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紆余曲折ごときで足りれば世話はない

作者: 里田あひる


やあやあ我こそは、名乗る程の者ではないが、ベターハーフに「太宰治のようだ」とフラれた女である。


過ぎたことは仕方が無いと、旅人のように過ごした6月、とりあえず東京下町の優しさに惚れて住み着いた7月、修業との日々と男遊びと男嫌いの8~10月でいつの間にやら11月。先生でも走り回るという季節を前に、今の私の師匠は走り回っています。

私もてんてこ舞いな日々の間に、淋しさを抱えては発散し、発散する相手に嫌悪感を抱き、などなど年甲斐もなく馬鹿な日々を過ごしている。



この年でやっと理解し、会得したことが一つだけある。

「先のことは考えない」。これが最強である。

考える葦である生き物として生きていると、ついつい考えることが崇高、考えすぎて壊れていくことも美学と思いがちだったが、せいぜい週末は何をしようかなで人間が出来ることを知った。それどころか、今日の夕飯何にしようだけを考えることで、人は幸せになれる。



「何の為に生きているのか」の結論は相変わらず見えない。暗中模索?いやいや、五里霧中。ただそれは、霧が晴れたらどんな景色が待っているのか分からないように、一歩先の光景すら想像できない、とっても期待できるギャンブルなのだ。つまり、今ここで言えることはただ一つ。わーい!たっっのしー!!



考えることを辞め、それでも私は人間風には生きられている。パスカル先生のばーか!

それぐらいで生きることが、幸せの近道のようだ。幸せという相対主義的なあやふやな基準は死ぬまでに否定しきりたいが、今はこれでいいと思える。それもまた幸せ。



それはそうと、引っ越してまだ4ヶ月足らずで追い出されるので引っ越す。原因は老朽化。実に強運である。いやいや、巫女やってたのに神のご加護とかないんだな。くそ食らえ。

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