百十七話 法の裏
それに顔をしかめたのはディロックだった。
ここに至るまでに、彼はいくらか、ウルツの法を学んでいた。諍いを避ける目的であった。おおよそは他の国と同じように、人間としての倫理に従っていれば事足りるが、遺跡に関してはそうではない。遺跡関連法というのだが、その中の三条にこうあるのだ。
遺跡を最初に発見した時、発見者は可能な限り早くこれを組合、あるいは国家に報告しなければならない。報告された組織は、これに見合うだけの報酬を支払わねばならず、発見した者も報告された者も違反した場合は金貨千枚の罰金刑に処される。
未発見の遺跡を探索するとなれば、この条例に盛大に引っかかっているのだ。ありていに言えば盗掘ということになる。ただ、そんな事は百も承知とばかりに、青年は話を続けた。この法律は抜け穴がるのだと。
「実は、第一発見者の友人が病気になりまして。そこまでの大事は無いんですが、まだ報告に行けない状態なんです」
「……と、言うと」
マーガレットが続きを促すようにそう言えば、青年はにやり、と似合わない笑みを浮かべて言った。
「僕らは第一発見者じゃない。――つまり、報告の義務はない。報告されるまでの間は自由に探索できる」
「屁理屈だろう。通じるのかね、それが」
「僕もそう思いますが、通じるんですよ、これが。前例があるんです、裁判所も簡単にはひっくり返せない」
前例があるというのは随分やっかいな話で、"前はこうだった"という話を前面に出されれば司法としても痛い所がある。たとえどれだけ屁理屈で違法性を考えられるとしても、一度突かれた穴は何度もつつかれるものだ。
とはいえ可能な限り早くと言われているのだから、それに背くことは難しいだろう。嘘を見抜く魔法もあるし、同等の力を持った魔法の品もあるだろう。そこまでのリスクは負えない。偶然に、第一発見者が報告出来ないという状況あってこその今回の仕事だ。
未探索の遺跡を独占できるのであれば、かなりの収穫が期待できる。誰もあさっていないのだから、今なら取り放題と言う事と大差ない。貴重な品も山ほど転がっていると考えられる。
伝手はあるのかと問えば、これもあると帰って来た。なんでも、ある商会と協定を結んだらしく、こちらの秘密を守る代わり、遺跡で出た品は全てその商会買取とする話になっているらしい。
小さく唸り、うつむく。ディロックとしては、この話に乗りたい所だった。これからも旅費で苦しむのは勘弁だし、余裕とまでは言わないまでも、もう食うや食わずの事態に直面したくはないのだ。おまけに、今はマーガレットと二人旅だ。食費や装備の維持費はどうしてもかさむし、今のうちに荒稼ぎしておきたいというのが本音だった。
浪費した本人はと言えば、彼女もどうやら悩んでいる様子である。現状は彼女が作り出したようなものであるが、冒険者ギルドに対し不義はしたくない。しかし金は欲しい。そんな所だろうか。
青年は不安げにこちらを見ている。彼にも何か事情があるのは間違いない。そうでなければ、明らかなよそ者である二人に話を持ち掛けなどしなければ、そもそも盗掘まがいの事などしないはずだ。
――悩む。悩むが、何時までもそうしている訳には行かない。
現状と心情を慮って、ディロックは一つの折衷案を出した。
「なら、ひとまずは仮契約と言う事でどうだ。行ってみて、盗掘のリスクより利益が多ければ検討したい」
そう言うと、マーガレットが弾かれたように頭を上げ、青年も一瞬びくりとはしたものの、確かにうなずいた。
彼は実の所、そこまで清廉潔白な人間ではない。何度かやむを得ず罪を犯したことはあったし、事実、冒険者互助組合からは追放されている。それゆえ、盗掘そのものに大した拒否感は無いし、リスクが薄いと聞かされればなおさら利益に目が行く。
しかし、前例とやらについては聞いたことがないし、法律も必要事項をざっと読んだ程度だ。マーガレットに確認を頼むべきだ。結論を急いではいけない。
「……そう、だな。まずは遺跡を見せてもらわねば話にならんか」
「わ、分かりました。こちらとしても、一度腕を見せてもらいたいですし」
困惑と緊張の空気が、ひとまず妥協できる程度のの結論の前に和らいでいく。彼もまた、ほっと一息ついた。こういう仕事の話は余り得意ではないのだから、出来ればマーガレットに頼みたいというのが本音であった。
さてそうなれば、ある程度細かな話を詰めねばならない。どちらも、土壇場で裏切られては困る立場だ。取引、仕事をするとなれば、互いに互いを契約で縛らなければならない。これは古今東西変わらずで、これからもそうだろう。
近くの酒場にでも寄ろうか、と足を進めかけたところで、ふとディロックは立ち止まり、問いかけた。
「そういやあんた、名前は?」
一瞬、きょとんとした青年。しかし、すぐに破顔し、くすりと笑って告げた。
「ロイエルと言います。どうぞよろしく」
無邪気な笑みだった。今から盗掘の話をしようという人間の顔では決してない。判断を誤ったのではないかと、彼は少し不安になった。




