1.水妖精
「いいか? テメェはもうちょっと愛想良くしやがれ! でないと、競りで高値がつかねぇんだよ!」
直後、わたしのお腹が蹴っ飛ばされました。
小太りな奴隷商人さんの一撃は重く、わたしはゴロゴロと転がりながら痛みに呻くだけです。
「げほっ……」
「うずくまってんじゃねぇ! どんな時でもニコニコしてろ! 商品価値が下がるだろうが!」
奴隷商人さんは、蹲ったわたしにそんな風に命令します。
逆らってもより酷い暴力が待っているのは分かっているので、何とか頬を引きつらせて笑顔らしきモノをでっち上げました。
その瞬間、脚に焼けるような痛みが走りました。痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い。
「あ、ああぁぁ、あ”ア”ぁぁぁ……」
「下手くそめ。明らかにやらされてる感が溢れる笑顔だな。もっと上手くやんねぇと、何度でも塩棒を食らわせるぞ?」
奴隷商人さんがわたしの太ももに押し付けているのは、わたしの種族である水妖精に強い痛みを与える、塩が練りこまれた棒です。
これで押さえつけられると、傷はなくても苦しくて動けなくなります。
わたしはこの苦痛から少しでも早く逃げたくて、必死に笑顔を取り繕いました。
「……よし。まあ、競りに出せるくらいにはなったか。展示会場ではその顔を維持し続けるように」
「かしこまり、ました」
おぼつかない人間語で返答すると、奴隷商人さんは陸に仮設された雑な作りの部屋から出ていきました。
一息つくと、蹴られたお腹の痛みがズキズキとぶり返してきます。所在なく周りを見渡すと、隙間だらけの木板壁を通して外の様子が見えました。
呼び込みを行う人間さん。奴隷として連れ歩かされている妖精たち。毛皮をまとっているのは、どんな種族の方なのか。
ふと、そんな中に奇妙な二人連れがいるのが見えます。
身なりのいい人間の男性さんは、奴隷を買いに来たのでしょうか? そして隣には、金髪を結い上げて質素な服と首輪を着けた、奴隷らしき女性がいます。
この人たちを変だと思ったのは……。
「スレイドル、ジュースを上げよう。まだ仕事中だから、お酒はダメだよ?」
「ケント様、お酒どころかジュースですら過分です。もう少し、奴隷に対する扱いを弁えてください」
「そう言ってもさ、こう暑いと喉も渇くでしょ? ほら、手荷物を軽くする意味でも」
「ですから、荷物など奴隷に持たせればいいのです。主人としての自覚を持ってください」
奴隷にお説教をされる主人という、訳の分からない構図が広がっていました。
でも、その間には不思議と嫌な空気はなく、自然で微笑ましい雰囲気が流れています。
あるいは、わたしにもあんな関係が築ける相手がいたなら……。首を振って、そんな妄想を散らしました。
ここは生まれ故郷から遥か遠く、海すら隔てた大陸。帰る手段はなく、わたしはこれから競りで奴隷として売られるだけ。
壁の隙間から入ってくる潮風にピリピリとした痛みを覚えつつ、わたしはお呼びの声がかかるのを待つしかないのでした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「さぁさ、お立会い! 本日の目玉である、蛮族大陸から連れてきた水妖精をご紹介いたします!」
太陽が中天に昇る頃、小型帆船の甲板の上で競りが開始されました。
小太りの奴隷商人さんは声を張り上げ、わたしたちの価値を高めようとします。
「ご存知、水妖精といえば名前と容姿の通りに、水と親和性が高い種族です。水流操作はお手の物!」
事実です。
並べられている水妖精たちは、まさしく人型の水がそのまま粘度を持ったような容姿をしています。
……わたしを除いて。
「ただ、デリケートな商品でして。他の奴隷よりも船のスペースを必要としますし、蛮族大陸から航海中の維持費や手間もかかります。故に、どうしても値段を高くせざるを得ないのは心苦しい限り……」
これも事実です。
わたし以外にも並んでいる水妖精たちは、奴隷船の中ではかなりマシな扱いを受けていました。
「しかぁし! それを差っ引いても、水妖精たちの水流操作は極めて貴重! ここ開拓大陸においては、農場の治水を始め、その価値の高さがお分かりの方も多いはず!」
奴隷商人さんの言葉は全面的に事実です。
ただ、水妖精たちに水流操作が満足にできれば、ですが。
「そして、今回は珍しいことに、人間と水妖精の合いの子まで手に入れることができました! ほら、こっちへ来い!」
そして、わたしが呼ばれました。
白くて簡素な貫頭衣を着たわたしは、精一杯練習して取り繕った笑顔を維持して、一段高い台の上に登りました。
そこからは甲板の全てが見渡せ、無遠慮な視線がジロジロと向けられているのが分かります。
「この少女をご覧ください! 髪は長く波打つ水色、肌は色も滑らかさも青白磁のよう! 体の線は細く……おやおや、霞がかって今ひとつ判然としませんねぇ? どうでしょう、この朧気な雰囲気と妖しげな容姿。観賞用としても使えるかも知れません!」
奴隷商人さんの口上は止まりません。
わたしの値を釣り上げようとしているのでしょう。……こんな役立たずなわたしの値を。
笑顔は維持していますが、正直いたたまれない気持ちでいっぱいです。
「これだけの逸品なら――」
「精々、普通の水妖精の五分の一って所でしょう。彼女の容姿はともかく、水妖精としての能力には疑問があります」
熱弁に冷水をかけたのは、黒いクセ毛をいじっている青年さんでした。
その人は、右目が焦げ茶色なのに左目が白く濁っているのが特徴的で、隣には奴隷らしき女性もいます。
それで思い出しました。この人たちは、さっきらしくないやり取りをしていた、人間の主人さんと奴隷です。
