百十話 開花
戦闘は膠着状態にあった。互いに致命の一撃を入れることができないからだ。しかし、攻防は続き、ローガンも油断せずに剣を振る。
目の前で獣のごとく跳び回るディロックがいかなる人間か、正騎士ローガンは知る由もない。しかし、攻撃が通っていないとわかっていて尚攻撃を続けるほど愚かな男ではないとわかっていた。
――何か切り札がある。それも、状況を一気に覆せるほどの切り札が。
歴戦の勘が、正騎士の脳裏にそう告げる。事実、ディロックの動きは俊敏かつ積極的で、とても足止めのために戦っているようには見えず、明らかにローガンを仕留める気がある動きだった。
剣がまた交差する。ローガンが出遅れた。降りぬかれた剣が首をかすめ、ほんのわずかに傷をつけた。鎖帷子が切れたわけではない、ディロック自身がそうなるように工夫したのである。
彼自身、ほとんど自覚していなかったが、この戦いの中でディロックは急速に成長しつつあった。それまで、現在の技量で足踏みし続けてきた彼だが、剣聖との闘いと敗北、そして新たなる決意が、彼の足を一歩前へ、前へと進ませたのだ。
動きは鋭いが直線的だ。しかし、その俊敏性を存分に生かし、本来ならばあり得ない方向から攻撃を行ってくる。
正面に立っていたはずの彼が、柱や壁を蹴って跳び回り、次の瞬間には完全な死角から襲い来るのだ。勝手知ったる場としてこの中庭を選びこそしたが、それは悪手だった。音と気配でなんとか対処してこそいたが、しかし剣持つ獣というべきその動きは、ローガンを完全に翻弄していたのである。
前回は、ディロックは良くも悪くも杓子定規の戦い方だった。地に足を付け、踏み込み、斬りかかる。金属鎧を着こんでいるのだから、真正面から戦う上ではそれが正攻法だ。しかし、ディロックの場合はそうではなかった。
己の最大の武器である俊敏性を捨ててまで、地に足を付けて戦う意味はない。加えて、彼の武器は直剣ではなく曲刀である。撫で斬るのであれば踏み込みはさして重要ではなく、求められるのは手先の繊細な動き、それから刃筋の立て方なのだ。
それまで、どれだけ跳び回っても型にこだわっていた彼は、ここに来てようやく自身に合う戦い方を見出しつつあった。
しかしローガンも負けっぱなしではない。次々に襲い来る斬撃を交わし、逸らし、防ぐ。老練たる戦士は、すでに戦い方を怪物と対峙する時のそれへと変えていた。
剣をここまで自在に扱うものは存在しないが、しかし森に生きる怪物の中には、四方八方から襲い掛かってくる類がいる。ローガンは、すでにディロックをそうした怪物のように捉えて剣を振っていた。
怪物と戦う事に慣れた正騎士と、今しがた怪物のごとき戦法を得た旅人とでは、経験に大きな差がある。その差が、目まぐるしく動く戦いの中に膠着をもたらしていたのである。
横薙ぎに振るうと、すぐさま打ち落とされた。右から袈裟懸けに斬り下ろすと、掲げられた剣に阻まれる。蹴りを交えても鎧で受けられてしまう。それまで攻撃妨害を意識していたディロックは、今度は反対に妨害される側に回っていた。こうなると技で劣る彼には分が悪い。
劣勢と見るや否や、彼はすぐさま距離を取ると腰に下げていたそれを一息に引き抜いた。
杖だ。肘から先ほどの長さしかない短杖である。公爵が粛々と準備を進める間、彼もまた体のなまりを取るばかりではなく、こうした小細工の為の用意も進めていたのだった。静かに唱え始めたそれは、『魔弾』の術だ。魔力の塊を叩きつける、単純だが強力な呪文。
「――させませぬ!」
それを見咎めるように、ローガンはそれまでほとんど動かさなかった足を動かして、彼に躍りかかった。
なにせ、強固な鎧に身を包んでも、魔法攻撃はその守護を超えてくる可能性があった。事実、手練の魔法使いにはローガンとて何度も苦しめられてきたのだ。警戒しないという選択肢はなかった。
しかしディロックの魔法の技量は、マーガレットに及ぶべくもないお粗末なものである。いかに初等呪文の中でも高い破壊力を誇る『魔弾』でも、彼の力量では、杖を持ったところで鎧を打ち貫く威力は出ないだろう。だが正騎士にはそれが分からないのだ。剣聖、国一番の騎士と呼ばれ称えられるほどの、生粋の戦士であるがゆえに。
彼はなおも詠唱を続けながらも、右手に持った曲刀でもって攻撃を逸らし、次の攻撃が飛んでくるわずかな隙間の内に正騎士の向こう側へと転がり抜けた。剣が地面をえぐり、また花と土が舞う。
しかし、今度はディロックが口を塞がれる番だった。抉った地面を、ローガンが剣ではね上げたのだ。自然、飛び散った砂が礫のように彼に襲い掛かり、思わず目を閉じて防がざるを得なかった。
そこに、騎士の蹴りが叩き込まれた。
それは、酷く想定外の一撃だ。なにせローガンもまた、今まで騎士道に乗っ取った、"正騎士"というにふさわしい正攻法で戦っていたのだから。ゆえにそれまで蹴り技など一つも出さなかった。出さないものだと思い込んでいた。
鉄の足で放たれた鋭い蹴りが、鎧を着こんでいない彼の腹を強打する。ミシ、ゴキ、という嫌な音が、みぞおちの方から響いた。




