感じる。


 時折、(ほたる)のような燐光がふわりと目の前漂っては消えて行く。もしかすると、妖精か何かなのかもしれない。


 ただ目的も無いうちに森を進んでいると、霧を掻き分けるようにして、前方からゆっくりと近づいてくる影があった。


 それは薄ぼんやりとしていて、はっきりとした形としては見えない。だが、かろうじて馬や鹿の様に首が長いことだけは分かった。青白く薄い光を纏った獣は、ディロックの方を見たまま静止している。


 彼は不思議と落ち着いた心のまま、その影へと手を伸ばした。輪郭すらおぼつかない影がそっとその手に頭を近づけたのを、彼はなんとなく感じた。


 もっと手を伸ばして触れようとした矢先、獣の影は不意に口を開いて、何かを彼に伝えようとした。


「――――」


 だが、その瞬間、彼の耳には激しい耳鳴りが襲い掛かった。それはあまりの激音で、何も聞こえなくなってしまうほどの物だった。驚きのあまり、ディロックは体を硬直させた。


 獣はその様子を見ると、燐光を伴いながら、風のようにふわりと消えてしまった。そして獣の姿が消えると同時に、ディロックの夢も覚めた。




 上半身を跳ね起こすと、彼を支えていた寝台がギシリと軋んだ。


 素早く周囲を確認したが、しかしそこには寝ている子供が居るばかりで、彼が見たあの獣は何処にも居なかった。


 不思議な夢だった、と片手で頭に触れる。ざらざらとした短い髪の感覚が伝わってきた。今は目が覚めているらしいとそれで分かり、ディロックはようやく夢だったんだと納得した。


 妙に幻想的で、しかしどこか現実みを帯びた夢だった。故に、彼は一瞬、自分が起きたのか判断がつかなかったのだ。


 あくびを一つして、彼は寝台から滑るように降り立った。足音はたたない。彼が素足なのもあったが、日頃の修練によるものだろう。


 固まった体を軽くほぐしているうちに、だんだん意識もはっきりとしてきた。しかし、朝方の冷え込んだ空気の中を動く気にはなれず、ディロックは道具の整備を始めることにした。


 彼は旅具をはじめ、武器や鎧、魔法の道具にいたるまで整備を怠るという事をしない。多い時は二日もしないうちにする事もある。


 脅威と言う物は何時訪れるか基本予測できない。旅に際するならば余計に。だから彼は用意するし、用心するのだ。


 無論、それで解決するかは別の話だ。だが、生き残る確率は上がる。ディロックにとってはその程度で充分だった。


 しかし、それも大して長くは続かなかった。何時も使っている品――鎧、武器、魔法の道具の一部――の整備が終えたとき、次へと伸ばしかけた手が止まったからだ。


 その先に偶然置いてあったのは、(ヘルム)である。騎士が被る様な頭全体を覆うクロースヘルムではなく、後頭部と鼻から上を覆う、サーリットと呼ばれる兜だった。


 特に魔法的な要素も持っていないそれに手が伸びかけた時、ディロックの手は確かに止まり、もう片手に持っていた短剣がカラリと音を立てて落ちた。


 しまった、と気を持ち直したときには、既に何人かの子供が音に気付いて起きてしまったようで、ディロックは困ったように頭をかいた。


「……たびびとさん……?」

「あー……すまん。寝ててくれ……」


 寝ぼけ眼のまま問い掛けたニコラに対し、申し訳ない気持ちを感じながら、彼は少女の布団をかけなおした。すると、眠気に従って、ニコラはまた寝息を立て始めた。


 それを見て、他の子供たちもまた寝始めた為、ディロックはほっとしながら短剣を拾い上げ、背嚢にしまい込む。その傍らに置いてあった兜も、また同じ様に。


 しかしそこで、視線を感じた彼はまた顔を上げた。すると、自分を見つめていた少年と目が合った。


 昨日の朝、剣の訓練をしていたときにも見かけた少年――エルトランドだった。エルトランドはディロックから見られていることに気づくと、ばつが悪そうに目をそらした。


「……すまん、起こしてしまったか?」


 軽く頭を下げて謝罪の意を示すと、少年は何か気に食わないのか、苛立たしげに鼻を鳴らすと布団を深く被ってしまった。


 なにやら嫌われているのか、あるいは警戒されているのか。どちらにせよ、エルトランドに歩みよる意思が無いなら、ディロックにはどうしようもないし、どうする気も無い。


 嫌われるのは無論、避けるべき事だ。ただ、相手が歩み寄ってこないのであれば、彼も関係を修復しようとはしなかった。面倒でもあったし、何より無駄な気がした。


 すぐに少年のベッドから目を離すと、広げていた道具を素早く背嚢にしまいこみ、ひょいと立ち上がると、昨日と同じように危険な品と剣だけを持って外へ歩き出す。


 ただ、足はすぐに止まった。礼拝堂の手前だ。祈祷の声が静かに聞こえていた。まだ早朝であり、朝日が昇るか昇らないかという時間帯である。聖職者だとしてもおきるには早い時間と言える。


 しかし、その祈りを聞くことなく、ディロックは目を伏せ、極力音を立てない様に外へと歩き出した。腰に佩いた曲刀が、一度だけがちゃりと鳴った。


 ――ここにいるべきではない。早く行こう。


 頭の中でそう呟くと、彼はひどくみじめな気分になっていた。頭を振って暗い思考を何とか追い出すと、教会の裏手へと向かって歩いた。

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