「お客さん、いったい何を? このような場で、値切りの交渉は困りますよ」
「奴隷たちは、数体をまとめて一単位として売ってしまうのが基本。そのため、健康な者たちの中に一体や二体ほど傷病持ちや訳ありの奴隷を混ぜ、売れ残りを防ぐのが普通です。当然、僕たち買う側もそれは分かっている」
そう、その通りです。
今回はまさしく、わたしこそが“ 訳あり ”です。珍品や希少品ではあっても、同時に不良品でもあります。
「ですから、今回は逆にレア物を混ぜたという方向で目くらましをしようとしのでは?」
「言いがかりもそのくらいにしていただきたい! この合いの子は紛れもなく珍しい存在で――」
「ならば、好事家相手の競りで売り込むべきでしたね。実用的な奴隷を求めるこの場所に出しているという時点で、どんな存在か分かろうというもの」
「根拠のない言葉を!」
「根拠……ふむ。よろしければ、そのお嬢さんの水流操作の腕前を見せていただけませんか? なに、コップ一杯ほどの水を動かせれば、それで十分」
そう言って、白濁した左目を持つ青年さんは金属の杯を取り出して、つかつかと台上に近づいて来ました。
その杯には既に、水がなみなみと注がれています。
「おい、水を動かせ!」
「…………」
「おい!」
奴隷商人さんに命令されるも、わたしは笑顔を維持するので精一杯です。
そう、わたしは水妖精の血を半分引いておきながら、水流操作がまったくできない欠陥品なのですから。
ただ、それだけではなく……。
「それでは、彼女は一単位から外してもらっても構いませんか? 加えて、あそこの2番、5番、11番、12番も」
青年さんの指摘した番号の水妖精は、怪我や病気で水流操作が満足にできません。
それらを見事に見抜いた言葉に、奴隷商人さんは項垂れるしかないようでした。
ああ、これはわたしたちが控え室に戻った後に塩棒で殴られる流れでしょうか。
「その上で、僕は彼らをまとめて買い上げたく思います。水妖精一単位より高値で」
奴隷商人さんだけでなく、わたしもその言葉には目を見張りました。
この時、わたしの中で何かが変わりそうな……不可思議な予兆じみたものが感じられたのです。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
競りが終わり、控え室に戻ってから気持ちが落ち着きません。
奴隷商人さんは忌々しげな表情をしていましたが、おカネが儲かる可能性が高いらしく、『ここでじっとしていろ』とだけ言い残し、ドタドタと駆けて行きました。
必然的に、わたしは思いを巡らすことしかできません。
あの人間の青年さんは何だったのでしょう? わたしの商品価値を見抜いて、競りから落とすような真似をしてから、わざわざ高額で買い上げるとは。
分かりません。分かりません……が、今までのわたしの半生とは違った何かが待っていそうです。
「おい、出てこい」
思考に沈んでいる内に、結構な時間が経っていたようです。外は既に夕方でした。
奴隷商人さんに呼ばれ、部屋から出ていきます。その時も、蹴られたり塩棒を押し付けられたりといったことはありませんでした。
首をひねりながら歩き着くと、そこに待っていたのはあの青年さんでした。側には奴隷の女性もいて……傷病を負った水妖精たちも十数人くらい見えます。
どうやら、会場で指摘したよりも多くの水妖精を買ったようです。
「ケント・チェインズ殿。この合いの子で全てです」
「はい、約束通りですね。では、彼らは全て僕が買い取りましょう。もちろん、現金一括で」
そう言葉を交わしつつ、奴隷商人さんと青年さん……ケント・チェインズさんの間で何かの紙とジャラジャラと音のする袋がやり取りされました。
わたしはただポカンと見ているだけで、事態の変化についていけません。
「これで、交渉成立ですな」
「うん、これで君たちは正式に僕の従業員だ」
いつになくホクホク顔の奴隷商人さんと、にこやかに目を細めるケントさん。
会場でのピシッとした雰囲気は少し変わり、今ではどこか柔和な雰囲気をまとっています。
そして、事を終えたらしきケントさんは、わたしに向かって水の注がれた杯を差し出しました。
「お疲れ様。飲むかい? 口に合えばいいんだけど」
「あっ、えっ、その……」
「私の方を見るな。お前はもう、私ではなくケント・チェインズ殿の所有物なのだ」
周りでは、ケント様が連れいていた奴隷の女性が、他の水妖精たちに同じような杯を振舞っています。
それを見て、わたしも覚悟を決めました。
「で、では……」
いったいどんな狙いがあって、この水を――。
「おいしいっ!?」
「あっはは、気に入ってくれたみたいで良かった。いくつかの清流を混ぜたんだ。おかわりもあるから、好きに飲んでいいよ」
ケントさんがそう指差した先の荷台には、樽がいくつも積まれています。
水妖精は、名前の通りに水と親和性が高すぎるほどに高い種族です。
それだけに水の質や味には煩いのですが、他の水妖精たちを見ても皆が満足しているようでした。
今も揺らめく輪郭をプルプルと震わせて、その感動をあらわにしています。
「ああ、そういえば自己紹介が遅れたね。僕はケント、ケント・チェインズ。チェインズ農場を経営している。君の名前も聞いていいかな?」
「あっ……わっ、わたしは、ハープルーと」
「ハープルー、綺麗な響きだ。どんな意味があるんだい?」
「その、“ 好い加減の青 ”というイミです」
「そっか、いい名前だね」
ケントさんは、その白濁した左目をせわしなく動かしながら、にこやかに話します。
その動きと口調がチグハグなのが奇妙に思えるのと、美味しい水を飲めて人心地ついたのも合わさって、ついクスッと笑ってしまいました。
そして、気付いた時にはケントさんの手がわたしの頭に伸びていました。
「あっ……」
殴られる!
