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青空旅行記  作者: 秋月
三章 騎士の国ロザリア
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百話 老人の思い

「このような姿勢のままで失礼しております。ともあれ、お座りください」


 和やかな雰囲気の老婆に、彼は半ば気圧されるようにして、曖昧な返事をしながら座った。陽光が、窓からキラリと差し込んで、つるりとした花瓶を照らす。


 しわの多い顔である。幾度もの苦難を乗り越えたのか、肌にはいく筋もの傷が見え、武器を握っていた証である大きなタコが、骨と皮ばかりの手にハッキリと残っていた。


 一目見ただけで、彼は知った。この老婆は間違いなく、歴戦の戦士である。


 技量は、ディロックを打ち負かした正騎士ローガンと同等か、それ以上か。彼は驚きを隠せないでいた。


 寝台に寝た切りといった風貌の、痩せ細った老人である。そんな者に対して、強さに対する畏怖のようなものを、ディロックは確かに感じていたのである。


 無論老人の中にも、若い頃に持っていた武威を身に纏っている者たちは居る。だが、その気配はあくまでも残像のようなものであり、この老婆ほど老いてなお強い者を、彼はいままで見たことがなかった。


 彼は頭を振って緊張を払うと、決断的に口を開いた。そうでなければ、ろくに物も言えないような、そんな気がしたからである。


「あー……それでご老体、何か御用が?」

「娘の身を守ってくれた事への感謝を。それから、一言謝らねばならないと」


 彼女はそう言って、ふうと溜め息にも似た声を吐き、ディロックの方へ体を向け直し、そして小さく頭を下げた。


「この度、わが息子の……そしてロザリア王家の争いに巻き込んでしまい、申し訳ない」


 深々と頭を下げた礼だった。最上位とはいかないまでも、王族――それも、元とはいえ王の妻であったことを考えれば、異例なほどの謝意である。


 ディロックは慌てて老婆に頭を上げるように願い、自分は仕事としてフランソワの護衛を引き受けただけであるという旨を、確かに伝える。


 たとえ王の妻であったという事を差し引いても、公爵の母に頭を下げさせているこの光景をもし誰かに見られたが最後、下手すれば斬首である。


 無論、そうなった時に大人しく斬られるつもりはないが、それでも何も決断しないまま逃げ出すというのはなんとかして避けたい事態だった。


「……それで、本当の用件をお聞かせ願いたい。急いでいるわけではないのですが」


 彼はようやく頭を上げた老婆の方を見て、そう続けた。


 というのも、貴族の謝罪や礼は、基本的に当主が代表して行い、それをもって"家"よりのものとするのである。これは、立場の上下があろうとも基本的に変わりない。


 まれに、代理として次男や三男が代表となることはあれど、それは僻地へ赴く場合などが大半だ。


 現状、シェンドラ公爵家当主はカルロである以上、彼女が謝罪を行う必要はない。ということは、謝罪以外にも用件があっての事だろうと彼は察したのである。


 その推測は正しかったらしく、老婆は彼の言葉にゆっくりと頷いて、本題を話し始めた。


「現在、私の息子からの依頼を受けるか否か、悩んでいるとお聞きしました」


 ピクリ、と彼の眉が動く。


 マーガレットが何時からその話をしていたのかは分からないが、考えさせてくれと言ったのはつい昨晩の事である。となれば、その話を知っている人間は極少数のはず。


 老婆のことを怪しもうとする意図はないが、それでもいぶかしんでしまうのは仕方のない事である。


 その言葉に肯定を示すべく頷きながら、どこからその話を、と彼が聞く。すると老婆は、小さく柔和な笑みを浮かべて、貴方のお連れの方が、と言った。


「きっと今のままでは答えを出せないだろうから、背を押してやってくれと」

「……マーガレットが」


 彼女の複雑そうな顔が、ぼんやりと脳裏に浮かぶ。ディロックと同様、いまだに距離を決めあぐねているのだろうか。


「それで、私からの後押しというのは、正騎士ローガンについてです」


 小さく頷き、続きを促す。到底向き合いたくない相手であるとはいえ、あの強さから目を離しておくのは危険なことだ。依頼を受けるとなれば、高確率で戦闘になることを考えれば、なおさら。


 老婆は寝台の傍らに立てかけられた杖に腕を伸ばし、その杖を両手でつかみ、するりと()()()()()


 シン、と鞘鳴りがして、それは刀身をあらわにした。直剣にしては細く、細剣にしては太い、ある種異様な剣である。隠し杖か、と彼は頭の中でそう呟いた。


 巧妙に隠されているとはいえ、柄は通常の直剣に近い所を見るに、おそらくは老人でも扱えるように軽く作られているのだろう。小さく構える姿は、その弱った体に秘めた確かな技量を感じさせた。


「対正騎士戦を行うことになれば――私が出ます」


 彼は静かに、しかし驚きをもってローラインの言葉を飲み込んだ。戦う。正騎士と。


 堂に入った剣の構え、横になっていて尚あふれ出す威圧感を見れば、技量が確かである事はすぐにわかった。だが、それは同時に、ろうそくが消える寸前の灯に近いと理解もした。


 この老人は死ぬ気なのだ。正騎士ローガンとの戦いを最期のものとして。


「ですから、正騎士との戦闘については考慮から外していただいて結構。不肖の弟子の始末は、私が付けましょう」

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