身柄を買い取られた相手に何てことを! わたしは完全に油断していて――。
「えっ?」
「ははっ、ようやく笑顔を見せてくれたね」
ケントさんの手は握られることなく、開いた状態でわたしの頭を撫で始めました。
何が起きているのかは良く分かりませんが、どことなく安心感が湧き上がって来ます。
「競りの時は酷い顔だった。そんな君を引き取りたくて、ちょっと無茶をしちゃったけど……迷惑だったかな?」
「いえ、そんなことは……」
そこから出発の時間まで、わたしは水を飲みつつケントさんに頭を撫でられ続けていました。
胸の奥底に生じた、こそばゆい幸福感。わたしを買ってくれたのが、この人で良かったのかも知れません。
……だとしたら、不実でいることは余計に許されないことです。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「…………」
夜が明けた荒野の中、金髪と黒い首輪が特徴の人間の女性が御者を務める牛車が先頭を行きます。
揺れが少なく質のいい車輪が奏でるカラカラという音を背景に、わたしを含めた水妖精の奴隷たちは随分と落ち着いきました。
あの後、ケントさんは水妖精たちを数台の牛車に分けて乗せ、水が十分に注がれた木桶を用意。今のわたしたちは、その中に座り込むことで本来の姿を取り戻しています。
それから牛車に揺られて数日。
状況が落ち着いたなら、伝えなければならないことがあります。
「ケントサン。どうして、わたしたちなんか、買ったんですか? それに、この扱いはフシギすぎます」
わたしの言葉によって、水妖精たちは絶望に彩られた表情になりました。
当然です。これは本来なら積極的に口に出す必要はありません。
ただ、わたしたちを誠実に持て成してくれたケントさんには、誠実で返さなければという想いがありました。
「わたしたちは、“ いらない子 ”です。ケガやビョーキでほとんど動けませんし、ひつような水流操作も、どれだけハッキできるか」
ケント様が買った水妖精の奴隷は、際物であるわたしを含め、その全てが傷病持ちです。
この開拓大陸に連れてこられた水妖精は、その殆どが水流操作を目的として買われると聞きました。
であれば、満足な水流操作ができない水妖精はどのように扱われるのか。あるいは、どう扱うべきなのか。
拙い人間語でも、わたしは意思を伝えようと口を動かし続けます。
「わたしだって、おとーさんが人間なハンパモノですから、うまく水は操れません。“ いらない子 ”なんて、捨てていった方がいいと思います」
誰かコイツを黙らせろ。
そんな風に、他の水妖精たちの意見がひとつになったのが分かります。
その内の一人が木桶からザブリと立ち上がり、わたしに手を伸ばそうとしました。
しかし、その行動は同乗していたケントさんに手で制されて止まります。
「いやいや、そう捨てたもんじゃないと思うよ? 君たちには大いに価値がある。だからこそ、あの奴隷商から買ったんだ。そう卑下しないでくれ、ハープルー。君だって、紛れもなく必要な存在なんだよ」
「……そうでしょうか?」
「うーん、信じて貰えないか。というか、どうしてそんなに自己評価が低いの? 水流操作って、水妖精にとってそこまで大事なもの?」
「ダイジです。でも、わたしは同時にイミコですから」
これは、告げなければいけないことです。
わたしが好事家相手にも売れなかったその理由。誠実には誠実で返すことがせめてもの謝意。
ケントさんはちょっと困ったような表情をしつつも、わたしとの会話を続けます。
「イミコ……忌み子か、穏やかじゃないね。まあ、僕の農園で働いてもらう以上は――」
「わたしが産まれてから、シューラクではわるいことばかり起きました。ずっと日照りがつづきましたし、そのせいでスイシツもわるくなったと。みんないってました、『人間の男とマジワリをもったばかりに』って」
元々が閉鎖的な集落でした。
何か問題があれば、異物のわたしが的にされるのは当然。
……まあ、実際にはあながち言いがかりでもないのですが。
「でも、おとーさんはもういませんでした。なかまを直接ころしちゃダメって掟があったので、ちょっとイジメられるていどで済みましたけど」
今のわたしは、どんな目をしているのでしょう。
以前に一度だけ見た銀鏡では、紺碧の瞳が腐った沼のような淀みを溜め込んでいましたが。
「日照りもすごく長くつづいて、わたしを産んだからって、おかーさんはいい水を分けてもらえなかったんです。そのせいで、おかーさんはジワジワ弱ってしにました」
それが、一番悲しかった記憶。
忌み子のわたしが攻撃されるだけなら何も感じませんでしたが、母に対しては申し訳なさしかありません。
「わたしはハンパモノなので、水が少なくてもギリギリ生きられましたが……。けっきょく、集落はどれいがりにあってなくなりました。ぜんぶ、わたしが産まれてからです。わたしは“ いらない子 ”なんです」
「……ふむ」
ケントさんは、顎に手を当てながら思案しています。
わたしの話を聞いて、果たして何を考えているのか。
ともあれ、わたしは訥々と続けるしかありません。
「これは、フネに乗ってからもつづきました。わたしの行くところでは、ずっと悪天候でコテイされてるんです」
これがわたしなりの精一杯の吐露。好事家にも売れない、都合の悪い天気を呼び寄せる呪いじみた体質。
雨が必要な場所では日照りが続き、日光が必要な時には雨を降らせる。
「ですから、“ いらない子 ”なんてはやく捨てればいいと思います。そのほうが、ケントサンのためです」
奴隷商人さんは、『歪んだ思いやりだ』『ねじれた自己犠牲だ』と吐き捨てていました。
でも、わたし自身の生い立ちからして、不要なモノを切り捨てることで他者に損をさせないのは当然のことです。例え、切り捨てられる存在がわたし自身であろうとも。
ただ、それで納得しない者も当然この場にはいます。
「ふざけるな! 忌み子なのは、人間なんぞの血を引いてるお前だけだろうが! 別大陸に来てまでオレらの足を引っ張んじゃねぇ! そんなに捨てられたけりゃ、お前だけ捨てられてろ!」
木桶から立ちつつ故郷の言葉で怒鳴ったのは、左腕のない水妖精です。あの方は確か、わたしと同じ集落の出身でしたか。
彼の感情も無理のないことだと思います。
奴隷狩りにあい開拓大陸まで連れてこられ、そこで処分されそうになった矢先に、ケントさんに拾われました。
首の皮一枚つながった場面で、『捨てろ』というわたしの言葉は、決して看過できるものではないでしょう。正論を言っているのは、間違いなく彼の方です。
「あー、うん。ちょっと落ち着いて。さっきも言った通り、君たちはそう捨てたもんじゃないよ。例え傷病者であってもね」
「『捨てたもんじゃない』、どこがでしょうか?」
熱くなった水妖精の男性をケントさんが諌めてくれました。しかし、それこそが疑問です。
奴隷商人さんが言っていた通り、水妖精はこの開拓大陸では必要とされるのでしょう。
しかし、それも健康状態が良く十全に力が出せる場合です。
怪我や病気を負った者は、買ったカネに見合わない能力しか発揮できないでしょう。そんな割に合わない奴隷を維持する理由とは。
「いずれ分かるさ」
ケントさんはそう言って、白濁した左目を向けつつ朗らかに笑いました。
『捨てたもんじゃない』
誰かに必要とされることがなかったわたしにとって、その言葉は何よりも新鮮で……と、奇妙な感情を覚えると同時に、元々少なかった牛車の揺れが完全に止まりました。
「うん、着いたみたいだね。ようこそチェインズ農場へ。ハープルー、君たちを歓迎するよ」
ケントさんは足取りも軽やかに牛車から降り、両手を一杯に広げて農場を前に鼻高々です。
他の水妖精たちもおずおずと牛車から出てきました。鋭い日差しにまばたきをしつつ、ケントさんの示す周囲の景色とそこで働く者たちをしげしげと眺めます。
「なんというか……ヘイワ、ですね」
わたしの目の前にあるのは、よく耕された畑とそこで地面に手を置く土妖精や、雑草の除去をしている毛皮をまとった種族の姿。
ヒトの身長よりも高い、固い茎を持った薬草が青々としげり、その側には簡易な小屋が設置されていました。一部の者はそこで水を飲みながら休憩しているようです。
そして屋敷は、おそらく人間大陸の流れをくんだガッシリした石造り。極端に高い構造でもありませんが、横幅と奥行きは想像もできないくらい広そうです。
湯気が上がっているよく分からない建物に出入りするのは、首輪を着けていることから奴隷たちなのでしょう。
しかし、彼らの表情は労働への疲れはあっても、奴隷という境遇に対する悲観や絶望は感じられません。
「はっは、そう言ってもらえると嬉しいよ! せっかく働く場所で、雰囲気が悪いのは嫌だからね。労働環境は割と気を使ったんだよ?」
「はぁ……」
わたしはぽけーっと口を空けて、今までに見聞きしてきた常識からはかけ離れた現実を直視するしかありません。
そんな呆けたわたしの横には、いつの間にかひとりの奴隷が立っていました。
「旦那、この娘が新しい奴隷かい?」
「うん、色々と教えてあげてね? 喧嘩とかしちゃ駄目だよ?」
「しねーっすよ! あたしが旦那の面子を潰すわきゃねーっしょ!?」
ケントさんと親しげに話しているのは、使い込まれた茶色い作業服を着た女性です。
ただ、その特徴を見て、わたしは後ずさりしながら呟いてしまいました。
「ひ、火妖精!?」
額から生えた小さくも鋭い一本角と、褐色肌の喉にはめられた茶色の首輪が存在感を放っている、ざんばらに切った赤茶色の髪の毛を持つ女性。
体格は途轍もなく大柄で、ケントさんよりも頭ひとつ半ほど背が高い。
輪郭は陽炎でゆらめいて判然としませんが、胸やお尻は丸みをおびていそうです。
まるで全身に火焔をまとっているようなその女性は、何が楽しいのか紅色の瞳を細めながらゲラゲラと笑っています。
「おう! あたしは火妖精……と鬼の合いの子でダブロッドってんだ! あんたの名前は?」
「あ、は、はい。ハープルーと、イミ――」
「そうか、よろしくハープルー! しかし、ちっちぇな! ちゃんと食ってるか? 大丈夫、ここの旦那はちゃんと腹いっぱい食わせてくれ……ぐぇっ!? だ、旦那?」
怒涛の勢いでわたしに詰め寄るダブロッドさんを、作業着の襟首にぶら下がるような形でケントさんが止めてくれました。
「あんまりゴリゴリ押さないの。火妖精と水妖精の確執はダブロッドだって知ってるでしょ? 適度な距離感を保とうよ」
「あー、分かったよ旦那。悪かったね、ハープルー」
「あ、いえ、その……」
事態について行けないわたしは、曖昧な返事をするしかありません。
忌み子として扱われ、母が死に、奴隷狩りに合い、結果が見知らぬ場所での激動。
その刺激は、わたしの思考の処理速度を上回り過ぎていました。
「君たちも。この農場では、種族間での差異による対立は禁止だ。『アイツが個人的に気に食わない』って場合は要相談」
他の水妖精たちにも目を向け、ケントさんはそう言って牽制しました。
わたしと同じように呆けていた彼らですが、流石に今の言葉は理解できたようです。
水妖精を奴隷狩りした種族である火妖精が前にいても、それを理由にしたいさかいを起こすなということでしょう。
「かしこまりました……」
白濁した左目で見るケントさんとゲラゲラと笑うダブロッドさんを前に、彼らは一様にそう頷くしかありませんでした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「今日も一緒に食おうぜ、ハープルー」
チェインズ農場に来てからおよそ二十日あまり。昼休憩の時間に、わたしはいつも通りダブロッドさんから食堂に誘われました。
「はい、おねがいします。しかし、あいかわらずゼイタクなご飯ですね」
「そうか? いや、そうか。うん、少なくとも他の農場の奴隷よりは、メシもずっと恵まれてるって聞いてんな」
わたしたちが手に持つ大きなお皿には、茹でられたイモや豆が山と積まれており、それに加えて果物やたまに肉もついています。ついでに、井戸から汲み上げた水が飲み放題。
食堂の机にお皿を置き、着席しつつわたしは疑問を投げかけました。
「どうして、こんなにタイグウがいいんでしょう?」
「この農場だと、奴隷たちに無理はさせねー方針らしいかんな。旦那いわく『従業員を使い潰すのは悪手』らしい。他所だと、働きすぎで死んだりする奴隷とかも珍しくないとか聞くぞ」
そう言いつつ、ダブロッドさんは驚くべき早さで昼食を流し込んでいきます。
わたしも頑張って食べますが、水以外の食事にそこまで関心を持てず、どうしても消費しきれません。
「ケプッ……どうぞ」
「ありがとよ。まあ、あたしたちにとっちゃ運がいいことさ。ぶっちゃけ、故郷にいた時より気ぃ使わねーし。何より、腹いっぱい食えるのはいいことだ」
そして、余った食べ物はダブロッドさんが譲り受けることが定例化しています。
鬼の血を引く彼女にとっては、わたしの残した食事まで含めて、ようやく腹八分目になるようで。
「その……ダブロッドさんも、やっぱり故郷では」
「多分、あんたと似たような経験してる。合いの子ってんでアレやコレや言われて、いっつもイライラしてな。気に食わねー奴はぶん殴ったりして、集落の鼻つまみ者だった。そこで水妖精による奴隷狩りだ。。国王も代替わりして、お袋もそのゴタゴタで死んじまってなぁ」
「おたがいさま、ですか」
「まーな、今思えば随分と狭い見方してたもんだ」
つまりはそういうことです。
水妖精は火妖精を狩り、火妖精は水妖精を狩る。捕らえた獲物は人間大陸からやってきた奴隷商人たちに売却。
ちなみに、これは妖精たちの国で公的に認められた行為でもあります。
それぞれの妖精たちを束ねる王としては当然なようで。
敵国の戦力を削りつつ、人間大陸産の土産物や敵対種族への有効な武器その他を、奴隷商人を介して入手できます。
相手国の奴隷たちの感情さえ考慮しなければ、やらない理由がないとか。
「だからまあ、マシなんじゃねぇの? 集落にいた頃の厄介者扱いに比べれば。この農場でなら、普通に働いて普通にメシ食って普通に寝られる。規律も緩いしな。開拓大陸に運ばれた時はどうなることかと思ったが、あたしらは“ 当たり ”を引いたと思う」
「ケントさんですか」
「そういうこと。旦那も旦那で、若い頃に親父さんを亡くしたらしい。その後に必死でここを立て直して、今じゃ周り一番の大農園よ」
「はー……でも、確かにここにきてからは、めぐまれてると思います。集落でのヤなことなんてなかったみたいに」
そんな談笑を続けつつ、わたしたちは食器を片付けに立ち上がりました。
「というかアレだ。ハープルーは何かやりたいこととかねぇの? 奴隷っつっても、ここなら縛りは緩いし故郷のしがらみとか関係ねぇだろ?」
「やりたいこと……あまり考えたことがありません。いまはシゴトをおぼえるのにせいいっぱいで」
「あー、それもそうか。まあ、仕事で頑張れば旦那の覚えもめでたくなるし、そっちが王道かね?」
「だんな……ケントさんにおぼえてもらえる?」
ダブロッドさんが何気なく漏らしたその案。
『ケントさんの覚えもめでたい』とは、わたしにとって凄く魅力的な案に思えました。
そんなわたしの様子を面白がったのか、ダブロッドさんが立ったまま身を乗り出して顔をニヤけさています。
「おっ? つまり、旦那の気を引くのがやりたいことかよ? いいじゃねぇか!」
「あっ、あのっ、そのっ! そういうのはおそれおおいというか……」
顔が赤くなるのが分かります。
それは、その……確かに、ケントさんにもう一度撫でてもらいたいのは確かですけど!
「へっへ、隠すことぁねぇ。ここだけの話、旦那は女の許容範囲がかなり広くてな? それこそ種族の垣根も超えてな。かく言うあたしだって、抱いて貰ったことがある」
「『だいてもらう』ですか?」
ケントさんにギュッと抱きしめてもらう……それ、とても幸せかも知れません。
「おいおい、そこからか。まあ、旦那と超仲良くなるというか」
ケントさんと超仲良く……。
どうしましょう。想像だけで頭のてっぺんまで茹で上がってしまいました。
集落では教えて貰わなかった刺激です。
「お前、そこまで初心ってのは……。まあいいや、お前らの訓練どうなってんだ? 火妖精ならボイラー室で働いてっけど、水妖精なら畑の治水か? それともポーションの冷却か? 労働力としてアテになれば、“ 白 ”の首輪を脱出できるぞ」
「いえ。それいぜんに、やっぱりマンゾクな水流操作ができないんです。これじゃあ、いつまでもケントさんのやくに立――」
その瞬間、食堂の外から大きな破壊音と高い悲鳴が上がりました。
ダブロッドさんと顔を見合わせて、二人してすぐに外へと駆け出します。
紛糾する怒号の中に、ケントさんの声が混じっていたのはどういうこと!?
「旦那!?」
身体能力の高いダブロッドさんが先に食堂から出ました。
その先で見たのは、畦道に倒れた牛車と小太りで身なりのいい中年男性。
そして、怒気を発する水妖精の奴隷たちと、統制を取ろうと必死になるケントさんの姿でした。
水妖精たちは人間語と故郷の言葉を混じらせながら、憤りをぶちまけているようです。
「よーし、とりあえず話を聞こう。取り引き相手の方まで巻き込んで、君たちは一体なにが不満なんだ?」
「決まってる、薄汚ぇ火妖精共が一緒にいるってことだ! しかも、いさかいを起こすなだぁ!? アイツらを殺すかお前が死ぬか、選びやがれ!!」
火妖精が原因。
それを把握した瞬間、ダブロッドさんはケントさんの前へと躍り出ました。
「いい加減にしな! あたしを恨むってのはまだ分かる。けど、旦那を目の敵にすんのはどういうことだ! 聞いたぞ? 売れ残りで処分されかかってたアンタらを一括で買い上げたのは、他ならない旦那じゃないか!」
「奴隷として買われて嬉しがる奴がどこにいる!? 面倒見るってんなら、オレらを故郷まで返しやがれ! あんな奴隷商人と懇意にしやがって!!」
よく見ると、ケントさんが『取引相手』と言った中年男性は、例の奴隷商人さんでした。
あの人の姿を見たことが、反乱の最後のひと押しになってしまったのでしょうか。
暴動を起こした水妖精たちは、わたしと一緒に買われた傷病者のようです。
十数人ほどの彼らの中では、境遇に納得した者もいましたが、我慢が効かない者もいたらしく。
と、そこで物陰で足が竦んでいるわたしが発見されました。
「あっ……」
「忌み子がいるぞ! そいつも殺せ!」
狂乱した空気にあてられたのか、積もりに積もった鬱憤はわたしにまでぶつけられました。
殺気がわたしの全身を打ち据え、立っていられず地面にへたり込みます。
水妖精たちは、各々が持っていた革袋やすぐ近くの水路に手をやり、先端にだけ石が込めてある水の矢を作り出しました。
同時にいくつも発射された水矢は、過たずわたしやダブロッドさんを貫こうとしました。
「ああ”ぁぁぁぁぁ!」
しかし、ダブロッドさんを狙った水矢は、彼女が放った熱気により一瞬で蒸発させられていました。
余った石も、鬼の血を引く頑強な皮膚は突き破れず、あっさりと跳ね返されたようで。
そして、わたしを目標にした水矢は。
「……ケントさん?」
「…………」
わたしは無傷でした。当然です、放たれた矢から全力でケントさんが庇ったのですから。
代償として、ケントさんの背中は酷いことになっています。
わたしを抱きすくめる形で地面に押し倒したので、いくつかの水矢は外れましたが、数本の石は背中のあちこちに刺さってしまった。そこからは赤い液体がドクドクと流れ出ていて……。
「――! ――――!」
「――――!」
ダブロッドさんや水妖精たちが何か言っていますが、上手く聞こえません。
わたしが産まれてからこれまで、虐げられるのは当然のことでした。
自分が忌み子なのがその原因だと思っていましたし、母が衰弱死した時は申し訳なさこそありましたが、良くも悪くも他の水妖精に対しては何ら感情を抱きませんでした。
ただ。
自分の嫌なことを取り除き、『捨てたもんじゃない』と言ってくれ、自分を必死に庇ってくれたケントさんが血まみれになっているという事態。
今までに何もなかった自分に、新たなものを与えてくれた彼が失われようとしていることは。
今、わたしは生まれて初めて“ 怒り ”という感情を覚えました。
「……出ろ」
瞬間、広い屋敷の面積を満たすほどの膨大な水でできた蛇が空中に湧き出ました。
それに何より慄いたのは、半分同族である水妖精たち。
彼らの能力は水流操作。強力ではあっても、基本的に水のある場所でしか使用できない。
だというのに、わたしはたった今、虚空からありえない量の水を“ 出現 ”させた。それがどれだけ異常なことか。
でも、そんなことは知りません。
誰かが与えてくれたようなこの力、今の使い道は決まっています。
「行け」
わたしが手をひと振りすると、大蛇が水妖精たちへと押し寄せました。
誰かが現してくれた意思ある鉄砲水は、途中にある地面や植物を飲み込みながら爆進。全力疾走の牛馬など歯芽にもかけない速度で、水妖精たちだけにぶち当たりました。
砂が削り、石が打ち、植物が刺さり、勢いをそのままに水妖精たちを原型を留めないほどに破壊して、ようやく止まったようで。
「……なんだよ、今の」
攻撃から器用に除かれたダブロッドさんが呆然と呟く中、ケントさんは息も絶え絶えといった具合ながら笑ってくれました。
「だから言ったでしょ。そう捨てたもんじゃないんだよ。彼女の力は」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あれから十日後のチェインズ農場の夜。
わたしはカチンコチンに緊張していました。
「し、し、しんこきゅうぅ~……。吸って~……。吐いて~……」
夜にケントさんの寝室に呼ばれる。
それがいったいどういう意味を持つのか、今のわたしは知っています。
具体的には、ダブロッドさんに教えてもらいました。
“ 抱く ”とはつまり、そういうことで。ケントさんは色々な種族の女性を囲っているようで。
「わ、わたし、作法とか知らないけど大丈夫かな?」
ダブロッドさんは『旦那に任せてりゃいい』ってゲラゲラ笑ってましたけど!
不安なものは不安なんですけど!?
自分の身体が貧相な肉付きだというのは分かっています。あるいは、それでケントさんに愛想を尽かされたら……。
そう考えると、背筋が一気に冷たくなりました。
「他に水妖精が呼ばれたこともあるみたいだけど……わたし、合いの子だし」
でも、もしもケントさんに心から受け入れて貰えるなら。
思わず、自分がニヤケ面になってしまうのが分かります。
いけない、これはいけません。もっと毅然とした態度で――。
「ハープルー? ケント様がお呼びです」
「うっひゃあ!?」
ケントさんの寝室の前でウロウロしていたわたしを呼び止めたのは、金髪に黒首輪の女性奴隷さんでした。
いつもケントさんの側にいるこの女性も、ケントさんに抱かれているのでしょうか?
「ハープルー。緊張するのは分かりますが、特に気負う必要はありません。ケント様はそうした初々しい反応まで含めて楽しまれます」
「ひゃっ、ひゃい! お褒めにあずかり光栄でしゅ!?」
「別に褒めてはいないのですが……それでは、どうぞごゆっくり」
そう言って、彼女が寝室の扉を開けて、それから――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ハープルーの様子は?」
ハープルーとの行為が終わった後。
屋敷の奥まった場所にある書斎で、自分でも意識してギラついた目つきをしつつ俺は質問する。
この部屋は徹底した防音処理が施されており、どれだけ耳のいい種族でも外から声を拾うことはできない。
「ほぼ落ちたと見ていいかと。初夜の前に色々と聞き取りましたが、ケント様にはかなり好意的な意見が目立ちました。“ 橙 ”に昇格した首輪を、しきりに気にしていましたよ」
回答するのは、金髪を結い上げ黒い首輪を身に着けた、妙齢の人間の女であるスレイドル。
チェインズ農場において奴隷の最高位を示す、“ 黒 ”の首輪を身に付けて奴隷たちの取りまとめ役を行う、俺の右腕のような存在だ。
「いいな、概ね狙い通りだ。ちゃんと水妖精神様は仕事をしてくれたらしい。これも人事を尽くしたおかげかな?」
「火焔を撒き散らした後に水流で消し去るような、自作自演そのものな人事ですが」
「いいんだよ、マッチポンプでも。これでハープルーの< 水妖精神の加護 >も目を覚ましたろうし、俺には忠実で有能な奴隷が手に入ったし、反乱対策にも……イテテ、ちゃんと人間大陸産の対水妖精用防具を着込んでたんだけどなぁ。血糊まで仕込んでさ」
「そんな状態なのにハープルーを寝室に呼ぶとは、どうかしています」
得意げに話していたが、水矢に込められた石は想像以上に痛かった。スレイドルの指摘もごもっとも。
火事場の馬鹿力は侮れない。以後、注意しよう。
しかし、痛い思いをしただけの成果はあった。
「わざわざ蛮族大陸まで視察に行って良かったよ。ハープルーって掘り出し物を見つけられた。しかも、集落ではほぼ孤立状態と来てやがる。馬鹿な水妖精どもだよな。< 水妖精神の加護 >なんて持ってるハープルーを冷遇したら、そら神様のお怒りも買うわ。日照り続きも妥当」
「ケント様の左目が反則的なのです。< ステータス看破 >なんて、聞いたことがありません」
「そりゃあ、こんな能力そうそう表に出さねぇだろ」
そう言ってから、俺は白濁した左目をギョロギョロと動かす。
うん、やっぱり情報が筒抜けってのはいいもんだ。スレイドルのバストサイズまでばっちりだ。
「わたくしの胸を凝視なさっていますね。やはり、生娘相手では不完全燃焼でしたか?」
「まあね。水妖精の合いの子は初めてだったから、新鮮ではあった。ただ、経験不足は何ともな」
スレイドルはため息をついてから、俺の頭に後ろから抱きついて胸を押し付け始めた。
柔らかな感触で包むと同時に、ヘッドロックの要領で俺の頭をギリギリと締めつけ痛たたた!
「ギブアップ、ギブアッープ! ……ふぅ、とにかく! その後も、火妖精の新王に根回しして狙う集落を絞らせたり、ハープルーだけは殺さないように奴隷商人に渡りをつけたり、競りでの指摘から買い上げの一幕まで、本当に気ぃ使ったかんな?」
体勢はそのままだが締めつけは緩められた中で、俺は自慢をする。
うん、今まで何度も似たようなことはやったけど、今回は本当に手間をかけた。
「そこまでして欲しかったのですが、あの娘が」
「ああ、欲しかったさ。水妖精はヤる時も具合がいいんだよ。こう、質感が独特でさ。あと、精液が肌に吸収されるのも面白い」
「加えて、< 水妖精神の加護 >ですか。農園の経営者であるケント様には、確かに何よりも代え難い存在でしょうね」
スレイドルの声のトーンが少し下がった。
再度のヘッドロックは怖いので、一応フォローを入れておくか。
「いや、俺にとって一番必要なのはお前だぞ、スレイドル? なにせ、お前が一番役に立つからな」
その言葉を聞いて、スレイドルの腕がピクリと動く。
続いて、諦めたようなため息と共に俺から離れ、穏やかな笑みを見せた。
「まったく、ケント様にはかないませんね。それで、例の奴隷商人の方には」
「カネを積んで黙らせる。今回、水妖精どもの反乱自体は想定通りだった。だが、そのタイミングに巻き込んじまったのは、こっちの手落ちだからな。悪徳奴隷商の小芝居に付き合ってくれるあいつは、なんだかんだで貴重だよ」
「ご冗談を。後日の商談があると言い、あの奴隷商をここへ誘導したのはケント様でしょう? 水妖精たちを暴発させるために」
「まっさかー」
全部バレているらしいが、とりあえず棒読みで返してやる。
スレイドルはそれ以上は追求することもなく、次の話題に移った。
「では次に。反乱に参加しなかった、傷病持ちの水妖精の奴隷たちはどうしましょう?」
「元々が手負いだからな、適当に事故死や病死させておけ。ハープルーの付属品なんぞ、イヤボーンが済めば能力を発揮できない金食い虫だ」
「イヤボーンが何なのかは分かりませんが、かしこまりました。残りの水妖精たちは適切に処理します。規律については予定の通りに?」
「ああ、厳しめにする。今回の反乱で、農園主である俺が怪我をしたからな。引き締める口実としては十分。甘く見られすぎても何だしな」
奴隷たちの命は所持者の胸先三寸。必然的に、普通の農場主たちは奴隷を使い潰そうとする。
しかし、俺はあまりそうした縛りが好きではない。今回の引き締めも、できればやりたくないというのが本音だ。
「締めつけが過ぎたり無理やり動かすと、仕事の能率やパフォーマンスは落ちるんだよなぁ。奴隷ってのは、向こうから望んで働かせなきゃ。親父はその辺が分かってなかった」
「ケント様、あなたの農場は良かれ悪かれ異質です。いずれは歴史に名前を残すかも知れません。その始まりが――」
「はいそこまで。俺は親父が事故で亡くなった後も、若輩者ながら懸命に農場を切り盛りしてる。それで十分だろ?」
「かしこまりました、我が主様」
俺のマッチポンプの原点である奴隷は、そう言って頭を下げるのだった。